サービスマン、美人姉妹を助ける⑥

 やがて光がおさまった後には変化のない病室があった。


「……とりあえず、死んでないから良し、と──」


 大輔は自らの体の調子を確認し、そうつぶやいた。

 もしかしたら、今頃はミイラになっていた、なんて結末があってもおかしくはなかったが、そうはならなかった様子だ。

 大輔がしたことといえば、既存の『呪い』を新しい『願い』へと書き換えるという荒技あらわざを行ったわけである。

 それは前例のない行為だったため、どれほどの『対価』を要求されるものなのか、まるで見当がつかなかった。なるべく『呪い』の本質を変えることないように唱えさせてもらったが、そのことがこうそうしたのかもしれない。消費された『対価』は許容範囲内でおさまったようだった。


「っと。まだ終わりじゃない」


 一つの山場を越して、気が抜けそうになっていた自らにかつを入れる。

 むしろここからが本番だ。

 そう思ってかたわらを見る。

 そこには憔悴しょうすいしているひまりちゃんの姿がある。マガダマに念じた通りに苦痛は感じていないようであるが、目蓋まぶたが重たそうに降りかかっている。その瞳を閉じさせてはいけないと、直感で理解した。状況は相変わらず切迫している。

 次いで彼女を覆うようにしている『呪い』を確認する。こちらには変化があった。


「お前はなんとまあ、随分ずいぶんとしおらしくなっちまいやがって」


 黒くておどろおどろしかった『呪い』の姿が、以前よりもおとなしくなっていた。

 見る者を不快にさせるようにうごめいていた『呪い』であったが、その挙動はピタリと止んでいる。加えて、湿っぽくてまるでヘドロのようだった形相ぎょうそうも、今はフワフワと上空を漂うハウスダストのような風体ふうていに変わっている。

 幾分か、その禍々まがまがしさが抑えられているような印象があった。


「つまり、これが俺の下心ってやつなんかな?」


 現在、この『呪い』の主は大輔ということになっている。つい先程に、そのように願わせてもらった結果だ。それに合わせて『呪い』の姿形すがたかたちも変わってしまったのだろうか。さしずめ今のコイツは『ジョンドゥの呪い』改め『サービスマンの呪い』である。


「自分で言っておいて、悲しくなってくるな」


 ということはつまり、この『呪い』の姿形は大輔の心情の表れだと言えなくもない。

 以前よりはマシになったとしても、汚いといえば汚い形相だ。

 なんだか自分にもゲスな思惑おもわくがあると突きつけられている気分になり、思わず閉口してしまう。誰だって自らの邪心なんて可視化して眺めたくはないだろう。


 ──これからすることを思うと、尚更にこたえるものがある。


 そう思うとともに、ふと、周囲からの視線というものが気になってしまった。

 だから、さりげなく辺りの様子をうかがってしまう。

 そこには四人の人間がいた。藤堂さんを除いた全員が呆然とこちらを見ている。大輔が何をしているのか理解できていないのだろう。九重さんもまた困惑げな顔をしている。

 それも仕方ないことだとは思う。事態は目まぐるしく推移すいいしており、まさに急転直下だ。傍観ぼうかんするだけで状況を熟知するのは困難だと思われる。思われるのだが……今でさえその状態であるのなら、この先の展開というものがまた不安になってくるのだ。これから大輔がしでかすことを彼女らに見られたのなら、決して小さくない誤解ごかいを受けそうな気がする。


「……ま、いいか」


 なによりもまずは人命救助が最優先である。時間がないのだ。いま大輔が何を目指して、どういう目論見もくろみで、何をしようとしているかなんて、いちいち説明している余裕はない。この先にきっと一騒動あるだろうが、そんなのはすべてひまりちゃんを救った後での話だ。その時のことはその時である。大輔の名誉なんてものは二の次にしてよい。

