サービスマン、六歳の幼女を口説く

「ひまりちゃんは普段ふだん、何をして過ごしているの?」


 とにもかくにも、何かしらの話題を提供せねばなるまいと思い、相手の事情について聞いてみることにした。人というのは基本的には自分語りが好きな生き物であると、何かのテレビショーで見た気がする。なので、ひまりちゃんが自己表現が苦手なシャイガールだとしても、一定の効果はあるだろう。


「えっと……うんと……」


 すると、ひまりちゃんは所在なさげにモジモジとした様子を見せた。大輔は彼女を急かすことなく返答を待つ。そもそもこの会話の目的としては、藤堂さんたちが帰ってくるまでの間繋まつなぎであるので、ひまりちゃんの気がまぎれているのであればそれでいい。

 一見したところ人見知りするかと思われた彼女ではあったが、それでも芯はしっかりとした子であるようで、はっきりとした声音こわねが返ってくる。


「本をよんでる」

「本?」


 彼女の視線が横へとれたのを受けて、つられてそちらを見る。

 ベット脇の棚の上に、数冊の本が、背表紙をこちらに見せて並んでいた。


「すごいな。こんな大人みたいな本を読んでるの?」


 感心して言うと、ひまりちゃんは顔を赤くする。

 ほめられて嬉しかったのだろう。

 棚に並んでいたのは、どれもそれなりに厚みのある、文庫本や漫画単行本だった。もちろん大輔ぐらいの年齢であれば、そのような冊子を読んだところで自慢にもならない。だが、これが六歳の子供の愛読書となると、中々に珍しいことだと思える。漫画ぐらい読んでもいい年齢だとは思うが、まだまだ絵本などの児童書しか読めなくてもおかしくはない。

 ただ、どれもこれも子供向けというか、カラフルで淡い色をした装丁そうていだ。きっと女児向けなのだろう。大輔にとって興味がそそられるモノではないと思われる。しかし、無下にする理由もないので「読んでみてもいい?」と尋ねてみた。すると彼女は再度、モジモジと照れくさがるような態度を見せるが、最後には「いいよ」と許可してくれた。

 適当な一冊を手に取って読んでみる。


「うーむ……なるほどなるほど──」


 少女漫画だった。

 それもローティーン向けの。


「あれだ。ポワポワのドキドキで運命のアバンチュールだ」


 適当な語句を並べたててみるも、てんで的確に表現できた気にはならない。どうしたって大輔には理解が及ばないジャンルである。

 どうやら恋愛を主題とした物語のようだ。やけにお目目がぱっちりした主人公が「先生のことを考えると胸が苦しくなるの──」と、目一杯にお花を背負いながらモノローグしている。胸が急に苦しくなるのは深刻な症状なので病院へ行きましょう、という感想はきっと野暮やぼなのであろう。

 あとは少々古臭い絵柄のようにも思える。気になって奥付おくづけを確認してみると、出版された年月日は二十年ほど前の日付であった。その理由を尋ねてみると「おかあさんの本なの」という返答があった。つまり母親が昔に買った本を、いま彼女が読んでいるということなのだろう。

 つい「どうりで」と納得してしまう。

 なんというか漫画の内容が、随分ずいぶんとエキセントリックだったからだ。


「あのさ、ひまりちゃん」

「なあに?」


 漫画のとある一ページを指して尋ねる。


「この担任の先生から主人公ちゃんへのプロポーズってどう思う?」

「ドキドキする」

「そうかそうか──」


 しかし大輔は別の感想をもってしまう。

 それは畏怖いふの念だった。


「そういえば小学校のとき、いたなぁ──」


 ふと、思い出してしまう。

 それは大輔が小学生の時分、クラスにいた同級生のことだった。

 彼女はとある日に一つの告白をしたのだ「私、大学生の彼氏がいるんだ」と。当然、クラスメイトたちは驚愕きょうがくする。そして続いた反応は「えーすごいー!」という、彼女の恋愛を特別視した言葉だった。誰もが彼女の交際を持てはやした。小学生にとって大学生というのは「大人っぽい」のではなく「大人」だったからだ。お遊びではない本物の「大人の恋」をしていた彼女は、同級生の誰よりも進んだ存在だった。

