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「ん……、もうサファイア公爵邸に到着したのか?」


「まだですよ。義父さんがハンバーガー買ってくれたの。トーマス王太子殿下、お腹空いてませんか?」


「いい匂い。腹ペコだよ。でもハンバーガーの前に、ルリアンを食べちゃいたい」


 寝ぼけているのか、ここは狭いタクシーの中で、運転席にはタルマンが座っていることをすっかり忘れているトーマス王太子殿下は、ルリアンを抱き締めて唇を近付ける。


「うわ、わ、わあ」


 ルリアンはその唇に熱々のハンバーガーをくっつけた。


「アチチッ!! 何するんだよ。唇が火傷するだろ」


「トーマス王太子殿下、どんな夢を見られていたのか知りませんが、美女とイチャついてる夢でも見たのですか? ハンバーガーなんて一般人の食べ物です。お口に合わないなら私が二つ食べますけど。義父さん、もう車出していいよ。ずっと停車してると危ないし」


「義父さん? あ、そうか。トルマリンさんがいたんですよね。トルマリンさん、ちょうど空腹でした。ハンバーガーありがとうございます。留学先ではよく食べていましたが大好きなんです。いただきます」


「トーマス王太子殿下ももう婚約者がいてもいいご年齢ですからね。でもここにいるのは稼ぎのない個人タクシーの運転手と王宮の使用人の娘です。公爵令嬢でも伯爵令嬢でもありません。だからといって、私の娘をカラダ目当てで弄ぶのは父として許しません。娘にキスなどしたら、即、秘書を辞めさせます」


 タルマンはゲジゲジ眉毛をつり上げて怒っている。運転が荒くなり、ルリアンはヒヤヒヤした。そんなタルマンを見て、トーマス王太子殿下はルリアンに視線を向けた。


「トルマリンさん、私がハイスクールの頃、ホワイト王国に連れて行ってくれましたよね? その時はもう隠れ家に母はいなくなっていて、意気消沈した私にハンバーガーをご馳走してくれました。七年前、レッドローズ王国のブラックオパール邸にも同行してくれたことを覚えてますか?」


「トーマス王太子殿下、申し訳ありませんが、七年前のことはハッキリ覚えてないんですよ。記憶は朧気なんです」


「私とルリアンのあとを追い、トルマリンさんが母の邸宅の二階のバルコニーからプールに飛び込んだことも?」


「この私がメイサ妃の御邸宅の二階のバルコニーからプールに飛び込んだと? それはトーマス王太子殿下の勘違いではありませんか? 私は腰抜けでそんなに勇敢な男ではありません」


「トルマリンさんは勇敢な父親です。娘を守るために、自らの危険を恐れなかった。あの時のトルマリンさんはかっこ良かったです。父親の愛情には到底敵わないと思いましたから。でも、私はあの頃とルリアンに対する気持ちは変わりません」


 ルリアンはトーマス王太子殿下の突然の告白に、ハンバーガーを口いっぱいにかぶり付いたまま固まっている。


「ふがふがふが!」


「ルリアン、食べ物を口に入れたまま興奮しないで。私はルリアンのお義父さんと話をしているんだから」


「ふんがーー!」


 ルリアンの異様な様子にタルマンは目を見開く。


「ま、待って下さい。トーマス王太子殿下、今『あの頃とルリアンに対する気持ちは変わりません』と仰いましたか? いや、そんなはずはない。これは幻聴だ。長時間運転してどうやら疲れたようだ」


「トルマリンさん、幻聴ではありません。私も留学先で国際運転免許証は取得しています。疲れたなら運転を代わりましょうか?」


「そんなことはできません。私はスポロンさんに雇われたのですから。それより温かいうちにハンバーガーを召し上がって下さい」


「ああそうだね。先ずはハンバーガーをいただくとするよ。ありがとうございます」


 トーマス王太子殿下は、王宮ではハンバーガーでもテーブルマナーとしてナイフとフォークで食事をすることになっている。それなのに、トーマス王太子殿下はルリアンの隣でガブリとかぶり付いた。


 タルマンは明らかに動揺していた。

 まさか王位継承者の口から、『私はあの頃とルリアンに対する気持ちは変わりません』などと告白されるとは想定外だったからだ。


 タルマンはやはり七年前のことも、トーマス王太子殿下とルリアンが交際していたことも覚えていないのだと、ルリアンは瞬時に解釈した。覚えていないのなら、ナターリア同様、お喋りなタルマンにもまだ伝える必要はないのだ。


 それなのに三人しか同乗していないことをいいことに、トーマス王太子殿下はタルマンにルリアンとの関係をバラそうとしている。


 ルリアンはそれは阻止しなければいけないと思っていた。もしもタルマンとナターリアが知れば、盗聴器を仕掛けた犯人以上に大騒ぎになるに決まっているからだ。


 口の横にケチャップをつけたトーマス王太子殿下。ルリアンは見かねてペーパーナプキンでそのケチャップを拭き取る。トーマス王太子殿下はそれがよほど嬉しかったのか、わざと口の横にケチャップがつくような食べ方をしている。『拭いて拭いて』と言わんばかりに唇を突き出した。

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