制服に着替えた瑠美が、狭いロッカールームでメイクを念入りに直す。


「おはようございます」


 真麻がロッカールームに入って来た。真新しい高級ブランドのバッグを見せびらかすようにして、亜子の隣に並ぶ。亜子のロッカーの左隣は真麻だ。目敏い瑠美がチラリとバッグに視線を落とす。


「新しいバッグ買ったんだね」


「まぁね」


「また誰かのプレゼント?」


 口紅を塗りながら、瑠美が真麻に問い掛けた。その言葉にたっぷり嫌味を含めて。


「どうだっていいでしょう」


 瑠美のいうとおり、道玄坂課長と交際しているのなら、課長からのプレゼントかもしれないなと、亜子は思った。


 スッと上着を脱ぐと黒いスリップ、白いブラウスをはおると、スリップが透けて見え厭らしく見えるが、白いブラウスの上にベストを着用すれば、お客様には見えない。


 真麻の名札は二人とはことなるブルーのラインが入っている。これは主任の証。


「このご時世、出世ってさ、学歴関係なくても男の力で左右するよね」


「どういう意味?」


「一般論だよ。女子が出世するには、課長や本支店長に媚びたり、秘かに付き合ったりすると出世出来るかもね」


 真麻はツンと口を尖らせ、瑠美を横目で見ながら、ブラシで髪を直す。


「私はキャリアを目指しているの。結婚までの腰掛けとは違うわ。三田銀行は実力主義、上司なんて関係ないわ」


「腰掛け? それ私のこと言ってるの?」


「だって瑠美はキャリア目指せないでしょう。クスッ」


「真麻、どういう意味よ」


「気に触ったならごめんなさい」


 真麻は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。確かに瑠美は真麻みたいに仕事をバリバリするキャリアウーマンタイプではないが、無難なく何でもこなせて、記憶力は抜群でお客様の顔と名前は直ぐに覚えてしまう。


 亜子もキャリアウーマンなんて目指していないけど、真麻の言葉は刺々しくて時々カチンとくる。


 真麻は二人を残してロッカールームを一足先に出る。


「絶対に課長との社内恋愛を暴いてやるんだから」


「瑠美、悪趣味だよ。人の恋愛はほっときなよ」


 (もしも私が昂幸と付き合っているとしれたら、瑠美は鬼の首をとったようにほくそ笑むのかな。友人ながらちょっと怖い。)


 携帯電話は営業室に持ち込み禁止。亜子はロッカーに携帯電話を収めて鍵を掛けた。


 始業二十分前には営業室に入るのが、当銀行の無言のルール。


「瑠美、行くよ」


 いつまでもメイクを直している瑠美を急かし、二人はロッカールームを出た。アメリカの大学を五月に卒業し、他の新入行員より入行が遅れた昂幸だが、優秀な成績で短期間で研修を終え来週の月曜日には本店営業部に配属される。


 (どうなるのかな。私達……。)


 ◇


 残業を終えた亜子はロッカールームに戻る。すでに時刻は午後八時だ。明日休みだと思うと、残業も多少は我慢出来る。


「亜子、合コン行かない? 横浜支店の真樹に誘われたの」


「ごめん。合コンは苦手。またね」


「亜子は付き合い悪いな。本当に真面目なんだから。たまには恋しないとホルモンバランス崩れるよ」


「私ならご心配なく」


 瑠美の誘いを断り、亜子の向かう先は昂幸のマンションだ。帰国と同時に代官山のマンションで一人暮らしを始めた昂幸。


 亜子はいまだに三田家の社宅で両親と暮らしている。一人暮らしをするほど生活に余裕がないというのが本音だからだ。


 昂幸は今でも週末は三田様の邸宅に戻る。高校生の頃は深く考えもせず、三田家を訪ねたが、社会人になった今、周囲の視線が気になり邸宅に行くことは出来なくなった。


 だから、昂幸に逢うのは久しぶりだ。


 ――代官山、新築マンションの七階。エレベーターを降り、昂幸の部屋に向かう。このマンションの契約者は三田正史、三田銀行の取締役頭取だ。


 合鍵は引っ越した当日にもらった。玄関の鍵を開けると、室内に明かりは点いていた。


 今日研修を終えた昂幸は、亜子よりも帰宅は早い。


「お邪魔します」


「亜子お帰り。『お邪魔します』じゃなくて『ただいま』だろう」


 昂幸はキッチンで料理を作っていた。ランニングから見える逞しい腕。右手でパスタの麺を摘まみ、麺の固さを確かめている。


 (その仕草、男なのにセクシーだな。男にも色気があると、最近わかるようになった自分がちょっと恥ずかしい。)


「私が作るよ」


「いいよ、亜子は残業で疲れただろう。今夜は俺が作る。座って待ってて」


「大丈夫?」


「大丈夫だよ。アメリカでも自炊していたし、俺の料理の腕は亜子も知ってるだろう」


「亜子は先にシャワー使ってもいいよ」


 (シャ、シャワー……。)


「いいよ。料理手伝う」


「そう?」


「何すればいい?」


「そうだな。まずは『ただいま』のキス」


 昂幸は大きな体を屈ませ、亜子の唇を軽く奪う。


 十七歳から付き合っているのに、今だにドキドキしてしまう。昂幸は長期休暇に帰国はしたが、すぐに渡米し、離れていた時間があまりにも長すぎたからだ。


「なに赤くなってんだよ。俺達交際七年目だよ」


 昂幸は亜子に軽くキスをすると、意地悪な笑みを浮かべながら、茹でたパスタを鍋から取り出す。


 フライパンにオリーブ油を入れ、にんにく、アンチョビを入れて火にかけ、弱火でいため、あさりといか、海老を加えて炒めた。海老の色が変わり、ホールトマト缶を利用して、トマトを缶汁ごと加え中火で二十分煮て、塩こしょうで軽く調味する。そこにパスタを入れて手際よくあえる。皿に盛り付けパセリを振れば出来上がりだ。

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