サービスマン、時間が止まる

 お会計を済ませて喫茶マンハッタンを出ると、往来には多くの人々が行き交っていた。

 時刻は午後三時過ぎ。休日の人波はおとろえる様子を見せず、一日の終わりはまだ先のように感じられる。そうなると「これからカラオケにでも行かないか?」という提案が生まれるのは無理からぬ話だった。


「あ、申し訳ないのですが、私はこの辺で──」


 しかし九重さんだけは用事があるようで、二次会への参加を見送ることになる。すると「せっかく仲良くなったのに、あっさり別れるのは忍びない」という意見が出て、一同は、九重さんが利用するバス停留所までついて歩くことになった。

 向かうのは駅前のバスセンターだ。

 その周辺であれば、カラオケでもボーリングでも、高校生が気軽に利用できるアミューズメント施設が充実している。余計な遠回りにもならないため、一同は足取りも軽やかに、わいわいと午後の繁華街を抜けていく。


「今日はこれから病院へ?」


 集団の後方から、楽しそうに先を行く四人の姿を眺めつつ、大輔は隣に声をかけた。すると九重さんから「ええ、その通りです」と返される。彼女はこれから、妹であるひまりちゃんのお見舞いへと向かうのだろう。


「最後までお付き合いできずに申し訳ないですが──」

「いや大丈夫。『サービスマン』への依頼はもう終わってるよ」


 言いながら、大輔はふところにあるお守り袋へと手を当てた。ほんのりと温かい。今まさに、マガダマが『対価』を徴収している最中なのだろう。そうであるならば、彼女の使命はすでに達成済みだ。


「九重さんには慣れないことを頼んだけれど……結果として合コンは大成功だったよ」


 大輔は「ありがとう」と素直にお礼を述べた。しかし彼女は「……そうですか」と、どこか浮かない顔をしている。


「ん、どうかした?」

「いえ、なんでもありません」


 なんでもないことはないだろう。

 九重さんからはっきりと「不満です」というオーラが漏れ出ているからには、放置するわけにもいかない。大輔が「何か気に障ることを言ったかな?」と尋ねると、彼女は「そういうわけではないのですが──」と前置きをしてから述べた。


「やっぱり私は『鉄の女』なのでしょうか?」

「あぁー……」


 どうやらバッチリと大輔の失言が尾を引いているようだった。

 九重さんが恋愛沙汰を苦手としていることは理解している。言動が他とズレているのは明白であったし、本人からもあまり得意ではないと白状されている。それにもかかわらず、彼女は慣れない合コンを頑張ってくれたのだ。空回からまわりしていたくだりもあったけれど、それを揶揄やゆしていいはずもない。


「ごめん。それについては失言だった。まったくもって俺が悪かった」

「今日は佐和くんに振り回されっぱなしの一日でした」


 素直に謝ると、九重さんは「まったくです」と言わんばかりに大輔の非をあげつらってくる。今日はどうにも、我慢ができない出来事が多くあったらしい。特にポッキーゲームの件については──


「はたしてあれを本当に実演する必要はあったのですか?」


 と、大変におかんむりである。

 ゲームを提案した自身にも問題があったとしながらも、大輔が九重さんのくちびるに迫った行為についてとがめずにはいられない様子だ。それについては論ずるまでもなく大輔が悪く、ぐうの音も出ない。


「はい、全ては私の不徳の致すところであり、誠に申し訳ございませんでした」

「……いえ、べつに怒っているわけではないんです。ないのですけれど──」


 大輔が平謝りすると、九重さんには珍しく、口先を尖らせてからものを言う。


「私はとても悔しい思いをしました。ですので、佐和くんには一つ、仕返しかえしをしたいのです」

「仕返し……?」


 わざわざ宣言されたとなると身構えてしまうが、彼女の気がそれで収まるというのであれば、甘んじて享受きょうじゅしよう。そのように伝えると、彼女は「では、もう少しだけ、付き合ってください」と言った。


 気がつけば、いつの間にやら駅前へと到着している。


 当初の予定ではこの場で九重さんとは別れるつもりであったが、ご指名が入ったために、大輔だけは引き続き彼女へと帯同たいどうすることになる。

 他の四人には事情を伝えて「先に行っておいてくれ」と申しつけた。すると気前よく同意してくれたが「九重さーん、また遊びましょーう」「私たちー、今度こそはトークの練習しておきますねー」と、簡単には別れさせてはくれなかった。


にぎやかな子たちだな」

「ええ、まったく」


 二人でそのように言葉を交わすと、そのまま先を進む。向かうのはバスセンタービルだ。エントランスより中へと入り、エレベーターにて三階を目指す。そこがバスの乗降場となっている。