 だがよわいを重ねて色々と社会というものを知ってくると、当時の出来事に、また違った感想が湧いてくる。


 いや、ロリコンやんけ。


 相手の男性の、小学生と男女交際ができる人間性が、ちょっと信じがたい。

 結局その同級生の大胆な告白は、真実だったのか、それとも単なる見栄だったのか、定かではない。だがクラスメイトたちを大いに沸かせたのは事実だった。

 この漫画とて同じことだろう。面白いことには違いない。

 読者からみれば、大人に憧れる少女と教師とのインモラルな恋愛模様、楽しくないはずがない。それにだ、漫画のような愉快な娯楽作品に対して、堅苦しいことを物申すこと自体がナンセンスである。年齢がどうとか、社会通念がどうとか、どうでもいいことなのだ。それでも昨今は何かとセンシティブな時代であるからには、この登場人物たちのストレンジな恋愛模様も許容されていいものかどうか──

 そのように大輔が、漫画のページをめくりつつ、妄想の旅へとフライトしていると「あの……」と声をかけられる。見ると、ひまりちゃんが困ったようにこちらを見ていた。どうやらほうけ過ぎたようだ。

 気を取り直して彼女へと向き直る。


「なんだい?」

「あの……」


 ひまりちゃんは意を決したようにして口を開く。


「おにいさんは、おねえちゃんの……カレシさんなんですか?」

「……」


 予想外の質問に絶句してしまった。

 どうやら大輔のことを、姉のい人ではないかと疑っているらしい。

 少しの間、どう答えたものかと思いめぐらすも、無難に答えた方が良いという結論に達する。


「違うね」

「……そうなんだぁ」

「残念かい?」

「うん」


 ひまりちゃんは素直すなおにコクリと頷いた。


「お兄ちゃんが欲しかった?」

「ううん」

「じゃあどうして?」

「おねえちゃんは、ひまりのことがすきすぎるから、もっとすきな人がいればいいとおもうの」

「ほうほう」


 それはまた面白い言い草である。

 興味をそそられて、より深い真意を聞いてみる。


「お姉ちゃんに好かれるのは嫌なのかい?」

「ううん、そんなことないよ」

「それじゃあなんで、ひまりちゃんはお姉ちゃんに好きな人がいればいいと思うの?」

「だって、おねえちゃんはひまりといると、なきそうなかおするんだもん。だから、おねえちゃんはコイをするのがいいとおもう」


 思わず、この子はすごいなと、本当に感心してしまった。

 九重さんが泣きそうな顔をするというのはおそらく事実だろう。それはきっと、妹の身を案じているからこそ生まれる感情であるに違いない。そして目の前の小さい少女は、それが不服なのだと言う。そしてそれを解決する手段こそが「恋」であるのだと。

 それはまた子供らしくない、心の機微きびというものを感じさせる意見だった。


「ひまりちゃんは恋愛に興味があるの?」

「えっと……うん」


 尋ねると、ひまりちゃんは気恥ずかしそうに頷いた。しばし口を閉じて、モゾモゾと身じろぎをしている。彼女ぐらいの年齢であればそれも順当かと思える。おしゃまな女の子というのはそれはそれで健全な成長過程であると言えるだろう。

 ひまりちゃんはそのまま黙りこくるかとも思われたが、なにか伝えたいことがあったようで少々興奮気味に口を開いた。


「あのね、あのね。コイビトになったらね男の人はね、女の子とデートするの」

「うんうん。確かに、恋人ならそれぐらいするだろうね」

「それでねそれでね。プロポーズもするの」

「ほう、それはまた大胆なことで」

「うん、ダイタンなの」


 ひまりちゃんは矢継ぎ早に言う。

 お話をするのに夢中な様子であった。

 きっと、幼いなりに理想の恋愛像というのがあるのだろう。

 恋に恋する少女は、まだ見ぬロマンスについて語っていく。


「そしてね、男の人はね女の子にね、ユビワをわたすの」

「それはどんな指輪だい? やっぱりダイヤモンド?」


 ゆっくりと空想を聞いているだけでも良かったが、ここでひとつ、その物語の世界を広げてみようと思いたった。質問を挟んでみる。すると彼女は「んー?」と考えるように空中を見上げて「ホウセキじゃなくていい」と言った。


