サービスマン、美人姉妹を助ける

九重結菜、『対価』の正体を知る①

「ご家族の方は『覚悟』をしておいてください……今夜がとうげです」


 担当医の言葉を、結菜は呆然とした心持ちで聞いていた。

 意外にも感情は波打つことなく淡々としている。しかしそれは決して全てを悟った結果というわけではなく、ただ事実を受け入れきれずに現実逃避をしているだけの意味合いが強い。

 結菜の目前では、母が泣き崩れていた。父が彼女の身体を力強く支えているのだが、彼の肩もまた震えている。結菜はそんな両親の姿を見るのが辛くなってしまい、一人でそっと診察室を抜け出した。


 病院内の長い廊下を行く。


 すでに時間帯は真夜中であり入院患者すら起き出さない頃だ。一定の間隔で電灯が備え付けられてはいるものの、節電のためだろうか通路は薄暗い。

 とても気味が悪かった。

 長い一本道の奥にポツンと見える緑の光。あれはきっと非常経路を知らせるための明かりなのだろう。だが、白い壁と薄暗い闇だけが延びる通路の中ではとても目立っている。

 まるで結菜を黄泉の国へといざなっているかのようだ。


「あれ……? 私ひとりだ」


 ふと、自らの現状を不思議に思いつぶやいた。

 どうして私は一人だけでこんな薄気味の悪い廊下を歩いているのだろう。

 そんな素朴な疑問を覚えたのだ。


「ああ、そうだ。佐和くんがいないんだ……」


 大輔とは別行動をとっている。

 ひまりの危篤きとくを伝えると彼は「やるべきことがある」とだけ言って結菜から離れていったのだ。彼がいない隣の空間にえもいわれぬ頼りなさを感じる。


「何を言ってるんだ、私は……そんなのずっとそうだったじゃない」


 しっかりしろと思い直す。

 彼と行動を共にしていたのはここ数週間だけの話だ。それまではずっと一人だけで頑張ってきたではないか、今更に誰かにすがりついて身をゆだねるなんて情けない真似まねはできるわけがない。そのように思考する。

 そうしていると病室へと到着する。

 そこにはベットに横たわるひまりがいた。

 その姿はとても無残むざんで、否応なく結菜の心を傷つけてくる。

 幼くて小さい身体にはいくつもの管がつながれている。管の先にある無機質な機械が静かな病室の中でピッピと音を出している。担当医の先生は「手は尽くしました」と言っていた。だから現在は、この機械たちだけがひまりの生命を保障しているのだ。

 不安なんて言葉では言い表せないほどの心痛が結菜をさいなむ。


「そうだ。私がしっかりしないといけないんだ」


 そのように自らを叱咤しったした。

 あまりにも非現実的に見える病室内の様子はかえって結菜を現実に引き戻す。自分はひまりの『お姉ちゃん』なのだと身を引き締めた。勝手に一人だけで諦めるなんてこと、結菜には許されない。

 しかし、そのように思い直したところで、結菜にできることは限られている。

 結菜には医学的な手腕なんてもちろんない。状況をひっくり返すことができるような、超常的な切り札なんてものも持ち合わせていない。だから伝手つてを頼ることしか結菜にはできない。