 道中。会話らしい会話は生まれなかった。

 九重さんの機嫌が良くないならば気軽に話しかけるわけにもいかないし、かといって九重さんの方からも話題の提供はない。歩き続けることしかできることはなかった。

 やがてバス乗り場に到着すると、待合席へと並んで座る。


「……」

「……」


 しばらくは沈黙が続いたが、ふと、九重さんが口を開いた。


「『愛してるぜゲーム』をしましょう」

「はい?」

「佐和くんは私に告白をしてください。それで、照れたり笑ったりした方が負けとします」


 唐突の提案に意表を突かれてしまう。

 わけが分からない。

 しかし「いいですか?」と尋ねてくる九重さんの瞳は本気だった。どうにも彼女の真意が理解できないが、結局は「わかったよ」と承諾することになる。


「では──お願いします」


 九重さんは姿勢を正してこちらを向いてきた。真っ直ぐなその視線に、大輔は少しばかり気圧けおされてしまうも、求められたからには全力を出そうと気を取りなおす。


 コホンと一つ、咳払せきばらい。


「九重さんはさ──」

「はい」

「頑張り屋さんだから……いや、決して軽く言うつもりはないんだけれど。それでも、本当に頑張っているんだと俺は思う」


 真摯しんしな気持ちをもって彼女へと告げる。

 その言葉に嘘はない。九重さんが日々を精一杯に生きていることは大輔がよく理解している。

 だから言う。


「俺は君にあこがれている」


 彼女のように、どんなに辛い逆境の中でも正しくあろうとする者を、大輔は尊敬していた。彼女のように、人のためにこそ頑張ろうとしている者を、支えたいと願っていた。


「俺は、君みたいな人の力になりたいからこそ『人助け』をこころざしたんだと、改めて思い出した。君みたいな、絶対に報われるべき人を救い出したいと思ったから、俺は──」


 と、そこまで言いかけたところで、これはゲームであることを思い出す。

 つい熱が入ってしまい、まとまらない想いをぶちまけてしまったが、大輔がするべきこととは九重さんへと愛の言葉を告げることである。話が迷子になってしまって少々恥ずかしいが、これから、どうにかして話を告白までもっていかないといけない。さて、どのようにして話の流れを元に戻したものか、口を閉ざして考えていると──


「私も、あなたに憧れています」


 ──突然、九重さんから手を握られた。


「え……?」

「私は佐和くんに、どうしても伝えたいことがあるんです」


 大輔の拳がギュッと包まれる。

 その感触は柔らかくて、ほんのりと温かい。


「私がどれほどにあなたに救われているか……きっとあなたは知らないんだろうと思います。そうですよね、口にしなければ伝わりませんから」


 大輔は驚いて九重さんを見る。

 彼女の瞳はうるんでいた。

 そして、何かとても大事なものを見るように、大輔へと微笑ほほえんでいた。


「私があなたと初めて会ったとき、私は、世界中のすべてから見捨てられたと思っていたんです。どんなに私たちが苦しみにあえいでいたとしても、誰からも手を差し伸べられることはなく、ただ見過ごされるばかりなんだと──」


 それは大輔が彼女と出会った時のこと。妹の身を案じていた彼女は、何もできない無力な自分に、大きな落胆を感じていたのだという。そして助けの見えないこの世界に、絶望の念すら覚えていたということも。


「でもそんな中で……あなたが、あなただけが私たち姉妹を見つけてくれた」


 九重さんは泣き笑うようにして言う。


「あの時、私は……救われたと、そう思ったんです」


 大輔は彼女のその表情から目を離せないでいた。


「それからもあなたは、私たちと共に苦難に立ち向かってくれようとしている。それがどんなに頼もしかったことか、嬉しかったことか……あなたは知らないんでしょう。だから私は、あなたに改めて伝えたいんです──」


 九重さんはそこで「佐和大輔さん」と改めて大輔の名前を呼ぶ。

 大輔はそれに返事をすることができない。

 ただ鼓動こどうする心臓の音を聞くのに精一杯で、とてもではないが口を開くことができない。

 けれど彼女は、大輔の返事を待つこともなく、その言葉を口にした。



 とても綺麗な笑顔をもって


「私はあなたを──愛しています」


 世界中の誰よりも



 ──

 ──


 周囲の音が遠くから響いてくる。

 まるで世界の全てが、二人から遠く離れていってしまったかのように感じた。

 ただ彼女の微笑みだけが、世界で唯一のものであるように思えた。

 その時、確かに、大輔の時間は止まっていた。


 そして止まった時間が永遠にも感じられたとき──


「私の勝ちですね」


 という、どこか勝ちほこったような声が、大輔の耳に聞こえてきた。

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