転章

それはまるで砂漠で見る蜃気楼のように

 それからも、大輔と結菜による『サービスマン』の活動は連日のように行なわれた。

 ある時は、誰もが見向きもしないような『助けて』の声を聞きつけて。

 またある時は、誰もが手出しできぬような悪辣あくらつな不道徳を征伐せいばつする。

 その活動はまさに東奔西走とうほんせいそうと言うべき振る舞いであり、生半可な覚悟しか持ち得ない者であれば、とうの昔に逃げだしてしまうような過酷さがあった。


「九重さん大丈夫?」

「何がですか?」

「ここ最近は本当に休みなしで駆けまわってるからさ、疲れたりしてないかなって──」

「大丈夫です」


 それでも結菜はついてきた。

 自身の信念のもとに活動する大輔のいわば『身勝手』に、一言の不満も漏らさずに追従してきたのだ。

 その原動力は言わずもがな、小さな妹を案ずるがゆえである。 


「ひまりのために無理をお願いしてるのはこちらなわけです。佐和くんがこれだけ頑張ってくれてるのに、私が先にをあげるわけにはいきません」

「俺のことは別に気にしなくていいよ。いつもやっていることを当然にやるだけなんだから」

「それでも私たち姉妹のために、いつも以上の案件をこなしてくれているんでしょう?」

「……それは確かに、そうだけど」

「だったら私も当然の行動しているだけです」


 全ては大切なひまりのために。

 彼女の行動はそのように一貫していた。

 だが、その心境には変化があった。


「それにですね。最近少しだけ……少しだけですよ? 佐和くんの『サービスマン』の活動が楽しくなってきたんです」

「楽しい?」

「ええ」


 結菜はここにきて自らの行動に新しい意義を見出し始めていた。

 理由は間違いなく隣に立つ大輔による影響が大きい。


「佐和くんと一緒に活躍しているうちに、なぜだか充実を感じている自分がいることに気づきました」

「それはまあ、何というか……とてもご立派な心意気で」

 

 居心いごころが悪そうに答える大輔のことを結菜は不思議に思う。

 この人はどうしてこんなにも遠慮をするのだろう。

 しばらく彼と行動を共にして気づいたが、大輔はかたくなに自らの行いを「世のため人のためなんかじゃない」と言うのだ。だが、結菜からしてみればそれ以外の何物でもない話である。人々の救いの声に応えて「ありがとう」の一言をもらう行為が、とても素晴らしいと所業だということは誰だって理解できるところのはずだ。それなのに大輔には自らを卑下ひげしているふしすら感じる。

 それが不思議でならない。

 だから結菜は、彼がどれだけに有難いを振る舞いをしているのか、伝えるためにも口を開いた。


「佐和くんのおかげで、私がこれまで常識だと思っていたものは、とても狭い場所を見ているだけだったんだと改めて実感しているんです」

「たとえば?」

「えっ、そう言われると咄嗟とっさには……そうですね。素行そこうが不良そうに見えても、性根しょうねが尊敬できる人というのも存在するんだなと知れたこととか」

「ああ、あのヤンキーどものことか」

「そんな言い草はよくないですよ。いえ、私も最初は色眼鏡いろめがねを使ってたから同類なんですが」


 結菜は大輔と一緒に『サービスマン』の活動することにより、世界が新しく見えてきたのだ。これまでに生きてきて、把握はあくしていると思いこんでいた世界は、その実とても小さいことに気づかされた。


「あいつらもなぁ、確かに気持ちのいい奴らではあったんだが……今度、改めてびを入れにくるって物々しく言ってたから、そのときにでも本腰を入れて話してみたら? きっと喜ぶと思うよ」

「考えておきます」

「ああ、あとほら、『合コン』の助っ人の件。奴らからも伝言がきてたよ。もう一度、九重さんにアタックするからリベンジをさせてほしいって」

「それについては遠慮させてもらいます」


 そして思ったよりも広かった世界の中には、小さな善意というものがたくさん隠れていた。

 大輔という人物は本当に不思議な男性で、彼が関わると、人々は大なり小なりに喜びを感じるようにして笑うのだ。彼の見せてくれる世界には、きっと笑顔と優しさが溢れている。そんな素敵な事実を教えてくれた。

