九重結菜、ふんばる

 ザリ、ザリ、ザリ……と。

 地面の砂利じゃりこすりつけるような足音が後方から聞こえてくる。公園の遊歩道はきちんと舗装ほそうされた路道であるから、これだけはっきり響かせるためには、相当に強いり足でないといけないだろう。


 ──わざと鳴らしている?


 こちらの恐怖をあおるために。

 そんな勘繰かんぐりをしてしまうが、今はそれを確かめる時ではなかった。結菜は真っ直ぐに行先を見据えて、ただ目的地まで急ぐことだけを考える。


「そういえば、美味しいケーキといえばやっぱり喫茶『マンハッタン』だと同級生に聞いたんですが──」

「はい……」


 同時に、それとなく設楽さんに話しかけた。後ろを歩くソイツに不審を抱かせないようにと画策かくさくしたものだが、当の彼女は沈痛そうな面持ちで平静をたもててはいない。確かに、現状で小芝居を打てというのはこくすぎた。仕方ないので沈黙のまま行く。どうか不穏な行動を思い立ってくれるなと、祈りながらに歩いていた。


 ザリ、ザリ、ザリ──


「……」


 ザリ、ザリ、ザリ──


「……」


 ザリ、ザリ……ザッ!


「っ」


 地面を蹴るような音が聞こえてビクリとする。もしや急に駆けだしてきたかと危ぶむが、少しするとまた、ザリ、ザリ、ザリと、規則正しい足音が聞こえてきた。


 ──こんなに怖いとは考えもしなかった。


 思わず弱気の虫が顔を出す。

 得体の知れない悪意がつかず離れずに後ろをついてくる経験など、結菜には覚えがない。思考に浮かぶのは悪い結末ばかりだ。抱きつかれて暗がりに連れ込まれやしないか、いきなりナイフで背中を刺されやしないか、などと、縁起でもない想像ばかりが湧いてくる。そも、後ろにいるのは誰なんだ。そんな疑いの念があったとしても振り向くことすら許されない。

 恐怖でどうにかなってしまいそうだ。

 甲高く悲鳴をあげて走り出してしまいたい。そんな気持ちを理性でグッと抑え込む。


「設楽さん、もう少しです。頑張って」

「はっはい」


 もしかしたら不用意に声をかけるのは軽率けいそつだったかもしれない。けれど、辛そうにうつむいている設楽さんを励ますために、そして自身の気を確かに保つためにこそ、前向きな言葉を告げる。もう少し行けば、ついに佐和くん達との合流地点である。そこまで辿たどり着ければ、あとは彼らに全てをゆだねて結菜達の役目は終わる。ならば、それまでは必死にこなしてみせようと、ひと踏ん張りしてみせた。


 遊歩道を中程なかほどまでやってくる。そこはお池公園の中心部であり、池を突っ切る橋がかけられていた。それを渡れば公園の反対側へと逃れられる。

 ひたすらに直線な一本道だ。

 ここに至ればもう正面にしか逃げ道がないからには、覚悟をもって進む。するとザリザリと鳴っていた足音が、コツコツと硬い地面を叩くような音にかわる。後ろのソイツも橋へと進入してきた様子だ。


「……っ⁉︎ 設楽さんっ、走って!」


 状況の変化を察知して大声をあげた。足音が変わった。カンカンカンッと、明らかに駆けてくる音がするからには、こちらも形振なりふり構わずに逃げるしかない。


「待ってくれ……!」


 後ろからそんな声が聞こえてきた。

 男性の声だ。

 だとしたら、結菜達の足ではすぐさまに追いつかれてしまうだろう。しかし予想に反して、しばらくは逃げ切ることができた。もしかしたら相手はひ弱なのか。そんな思いが頭をかすめるも、希望的観測ははなから捨てておくべきだ。全速力で走ろうとも、きっと追いつかれるに違いない。なので、橋の中央にまで到達したところで振り返る。


「かかってきなさいっ!」


 設楽さんを後ろにかばって、叫ぶ。

 本当に襲いかかられたらたまったものではないが、これで足を止めてくれという思いで怒鳴どなり散らした。大声を出して他人を威嚇いかくしたことなんて、生まれて初めての経験だったが、無我夢中でそれどころではない。


「ひっ──」


 対面した男がひるんだような声を出す。フード姿の若い男だった。表情などはよく見えないが、思ったよりも粗暴な雰囲気はない。少なくとも、女子を二人まとめて押さえつけるだけの膂力りょりょくは持ち合わせていないように見える。であるならばと、こちらから仕掛ける。


「女の子に乱暴して好きにしようだなんて、そんな真似まねはさせませんっ。あっちに行ってくださいっ」

「ちょ、ちょ、待ってくれっ。乱暴なんてそんな……俺はただ──」


 しかし、精一杯にすごみを利かせても、男は聞く耳を持たないようだった。ふらふらとした足どりで結菜達へと寄ってくる。いや、目的は設楽さんだ。よろめくようにしながらも、真っ直ぐに彼女へと向かってくるからには、そうはさせまいと立ちはだかる。


「何だってんだっ」


 これみよがしに警戒された苛立いらだちからか、男が声を荒げた。

 それを受けて、ついには覚悟を決める。


「設楽さん、逃げてください」

「えっでも──」

「いいから早くっ」


 強めに叫ぶと「あんたちょっと静かにしてくれ、頼むから」と男が手を伸ばしてきた。それがとうとう身体に届きそうだといったところで、結菜は目をつぶる。しかし何者かが、男と結菜の間に割って入ると、それは防がれた。


「九重さん、そこまで頑張ってくれなくても……」


 佐和くんだった。彼は背を見せて、結菜達を庇うようにしている。そして、フードの男の手を掴んだまま「いや、まずは『ごめん』かな。助けに来るのが遅れて」と言った。そんな彼の言葉に、結菜は「助かった」と、安堵あんどのあまり腰を抜かしてしまう。ペタンと橋の上に座り込むと、後ろから設楽さんが支えてくれた。


「怖かったです」

「いや、本当にごめんな。まさか犯人に啖呵たんかまで切ってくれるとは思わなかったよ。でも、おかげでこうして確保できた。お手柄だよ」

「あとはよろしくお願いしますからね」


 結菜が手短に言うと「任されよ」とこれまた短めの返答がある。その言い草はまるでアニメのガキ大将のようではないかと指摘したくなるものの、結局、そんな元気はないためあきらめた。


「さて、観念しろぃ。神妙にお縄につけ」


 佐和くんがフードの男に言い放つ。

 そのまま「お前は完全に包囲されている」と言った通り、橋の両端をヤンキーの方達が封鎖している。他に逃げ道はないからには、男にとってはもう完全な詰みだ。そうなると彼はどんな反応をするのだろうかと、固唾かたずを呑んで見守っていると「佐和ー……これはいったいどういうことだよう」と、情けない声がする。


「ん、あれ?」


 佐和くんが何かに気づいたような声を出した。


「俺だよ、俺。どうして俺はこんな目にあわなくちゃならんのだ」

「もしかして田中くん?」

「そうだよ」


 フードの男がやりきれないといった風に言う。

 どうにも話の雲行きがおかしい。

 結菜は気になって尋ねる。


「もしかして……知り合いなんですか?」


 すると佐和くんが答えた。


「同級生だよ」

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