九重結菜、疑う

「九重さん、もうその辺で──」


 設楽さんが困ったような顔をして伝えてくるので、仕方なくハリセンを下ろした。

 粗相そそうがあれば遠慮なく佐和くんを張ったおせという、藤堂さんからのお達しにより持たされているハリセンである。今こそが使うべき時であるからには、示すように掲げていたが、そろそろお役御免のようだった。しかし、まだまだ油断はできない。「変なことを言いだしたら……あなた達、わかってるでしょうね?」という意思表示のためにも、小脇に抱えておくことにした。


「ふぅ……まったく、やれやれだぜ──」


 佐和くんが取り澄ました顔をして何やらつぶやいている。キッとにらみつけると、即座にそっぽを向かれた。下手くそな口笛まで吹いている始末だ。説教の途中、彼があまりにもあんまりな発言をのたまったものだから一発だけシバいたものの、全然応えていない様子である。


「むぅ……」


 そうなるとそでにされているような気持ちにもなり、なんだか不服だ。佐和くんを相手にすると、どうにも調子を崩される。しかし、いつまでも彼ばかりを注視するわけにはいかないため、心の中で「覚えていなさい」と呟いて、設楽さんへと問いかける。


「しかし、いいんですか、設楽さん?」

「いいんです」


 あなたには男どもをなじる権利があると、そうすすめてみても彼女は首を振るばかりであった。それどころか「怪我けがすることもなかったし、これでいいんですよ」と言って、田中くんの前へと進みでている。


「えっ……と、田中……先輩は、私がお兄さん達に因縁いんねんをつけられていると思って、助けてくれようとしてたんですよね?」

「……」

「田中くん、返事返事」


 問われた田中くんはポーッと設楽さんを見つめていた。なので、隣に正座する佐和くんからひじで打たれている。そしてハッと気がついたようにすると「は、はひ」と返事をした。


「つきまとわれるのは、確かに怖かったですけど……べつに先輩は、私に乱暴しようとか、そういう目的はなかったってことでいいですか?」

「もっ、もちろんだ。俺は紳士だから」

「だったら許します。二度とやらないでくださいね」


 そう言って微笑ほほえんだ設楽さんを前に、田中くんは呆然としていた。けれどしばらくして、ブワッと感涙し始める。滂沱ぼうだの涙を流しながら、彼は言った。


「……天使」


 その言葉には同意できなくもないが、言い方が気持ち悪い。言われた設楽さんの方も苦笑していた。そのように誰もが二の句をげないでいると、佐和くんが前に出てくる。


「あー……設楽さん。田中くんの友達として、俺からも非礼をびるよ」

「そんな、佐和先輩から謝ってもらうことなんて……先輩達のおかげで助かったんですから」

「うん。ただ、その上で一つお願いがある。弱みにつけこんだと思ってくれて構わないから、どうか聞き届けてほしい」

「お願い……ですか?」

「田中くんに今一度、チャンスを与えてやってはくれないだろうか」


 それは彼に告白する機会をくれということだった。このような形で終わってしまう友人の恋模様こいもようが見るに忍びないと、佐和くんが真剣な面持ちで頭を下げている。結菜としては、ちょっとそれは厚かましくないかと思わなくもない。だが、設楽さんが「わかりました」と了解するからには余計な口出しはしないことにした。

 田中くんが驚いたように「佐和……お前ってやつは」と言い、佐和くんは「いいってことよ」と得意顔をしている。男の友情が鬱陶うっとうしい。

 そうして佐和くんに促されて、田中くんが立ち上がると、設楽さんと相対した。


「まずは、迷惑をかけたこと改めて謝罪します。申し訳ない」


 田中くんが深々と頭を下げる。中々に上がらないその姿勢からは、彼の反省具合というものが確かに感じ取れた。ようやく顔を上げると、彼は極めて真剣な表情で、おもむろに口を開く。


「けれど、あなたを初めて見たとき、俺は……天使がいると思ったんだ。今ここで行動を起こさないと、こんな幸運な出会いは二度とないとはやっちまって……そんなどうしようもない俺だけど、絶対にあなたを幸せにしたいと思ってる。だからどうか……どうか俺と付き合ってほ──」