 そう思って大輔へと連絡をとる。

 しかし携帯電話のコール音は鳴り響くばかりで、彼からの応答はなかった。


「お待たせしました」


 そのときだ。

 病室の入り口から声をかけられる。

 振り返るとそこにはスーツ姿の女性の姿があった。


「病院から連絡をもらって来ました」


 藤堂さんである。

 彼女は来訪して早々に、結菜のもとに歩み寄ってくる。

 そして肩にそっと手を置かれた。


「結菜さん……さぞお辛いでしょう、ご心中はお察しします。けれど私は自分のお仕事をしなければいけません。ごめんなさいね」


 同情はするが結菜をなぐさめることをしないと、彼女は言っている。

 しかしそれでよかった。

 ありきたりの気休めを得られたところで、結菜は更に苦しい思いをするだけだっただろう。だから彼女のその気遣いが、結菜としてはありがたかった。


「いえ、大丈夫です。藤堂さん、どうか私にできることを教えてください」

「あなたは強い人ですね」


 結菜が気丈にも言ってのけると、藤堂さんはかすかに笑みを浮かべる。

 しかしすぐさまに厳しく表情を切り替えると言った。


「あなたにできることは何もありません」

「──っ。そう……ですか」

「はい」


 藤堂さんは一度言葉を区切ると、そのまま結菜をさとしてくる。


「ひまりさんの病状の悪化は間違いなく『呪い』に関係する出来事です。その証拠として──いえ、実際に『見て』もらうのが早いですか」


 そう言うと藤堂さんは一つの物を取り出した。

 朱色のフレームをした眼鏡である。

 彼女はそれを手渡してくると、言葉少なげにかけてみろと言った。


「気を強く持ってください」


 藤堂さんのその言い草に微かな恐怖を覚えた。

 だが、結菜は思い切りをつけて装着する。

 

「なっ……」


 ──そこには異形があった。


 ベットに横たわるひまりに覆い被さる『何か』がいる。

 最初はそれが何なのか、わからなかった。

 しかしずっと聞かされていたと思い直す。

 ひまりは呪われているのだ、と。

 これまで大輔や藤堂さんの言葉を疑っていたつもりはなかったが、『見る』と『聞く』とでは実感が違った。思わず息を呑む。結菜の両目にて視認されたソレは、ウゴウゴとどこか億劫おっくうそうな様子でうごめいていた。


「これが『呪い』です」


 藤堂さんは言った。

 目に見えないそれに対処するのは非常に難しい。だから彼女たちは専用の器具を用いて、このように呪いを視覚化するのだという。その原理については教えられないとも。


 ソレは見れば見るほどにおぞましかった。

 ヘドロのような体躯、モヤのように境界が曖昧あいまい輪郭りんかく。黒くておどろおどろしい『何か』。最初は無機質だと思われたソレは、どうにも意思ある生物のような挙動きょどうを見せている。よく見ると四肢があった。そうしてマジマジと観察しているとようやく、ソレが人型を模した何かしらであるということに気づく。

 そいつはその汚らしい身体をひまりへとこすりつけるようにしていた。

 緩慢かんまんにヘコヘコと腰を振るような素振そぶりをしている。


「……っ⁉︎」


 その意味に思い至ったとき、結菜はカッとなった。


「このっ……‼︎」


 頭に血が上り『呪い』の影をひまりから引き離すように手を上げる。しかし振り下ろされた拳は宙をぐだけだった。荒い息をあげて、何度も何度も『呪い』を引きちぎろうとするものの、空虚だけがその手に感じられた。


「『呪い』に干渉できるものは同じく神秘財を使用した『願い』しかありません」


 すると結菜の激昂げっこうを抑えるようにして、藤堂さんが言う。


「そして現在、我が国においては十二点の神秘財が確認されていますが……どれも、ひまりさんのために使用することは叶いません」


 藤堂さんはそこで「私は結菜さんには謝らないといけない」と声の調子を落とす。


「先ほど、あなたにはできることが何もないと言いましたが、私にだってやれることはもうないのです。なんとかひまりさんのために神秘財の使用を融通ゆうづうしてもらえないかどうか、掛けあってみたのですが……力が及ばずに申し訳ありません」

「そんな……なにかないんですか? なにか方法が──」

「一つだけ」


 結菜の声音をさえぎるようにして藤堂さんは言う。


「個人が所有しているが故に、持ち主の自由使用が認められている神秘財が一つだけあります。そして先日、その持ち主から使用申請が提出されて、通りました。私はその許可を言い渡しにここに来ています。

 だから問題なのは、これだけに強力な『呪い』を打ち消すだけの力を彼がひねり出せるのかどうか。『呪い』を打ち越える『対価』が用意できているのかどうか──」


 そこで藤堂さんは極めて重要なことだと言わんばかりに尋ねてくる。


「佐和くんは今どこにいますか?」

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