21
アニー・アントワネットは自分のデスクから私物を取り出すと段ボール箱に入れた。それを執事のモーリーが持ち、そのまま秘書室を出て行った。モーリーはまるでアニーの執事のようだ。
(トーマス王太子殿下やローザさんが話したことは本当だった。ドミニク殿下一族は本気で王位継承権を主張するつもりだ。アニーはトーマス王太子殿下の黒髪を指摘した。もしかしたらメイサ妃の祖母であるダイヤモンド公爵夫人の秘密を知っているかもしれない。そうだとしたら、王室の脅威だ……。)
◇
―翌日―
「どうだルリアン。秘書の仕事は上手く行ってるのか」
「全然だよ。自分の記憶力の乏しさに、自分でガッカリする。義父さんは何度も昏睡状態に陥っているのに、まるで不死鳥のように蘇るから不思議だよね」
「不死鳥? そんなにかっこいいか?」
「全然かっこよくないけど、どんなに事故を起こしても不死身ってこと。それに一部の記憶のみ欠落してる。まるで別人に体を乗っ取られたみたいに。ホント不思議だよね」
「それじゃあ、ホラー映画のゾンビみたいじゃないか」
「そうとは言ってないけど」
(いまの私みたいに、タルマン・トルマリンの体に現世の義父さんの魂が一時的に転移していたとしたら、義父さんや秋山修さんの話も満更嘘ではないのかもしれない。)
いつもと変わらない朝食。パンと牛乳と目玉焼き。それでもタルマンもナターリアも幸せそうに食べている。
「白米と納豆が懐かしい」
(たまにはお米とお味噌汁と納豆と焼き鮭や厚焼き玉子の朝食が食べたいな。まあ現世でも貧乏だったから、お米とお味噌汁と納豆が定番だったけど。白米が懐かしい。)
「白米と納豆? それはどこの国の食べ物だ?」
(義父さんは白米も納豆も知らないんだ。やっぱり転移したのは私だけ。絶望的だな。)
「ルリアン、父さんは世界一かっこよくて勇敢なのよ。トーマス王子とメイサ妃の誘拐事件にも協力したし、あなたが事件に巻き込まれた時も犯人に勇敢に立ち向かって救出してくれたんだから。稼ぎは少なくてもこの国の英雄なんだからね」
「はいはい。英雄ね。貧乏な英雄だな。ねえ義父さん。義父さんは……本物のタルマン・トルマリンなんだよね?」
「当たり前だろ。本物ってなんだ? そっくりさんでもこの世界にいるのか?」
「記憶喪失で本当の名前を忘れたなんてことはないよね?」
「はて? 本当の名前とは? 私はずっとタルマン・トルマリンだよ。なあ、ナターリア。今日のルリアンは変だよ」
「そうですよ。あなたはずっとタルマン・トルマリン、私の夫です。父さん、そろそろ仕事に行って下さい」
「そうだな。今日こそしっかり稼いでくるよ。ナターリア、愛してる」
毎朝の日課、タルマンとナターリアのハグやキスは高校生の頃のルリアンには見ていられないほど嫌だったが、今では両親の仲の良さが微笑ましく思えるようになった。
(幾つになっても、『愛してる』と言える関係……。私とトーマス王太子殿下にそんな未来があるとは思えない。義父が木谷正でないのなら私はこの異世界で一人ぼっちだ。)
義父が出勤したあと、ナターリアがルリアンに話しかけた。
「ルリアン、昨日使用人専用食堂にトーマス王太子殿下が来られたそうね。ルリアンはトーマス王太子殿下の秘書になる予定でしょう。トーマス王太子殿下が留学され、母さんはルリアンとトーマス王太子殿下の交際は終わったと思ってたけど違うの? まだ……お付き合いしてるの?」
「やだな。母さん、私がトーマス王太子殿下とお付き合いしてるわけないでしょう。ハイスクールと今は違うわ。これは仕事だから」
「そう。それならいいけど。どんなに本気になっても、あなたは所詮童話の人魚姫。魔法使いにガラスの靴でも貰わない限り、王子様と結ばれることはないのよ」
(童話の人魚姫か……。人間に恋をした人魚姫、報われない恋。そんなこと言われなくてもわかってる。泡になるより、私は現世に戻りたい。)
「ルリアンを見ているとね。数年前の父さんを見ているみたいで。目の前にいるルリアンが、どことなく娘のルリアンとは違うような……。母親だからわかるのよ。ルリアン、『白米と納豆』ってなに? 『まるで別人に体を乗っ取られたみたいに』って、父さんに言ったよね? ……あなたは本当にルリアンなの?」
「母さん。やだなあ、私はルリアンに決まってるでしょう。『白米と納豆』は異国の食べ物で、昨日世界史で勉強したのよ。義父さんが最近くだらないジョークもいわないから、『別人』みたいって言っただけよ。私がちゃんとトーマス王太子殿下の秘書になってしっかり稼いで、母さんに楽な生活をさせてあげるからね」
「そう。『白米と納豆が懐かしい』って聞こえた気がしたから。もしかしたらって、思っただけ」
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