サービスマン、お祝いについて考える

 図書室へと向かうと、閲覧席えつらんせきに座る九重さんを見つけた。

 熱心に読書をしているようで、入室してきた大輔に気づく気配はない。何を読んでいるのかと気になって近づくと、どうやら料理本を読んでいた。大判サイズの紙面に写るショートケーキが美味しそうだ。


「九重さん、お待たせ」

「あ、佐和くんですか」


 ようやくこちらに気づいた彼女は、一度立ちがろうとする気配を見せる。しかし「少しだけ待ってもらってもいいですか?」と伺いを立ててきた。急ぐ理由もなかったので「いいよ、もちろん」と言うと、彼女は学生鞄からペンと大学ノートを取り出して、スラスラと料理本からノートに何かを書き写している。


「何してるの?」


 対面へと腰かけながら尋ねると、彼女は返事をするよりも前に料理本の中を大輔へと掲げてきた。そこにはデカデカとしたお菓子の写真──『いちごタルトの作り方』という表題が書いてある。どうやらレシピを書き写しているようだった。


「美味そうだな。けど、なんでまた?」

いちごはひまりの大好物なんです」

「なるほど……でもそろそろしゅんが終わるんじゃない?」


 言いながら窓の外へと目を向ける。放課後になってからしばらく経つというのに、まだまだ日はかげりそうにない。もうすぐ春も終わるからには、苺の収穫時期というものもそれに伴って終わるはずだ。


「今すぐ作るわけでもないですから」

「どういうこと?」


 詳しく聞いてみる。

 ひまりちゃんは苺が大好きながらも、多くを食べることができないらしい。体の調子にもよるが、いつもは一粒二粒をゆっくりと味わって物足りなさそうな表情を見せるのだと。だから、彼女の病気が治癒されたあかつきには苺をたくさん食べてもらいたいと、そのときのための勉強をしているのだという。


「そりゃまた随分ずいぶん──」

「気が早い話だと……思いましたか?」


 苦笑しながら言われてしまい、思わず舌を巻く。

 確かに、だいぶ先の事態を見据えていると感じてしまったことは否めなかった。

 今はまだ、ひまりちゃんが快癒する目処めどが立っていないのが現状である。それでなくとも、もうすぐ苺の流通時期が終わるからには、彼女が美味しい苺タルトを食べる機会は、きっと来年の春を待たねばなるまい。


「最近……ちょっとだけですが。先のことをあまり悲観しないようにと、そう思えるようになってきたんです」


 すると、九重さんが自らの気持ちを吐露とろするかのように口を開いた。


「ウジウジと考えている暇があるなら、もっと精一杯にひまりのために働こうって、そう思うようにしたら──不思議なんですよ」

「不思議って何が?」

「気持ちに余裕ができたみたいで、物事を前向きに捉えるようになりました。今では、ひまりが退院した時には何をしてあげられるだろうかって……そんなことを考えています」


 それは九重さんにとって、とても良い心境の変化だと大輔には思えた。

 人は誰しも、気を抜くと地面ばかりを見つめて歩いてしまう生き物だ。しかし、ずっとそうしていると首が痛くなってしまう。だから時には、物事を楽観視して何も考えずに前を向く必要だってある。よって大輔は「そんな私は不謹慎ふきんしんでしょうか?」と戸惑うようにしている九重さんに対して、精一杯に「そんなことはない」と否定する。「未来に楽しいことが待っていると考えることは、素敵なことだと俺は思う」


 そう言うと、九重さんは安堵あんどしたような笑顔を見せた。

 その顔を眺めつつ考えてみる。


「しかし……なるほどね。確かに、ひまりちゃんへのお祝いを考えておくのも、大事なことかもしれない。俺にも、何かできることがあればいいんだが──」


 大輔の立ち位置といえば、ひまりちゃんにしてみれば姉の友人といったところである。そんな微妙な立場においても、何をすれば彼女を喜ばすことができるのか、真剣に考え込んだ。相手は六歳の女の子であるからには、色々と気の利いた提案をするべきだろう。しかし結局、大輔のスカスカな頭では、自分が幼少の頃に嬉しかった出来事を参考にするぐらいしか思いつくものはなかった。


「遊園地とか誘ったら、喜んでくれるだろうか?」

「遊園地……ですか」


 九重さんが、意想外なことを聞いたというように目を丸くしている。


「あれ? そんなに意外?」

「あ、いえ。決してそんなことは──ただ、私からは出なかった発想だなと思っただけで……」


 遊園地が出ない発想というのは、これまた奇妙な物言いである。今日日きょうび、遊園地という行楽地も珍しいものではない。だから「ごく普通の発想じゃないかな?」と尋ねてみると、彼女は観念かんねんするように答えた。


「実は私も、遊園地には行ったことがないんですよ」


 ちょっとした衝撃の発言をされた。詳しく聞いてみると、ひまりちゃんが産まれて以来、彼女は遊園地へと出かけたことがないのだという。


「私がひまりぐらいの年頃に両親に連れられたような気はするのですが……ぼんやりとしていてあまり覚えてはいません。母の妊娠が発覚して以降は、とてもそんな余裕はなかったですから」

「はあ、それはまた……ん、でも──」


 家族での行楽でなくとも、学友の間で誘われたことなどはなかったのかと尋ねてみる。しかし、その全てを断っていたと彼女は言った。「ひまりを放っておいて私だけ遊びほうけるなんて、できるはずもないですから」


「ということは九重さんは、ジェットコースターにも乗ったことはない?」

「そうですね。幼心おさなごころ回転木馬メリーゴーラウンドにだけは乗れたような覚えがあるのですが、それ以外のアトラクションはきっと試していないと思います」


 こともなげに語る九重さんに、大輔はあわれみのような気持ちを覚えてしまった。

 人生の何割かを損しているなどと、大それたことまで言うつもりはないが、それでもなんとなく気の毒である。もしかしたら、その気持ちは大変に失礼な考えなのかもしれないが、多くの人々が当然のように享受きょうじゅしている喜びを、彼女たちだけが知らないというのは、とても寂しく感じたのだ。


「そしたらさ。ひまりちゃんが退院したら、みんなで遊園地に行こうか」

「それは──」


 大輔が提案すると九重さんは、少しの間、考え込むような素振そぶりを見せる。だがやがて「とても良い考えだと思います」と肯定してくれた。


「けれど私は詳しくはないので、どこに行けば良いのやら──?」

「そこは任してくれていい」


 胸をドンと鳴らしてアピールする。


「ジェットコースターには一家言いっかげんあるんだ」

「……ひまりでも楽しめるようなテーマパークみたいな所でお願いします。いえ……やっぱり佐和くんには任せられませんから、私も考えます。今、佐和くんが思いついている候補地をあげてください」


 どうやら、そこに信頼はないらしい。

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