九重結菜、『対価』の正体を知る②

 状況はもう、彼と彼の持つ『マガダマ』に頼ることしか手は残されていない。

 藤堂さんはそう言うと、結菜の返答を待っている。

 慌てて結菜は言葉を返した。


「それが……連絡をとるけれど繋がらないんです。途中までは一緒にいたのですが」

「そうですか」


 藤堂さんは何かを思い詰めるような素振そぶりを見せ、黙して考え込んでいる。

 結菜には彼女が何を憂慮ゆうりょしているのか、よくわからなかった。しかし事情を聞きだして同調するだけの余裕を、結菜は持ち合わせていない。だから殊更ことさらに意気込んで自分の意見を述べる。それは自らをふるい立たせる意味合いもあったかもしれない。


「けど、佐和くんは必ず来てくれると思います。この時のために二人で『対価』を貯めてきたんですから」

「『対価』を貯める……?」


 すると藤堂さんは意想外な言葉を聞いたように、結菜へと振り向いた。


「結菜さんは一体なにを言って……?」

「え、なにをとは──」

「詳しく教えてください」


 藤堂さんの圧におされて、結菜はひと通りの説明をした。

 これまでに大輔と一緒に『サービスマン』として活動をしてきたということ。善行を積むことこそが神秘財『マガダマ』の『対価』になり得るのだと、大輔からはそう聞いていたことを。


「『人助け』をすればポイントのように『対価』が貯まると、佐和くんがそう言ったのですか?」

「は、はい……」


 藤堂さんのただならぬ様子に、結菜は萎縮いしゅくしてしまう。

 もしかしたら間違った言動をしてしまったのかと不安になった。けれど何が彼女の不興を買ったのか分からない。

 藤堂さんは「あの子は、まったく本当に──」といきどおる様子を見せている。


「いいですか、結菜さん──」

「結菜?」


 すると会話がさえぎられてしまう。

 振り返ると、両親が病室の扉を開いていた。

 心配だった母も、父の介添かいぞえを得てようやく入室する覚悟を持ったようだ。ゆっくりと足を踏み入れてくる。二人は藤堂さんの姿に気づくと、ひまりの助命についてなにか方法がないのかと詰め寄った。だが答えは結菜の時と一緒である。「全ては彼にたくされました」


 やがて病室内は静かになった。


 聞こえてくるのは一定のリズムを刻むピッピとした機械音だけ。

 両親はいのるようにして頭を垂れて、ひまりの傍にいる。結菜と藤堂さんはそれを背後から眺めるようにしている。

 藤堂さんが一つ大きく息をついた。


「私はこれから、余計なことを言うのかもしれません」


 そして結菜へと真っ直ぐに視線をよこす。


「彼はきっと結菜さんには不要な心配をかけまいとしたのだと思います。けれど私は、あなたには正しいことを伝えなければならないと判断します」

「それは……正しいこと、とは……?」


 藤堂さんの口調に不穏ふおんな空気を感じて結菜は尋ねる。

 しかし彼女はその疑問には答えずに「結菜さんには、あの子のことを知っておいて欲しいのです」と言った。


「どうか最後まで自棄やけにならずに聞いてください」

「……はい」

「佐和くんが結菜さんに言いました『対価は善行によって貯まる』という言葉──それはうそです」

「嘘……?」

「正確には、根も葉もない出鱈目でたらめではありません。しかし、彼の言い分は決して神秘財というモノの本質をついた言葉ではありません。彼にも色々と難儀な事情があります」


 藤堂さんは一度言葉を区切ると、おもむろに語り出した。


「古来より『人の願いを叶える器物』──神秘財は世界中に存在していて、人々はその恩恵を受けながらに日々の営みを送って来ました。その来歴には様々なものがあります」


 歴史をかえりみると、実に様々な神秘財の姿をうかがい知ることができると彼女は言う。

 かつてとある王宮においては、持ち主の願いを叶えるという美しい宝石があった。とある外国の田舎町においては、胡散臭うさんくさいカルト教団が代々伝わる宗教儀式をもって祈願を続けている。飢饉ききんの時代には、雨乞あまごいのために純潔の乙女が湖の底へとその身を沈めていて。国家隆盛の時代には、変わらぬ繁栄を願い生贄いけにえの心臓がピラミッドの頂点に捧げられている。

 どれも現実に起こった出来事だと。

 そうして叶った悲願があるのだと。


「有形、無形は問われません。ただ代償をもって『願い』を叶えてくれる物体や儀式こそを神秘財と呼称します。そのように種々様々な神秘財ではありますが、ただ一つだけ共通なことがあります。それは求められる『対価』が同一だということです」


 そして藤堂さんは神妙に、言葉を選んだようにしてその台詞せりふを放つ。


「人の『命』を代償とするモノこそを神秘財と言います」

「人の……いのち?」


 咄嗟とっさには、その言葉の意味が理解できなかった。

 それを察したのだろうか、藤堂さんは間をおかずに言葉を続ける。


「『生命力』『寿命』『天命』。いろんな言葉に言い換えることもできるでしょうが、『人が生きるために必要なエネルギー』それを以て『対価』とします。神秘財というの当然のごとくそれを喰らうのです」


 まるで感情を押し殺しているかのように、能面のように冷たい表情をもって、藤堂さんは言う。

 結菜にとって、そんな彼女の言葉は到底受け入れがたいものであった。


「そんなっ、でも佐和くんは生きていますっ。いつかは『マガダマ』を使ってひまりを助けてくれてっ──」


 それは大輔と最初に出会った時のことだ。

 彼はひまりの危機を救ってくれて、ピンピンとしていた。決して結菜たち姉妹へと恩を着せるようなことは言わずに、飄々ひょうひょうとした態度をとっていたのだ。それなのに、実は自らの命をかけてくれていただなんて、容易には信じられるはずがない。

 そのように問うと答えは返ってくる。


「知っています。ですから彼は現在、とても危険な状態にあるのです」


 藤堂さんは「いいですか?」と改まって聞いてくる。

 その表情からは、これから言うことを決して聞き逃すなという気迫がある。


「彼は幼少期からの度重たびかさなる『マガダマ』の使用により先がありません。まるで鉛筆を削るようにしてその『命』を使ってきました。だから、すでに風前の灯火ともしびなのです。信じられないでしょうが、あれでいて余命が一年にもならない虫の息なんです」


 藤堂さんの言葉が結菜には信じられなかった。

 まさかあの大輔が薄命だなんて、誰が予想できるというだろう。

 彼はいつだって暢気のんきに笑っていた。

 いつだって軽口をたたきながら楽しそうに生きていたのだ。

 けれど結菜は、いつかの大輔の言葉を思い出してしまう。結菜が命懸いのちがけでもひまりを助けるとそう宣言した時に『九重さん命をかける必要はないよ』と、彼は確かにそう言っていた。であるならば、いったい誰が命をすというのだろう。

 そしてついに、藤堂さんは結菜へと無理難題を迫ってくる。


「だから……私たちは覚悟をしなければなりません」

「……覚悟?」

「ええ」


 結菜は耳をふさいでしまいたい気持ちで一杯いっぱいだった。もう何も聞きたくはない。しかしそんなことは許されずに、藤堂さんが無慈悲むじひにもそれを口にする。

 

「ひまりさんを救うためには、我々は彼に『死んでくれ』と、そう言わないといけないのです」


 その言葉は、究極の選択を迫る悪魔の声のように、結菜には聞こえた。

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