「クローバーがいいっ!」


 そして彼女は、それが一番なのだと、声高こわだかに言い放つ。

 まるでそれ以外は考えられないと言わんばかりだった。

 クローバーといえば白詰草しろつめぐさのことだ。何かと有用なその植物は、緑化植物として土を豊かにするし、古くは緩衝材かんしょうざいとして活用されている。そして、子供の遊び道具としてのイメージが強かった。白い花を編んで作られたかんむりを被る子供たちというのは、春の草原における光景として、とても馴染みが良い。そしてそんなクローバーで編まれた指輪こそが、理想の恋愛においてふさわしいのだと、彼女は断言する。

 大輔は、その理由については尋ねないことにした。


「そっか。それじゃ──」


 その代わりに、彼女の恋愛話を聞いて、自分なりに思ったことを伝える。生まれてこの方、女子との間に甘酸っぱい体験なんてしたことのない悲しい身の上だが、それでも年上のお兄さんとして、うそぶけることだってある。


「俺が君にプロポーズするとしたら、クローバーを贈ることにするよ」

「え」

 

 ひまりちゃんがポンっと沸騰ふっとうした。

 そして見る見るうちに赤面していき、ベットのシーツを手繰たぐり寄せると、顔を半分に隠してしまう。シーツの端から真っ赤になった耳だけがはっきりと見えている。


「ありゃ」


 さすがにキザが過ぎたようである。

 しかし、他意はないのだ。幼い子を相手にしている気持ちが先行して軽口を叩いてしまったが、あくまで仮定の話であり「そう言えば喜んでくれるかな?」ぐらいの気持ちだった。言葉以上の意味など勘繰らないで欲しい。

 とはいえ言ってしまったものは仕方なく。前言を撤回するのも男らしくない。なのでコホンとわざとらしい咳払いをしてお茶を濁す。

 ひまりちゃんはシーツを深く被りきってしまい、それまでは饒舌じょうぜつだった口数もおとなしくなってしまった。大輔があれこれと話題をふってみたところで「うん」か「ううん」ぐらいの返答しかない。

 どうにも参ってしまう。おそらくは照れているだけだとは思うが、もしかしたら過分な恐怖を与えてしまったかもしれない。そう考えると、反省してしまう。

 年端もゆかぬ少女に対して口説くような真似をしたのは、それは確かに痛恨の極みである。世間において小児性愛しょうにせいあいというのは否定的に捉えられることが多いことだし、ロリコンというそしりを受けることは免れまい。とはいえ差別はいけない。個人的には、幼児が好きでたまらないという人間がいてもいいと思う所存である(法に触れなければ)。しかしそのことを差し引いたとしても、未就学児みしゅうがくじというのはさすがに大輔の守備範囲から大きく外れている。


「誤解だ。これは誤解なんだ」


 どこからか聞こえてくる非難の声に、誰にともなく弁明する。すべては不幸なすれ違いが生んだ悲劇だったと、切に主張するものである。

 誰か弁護士をよんでくれ。


「……」


 そのようにおどけたところで、ひまりちゃんが笑顔を見せることはなかった。

 ただ黙ってうつむいているだけだ。

 これは本当に参ったなと思い、後頭部をぽりぽりしてしまう。

 彼女は冗談も耳に入れてくれない様子であった。

 

 ──もしかして本当に怖がらせてしまったのだろうか?

 

 そうなればもう素直に謝るしかないと思い、まずは注意深くひまりちゃんの姿を見る。すると大輔はそこでようやく、彼女の様子がおかしいことに気づいた。


「ひまりちゃん?」

「……ぅ」


 声をかけるも返答はなく、くぐもったうめき声だけが聞こえてくる。

 彼女はベットのシーツを胸元へと掻き寄せていて、苦しそうにうずくまっていた。


「ムネが……くる……し──」


 息も絶え絶えに発された声を聞き、即座にナースコールへと手を伸ばした。

 先ほどまでノホホンとおどけていた自らを、なんて馬鹿野郎だと、ののしりたい気持ちになった。

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