「ごめんなさい」


 しかし、にべもなく断られていた。

 佐和くんが「残酷な天使……」なんて馬鹿なことを呟いているが、そりゃそうだろうとあきれるほかない。どこの世界にストーキングをされて、その男性を好ましいと思う女がいるだろうか。蛇蝎だかつの如く嫌われないだけ有情だと思って欲しい。

 田中くんは魂が抜けたような顔をして、その場にひざから崩れ落ちる。「やはりそれは……俺のようなミジンコには、息をする資格はないということだろうか……」

 今にもちりとなって消えてしまいそうな田中くんを見て「ちっちがいますよっ」と設楽さんが慌てたようにしていた。そんなに甘やかさなくてもいいだろうにと思う。結菜が同じ立場だったら、あと一言二言は痛言つうげんを付け加えるだろう。どうやら設楽さんは本当に心根が優しい女の子のようだ。もしかしたら本当に天使かもしれないと、ちょっとお馬鹿な想像をしてしまった。


「その……好きだと言ってもらえるのは嬉しいです。本当です。けど私は……私にも、好きな人が出来ちゃったから先輩の気持ちには応えられませんっ!」


 すると設楽さんから爆弾発言が投下されて、その場の空気が乱れた。なぜなら彼女の言葉のニュアンスからは、恋に落ちたのはごく最近だと伝わってきたから。


 ──つまり、直近ちょっきんで彼女の心を射止めた者がいる。


 そこに思い至った全員がザワザワと動揺している。特に、ことの経緯をずっと見守っていたヤンキー達の浮き足立ちっぷりが顕著けんちょだった。それも仕方ないことだろう。ここ最近で、彼女へと良い格好を見せていたのは彼らだ。不審者から守ってくれたという事実は、女子が恋に落ちる理由としては十分である。普通に想像すれば、彼らの内の誰かが、という可能性が大いにあった。


「はー……急にみんなソワソワしちゃって、まあ」

「佐和くんは期待したりしないんですか?」


 いつの間にかに結菜の隣に立って、ザワつく烏合うごうの衆を眺めている佐和くんに問いかける。設楽さんの想い人が、他でもない自分かもしれないと考えたりはしないのだろうか。


「いや、それはないだろう。俺はべつに彼女にアピールしてないし」

「ふーん……そうなんですか」


 結菜としては、その返事に何も思うところはない。ただ、言葉通りに「そうなんだ」と思っただけだ。


「ではこれで『サービスマン』は完了ですか?」

「そうだね。これ以上ないってくらいの大団円だ」


 大団円と言ってしまうと、約一名が絶望の底に沈んでいるから疑問ではある。だが、結菜達の仕事はこれで終わりだということだった。


「田中くんのこと、あとはよろしくお願いしますね」

「まあ、こういうとき、残念会を開いてやるのが友達ってもんだろうからな。やっておくよ」

「これ以上、設楽さんにつきまとうことがないように。フラれたのだからいさぎよく身をひけと、よく言い聞かせてください」

「了解だ」


 強い口調で言いつけると、佐和くんが苦笑しながらも頷いた。それでよしとする。あとはザワついている人達が落ち着くのを見計らって、解散を申しつければ今件はすべておしまいだ。


 にぎやかな集団をぼんやりと眺めつつ、ふと、佐和くんに問いかける。


「もしかして、中学生が大好きだってことはありませんよね?」

「べつに嫌いとは言わんが、こだわるところじゃない」

「ふーん」

「なんだかやけに気にするね」


 もうそろそろ深夜に届きそうな時間であったが、公園内は活気にあふれている。厄介なことに、騒がしい会合はまだまだ眠りそうにもなかった。


 ●


 その後、解散をする直前に、設楽さんから声をかけられた。

 連絡先を教えて欲しいという。

 断る理由はない。それどころか、この街に知り合いが少ない結菜としては、願ったりな話である。喜んで応じると彼女もまた喜色満面にあふれた顔をしていた。この先、彼女の進学が上手くいったとしたら、その時は改めて高校の先輩として振る舞おうと思う。

 

 そうして帰宅して、入浴し、自室へと戻る。

 

 すると早速、スマートフォンにメッセージが届いていることに気がついた。

 設楽さんからだ。そこには本日のお礼が書いてある。マメなことだと感心する一方で──その文末に、どうにも不可思議ふかしぎな言葉が記載されている事を知る。


『よければ結菜さんのことを【お姉様ねえさま】と呼ばせてください』

「……んん?」


 これにて一件落着である。

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