 そのようにやや乱暴に楽観する。

 いまだ観衆は不思議そうに大輔を見てきているが、受ける視線はすべて意識の外へと追いやった。そして、ひまりちゃんのもとへと寄り添う。

 いつまでも、彼女を苦しませるわけにはいかない。


「お待たせ、ひまりちゃん」

 

 呼びかけつつ、華麗な所作でベット脇にひざまずく。

 その動作は自分でも大仰だと思ったが、演技過剰なぐらいがちょうど良いだろう。

 大袈裟おおげさ片膝かたひざを立てて、ひまりちゃんの顔をまっすぐと見上げる姿勢をとる。


「これから一つ、君に『お願い』をしようと思うんだけど……聞いてくれるかい?」


 まるで自分が舞台役者になったかのような気分で台詞せりふを吐く。

 そこに照れや弱気なんかはいらない。自分はいまパリ・オペラ座の花形イケメン俳優なんだと、必死に自己暗示をかけながらにキザな挙動をとる。


「突然のことで君は驚くと思う。それでも、どうしても聞いてほしいんだ」


 そして情熱的な言葉をつむいだ。

 ひまりちゃんは不思議そうな顔で大輔を見るばかりだ。もしかしたら、大輔の突然の奇行きこうに、気でも触れたかと思っているかもしれない。本当にそう見られているなら不本意だ。

 しかし、これこそが必要なことだった。

 現在のひまりちゃんは『呪い』によって生命が危ぶまれている状態だ。それを救済する唯一の方法がある。それは大輔が彼女を「手に入れる」ということ。そうすれば『呪い』は晴れてその役割を完遂かんすいし、無害となる。

 そういうことになっている。

 そういうことになってしまった。

 しかしそうは言っても「手中にする」というのもまた曖昧あいまいな表現だった。何をどのようにすれば、大輔はひまりちゃんを「手に入れた」ことになるのだろう。果たして何を達成せしめれば、大輔はひまりちゃんを救うことができるのか。

 大輔は真剣にそんなことを考え込んだ。

 そして男女の関係において「手に入れる」となれば、それは一つの意味しかありえないだろうという結論を得る。


「俺は君が好きだ」


 そのためには、心にも無いことだろうが堂々とのたまった。

 不意に後方から「なっ⁉︎」という驚きの声が聞こえてくるが、無視する。

 たとえ「うそつきの女たらし」とのそしりを受けることになろうとも、言葉を吐くことをやめない。もしかしたら「ロリコン野郎」などと不名誉な称号をたまわるかもしれないが、それでもすことなんてありえない。


「これを君に──」


 大輔はふところから一つのモノを取り出した。

 それを丁寧ていねいに、ひまりちゃんの小さな指につけてやる。


「一生懸命に作ったんだ。どうか受け取ってほしい」


 それはクローバーで作られたエンゲージリング。

 かつてこの病室で、ひまりちゃんが目を輝かせて夢見ていた、白い花の指輪である。

 当然のように左手の薬指に付けられたその指輪に、ひまりちゃんは目を丸くしている。よほど驚いたのであろう。その様子は、身体の不調をもつかだけ忘れてしまったかのように見えた。


「ひまりちゃん……いや、九重ひまりさん──」


 大輔はつとめて真剣な様相をていし、おもむろに告げる。

 またもや後方から「まさか……⁉︎」という疑念の声が聞こえてきた。

 その通り。

 そのまさかである。

 まさか大輔も、今回の一件がこのような茶番じみた寸劇すんげきで終わるとは予想もしていなかった。だが、気持ちとしては大真面目おおまじめである。人の命がかかっているからには、もちろんおふざけなんて許されずに、極めて真剣に、すこぶる真心を込めて、ついにその言葉を告げる。


「──どうか俺と『結婚』してください」


 大輔がひまりちゃんを「手に入れる」方法。

 それはプロポーズである。


 ●


 その日、世界からむべき『呪い』が一つ、ひっそりと役目を終えた。

 まるで春霞はるがすみと一体化するように宙へと消えたその『呪い』の終焉しゅうえんは、随分とあっけないものであったという。

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