九重結菜、回想する②
ひまりは生まれつき病弱だった。
初めて異変に気づいたのは母だ。どうにも体調のすぐれないひまりを心配して、病院に駆け込んだのだ。すると彼女には難儀な病気があることが判明した。
けれど決して絶望することなんてなかった。
世の中には病理を克服して生きていく者だってたくさんいる。そんなのはちょっとしたハンディキャップだ。そのような心持ちで家族が一団となって病魔と闘った。そうしてとうとう打ち勝ったと思われたとき、当時のお医者様は、とても言いにくそうな顔をしながらに言った。
「ひまりさんの身体に、新たな疾患が見つかりました」
それからも闘病の日々が続いていったことは言うまでもない。
ひまりにとって、それは、どんなに厳しい日々であったことだろう。
だが、どうにもおかしいのだ。
病魔に抗うたびに、彼女の身体はまるで反発するかのように不良を起こす。一つの病気を克服すれば、すぐさまに新しい疾患が見つかる。まるでいたちごっこだ。
何かタチの悪い運命に
今でも、彼女の小さな身体にはあらゆる病理が蝕んでいる。けれど当の本人は、ひまりはまだ幼くて、自身の不幸なんて
彼女はそんなことよりも、子供らしい空想にこそ心を躍らせているようだった。日々の生活に隠れている不思議を見つけては、好奇心旺盛に冒険へとくりだそうとする。彼女はとてもヤンチャな子に育っていた。
あの時も、ワガママを言って結菜を困らせた。
「ウマさんにのりたい」
ひまりが会話をこなせるようになった歳の頃。母親の愛読書をのぞき見て、何やら影響されてしまったらしい。乗馬をしてみたいと駄々をこねだした。
漫画にある白馬の王子様というものに憧れたらしいのだが、どうにも解釈の仕方が独特で、白馬そのものを憧憬の対象としたようである。結菜としては若干の「なんじゃそりゃ」感を持ちながらも、まずは彼女を
当時のひまりは、また新たな疾患が発見されたばかりで、とても運動ができるような状態にはなかった。両親に外出を相談したところで、きっと歯牙にもかけられないに違いない。だから「今は
「おねえちゃんといっしょに、おウマにのりたいっ!」
ついに結菜は根負けした。
きっと、同情の気持ちがあったのだと思う。ひまりのような遊びたい盛りの子供が、病気を理由にその行動を制限されるなんて、気の毒に思えてならない。
とにかく、お馬さんに乗ってみたいという願望をそのまま叶えてやることは難しい。なので、代わりに自転車の荷台に座らせてみた。そして結菜が自転車のハンドルを引いて歩く。するとまるで、乗馬する令嬢とそれを引く
その日はポカポカとした春の日だった。
連れだって、自宅近所の路上を行く。
「おねえちゃん」
「なぁに?」
ニコニコとした気配を見せながら、ひまりが呼びかけてくる。
「ひまりはおひめさま」
「そうしたら私は、お姫様の
カラカラと自転車の車輪を回しながら聞いてみる。
この鉄グルマを白馬とみなすのであれば、それを引く結菜は
「おねえちゃんはおうじさま」
「王子?」
「うんっ!」
元気のいい返事に、思わず笑みをこぼしてしまう。
なんとも可愛らしい空想だろうか。
その無邪気な様子に、あまり王子様という
「そうしたら──」
ふと、歩く先にちょうど良いものを見つけて足を止める。
自転車のスタンドを立てて、ひまりに待つように伝えた。少しばかり離れたところにある場所へと向かう。そこには野原と言うほどに広い敷地ではないが、街角にポカリと野草が生えている所があった。
そこで目当てのもの調達すると、ひまりの元へと戻る。
ひまりは結菜の行動を不思議そうに見つめていた。
それに少々気取った口調でこたえる。
「王子様というのはね、お姫様にプロポーズするの」
「ぷろ?」
「『結婚してください』ってお願いすることよ」
「けっこん、ってなに?」
「うーん、まだよくわかんないか」
苦笑して、ひまりの頭をポンポンと撫でてやる。
すると、くすぐったそうにしながら首を傾げている。
結菜の言っていることがよくわからないのだろう。幼い妹は、まだまだ男女の機微というものを知るには早かったようだ。しかしそれでも、なにかしらワクワクする様子を見せている。であるならばと、そんな彼女に手を出すように伝えた。
すると小さな指が十本ばかりヌンと突き出される。
結菜はその中の一本を優しく受け止めると、その指先に、一つの『オモチャ』をつけてやった。
「私はおねえちゃんだから、こんなモノしかあげられないけれど。ひまりが大人になったら、いつか本物の王子様がちゃんとした指輪をくれるわよ」
それは指輪だった。
野原に見つけたクローバーで編んだ、小さなリング。
そこには宝石代わりの白い花がぽんにゃりと主張している。
「わぁ」
ひまりにとってそれは何より素敵なモノに映ったようである。子供のごっこ遊びでしかないリングを、キラキラとした瞳をもって喜んでいる。結菜も、その様子を見て満足するように頷いた。
その後もずっと、姉妹二人で春の往来をゆく。
あれはなんだこれはなんだと、見慣れない外の景色に一喜一憂するひまりとおしゃべりしながら、ゆっくりゆっくりと歩いていく。
それらは結菜にとって遠い記憶でもない、けれども、大事な思い出だった。
あのときに見た、満開の花のような笑顔は、結菜は生涯忘れることがないだろうと感じたのだ。
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