 そんな彼のことは、ひまりのことを別にしたとしても、とても感謝している。


「九重さんは真面目だな」

「真剣に生きることは悪いことじゃないですから」

「そりゃそうだ」


 だから結菜は、大輔の軽口に笑顔で答えることができる。

 自分が今、とても恵まれた世界を生きていることを実感できるからこそ、すべき事を精一杯に頑張ろうと思えるのだ。

 もしかしたら、そんな結菜の心がけを天が見ていてくれたのかもしれない。

 とある吉報が大輔からもたらされる。


「そんな九重さんに朗報がある。藤堂さんから連絡があってね。ひまりちゃんの『呪い』を解呪する段取りがついたって」

「本当ですかっ⁉︎」

「ああ」


 大輔が彼にしては珍しく柔らかい微笑を浮かべる。


「ようやく某国ぼうこく何某なにがしさんから連絡が来たらしい。早くても来週には、あちらさんの神秘財を日本へ輸送できる手配がついたって」

「それはつまり、ひまりは……」

「助かるよ、もちろん」


 力強く頷く大輔の様子に、結菜は思わず涙を浮かべてしまう。

 それは結菜が願ってやまない望みの実現であった。

 これまでに何度、夢見たことか。

 そして何度、裏切られてきたことか。

 結菜は歓喜と安堵あんどの感情でいっぱいになってしまい、言葉をなくしてしまった。


「良かった……本当に良かった」

「おかげで九重さんには骨折り損をさせてしまったかなってのが申し訳ないところなんだけど、サービスマン、嫌じゃなかったかな?」

「そんなことっ」


 結菜にとって、彼と一緒に活躍した日々は宝だった。

 だから言う。「嫌なはずなんてないですっ」

 

「ちょっとでも意義を見出してくれたのは良かったかな」


 すると大輔は安堵したように笑った

 その顔を見たとき、結菜は彼と初めて会ったときのことを思い出した。

 決して耽美たんびとは言えないような、クチャクチャに歪められた不細工な笑顔。それを見ると何故だか、胸の奥がムズムズしてしまうような不思議な感情を覚える。

 だからそんな大輔の笑顔に報いるべく、結菜は万感の思いを込めて口を開いた。


「佐和くんには本当に感謝しています。あなたがいなければ私は──」


 そのときだった、電話が鳴った。

 結菜の学生鞄の中から、携帯電話の着信音が鳴り響いていた。


「電話だね」

「そう、ですね」

「でないの?」

「いえ、そういうわけでは……」


 どうしてだろうか。

 結菜はその着信を取ることを躊躇ちゅうちょした。 

 その甲高い響きに、何か不吉なきざしがあるような気がしたのだ。

 しかしだからといって、無視をするわけにもいかない。

 結菜はためらいつつも電話をとる。

 すると──


「はい──え?」


 聞こえてくる言葉を、結菜の頭は『聞きたがえ』であると思い込もうとしていた。

 とてもではないが信じられなかった。

 いや、信じたくなかった。

 しかし受話口から続いてくる言葉は、結菜を無慈悲にも現実へと引き戻す。


「ぇ……ぁ」


 結菜の視界はまるで水中で目を開いたときのようにゆがんでしまっていた。

 世界中の全ての物がぐにゃぐにゃに見えた。

 だから堪えきれなくなって耳から携帯電話を離す。

 すると母親の悲痛な泣き声が、遠くスピーカーの方からかすかに聞こえてくるだけになった。

 なんだこれは?

 自分は今どこにいるのだ?

 わからない。

 もう何もわからなくなっていた。

 そして大輔を見る。

 彼は心配そうな顔をして結菜を見ていた。


「どうした?」

「佐和くん……」


 結菜は知らなかったのだ。

 この世界には、善意だけではなく、どうしようもない悪意もまたひそんでいることを。

 そいつらはとても狡猾こうかつだった。

 何をすれば人が絶望におちいるのかをよく熟知していた。

 人が堕落してしまう時機がどのときであるかを理解していた。

 だからこそ、注意しなければならない。

 だからこそ、覚悟しなければならない。

 悪意というのは最悪のタイミングでやってくることを。


 それはまるで砂漠で見る蜃気楼しんきろうのように、望み焦がれるものほど消えてなくなる──


「……いま……病院から……ひまりが──意識不明の重体だって」


 ゆめゆめ、忘れることなかれ。

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