九重結菜、不思議な男に出会う③

 それは不思議な光だった。

 辺りをまばゆく染め上げるような強い光ではない。もやのようにぼんやりとした煌めきが滞留たいりゅうしている。そしてそれは結菜がギュっと握りしめた拳の中から湧きあがっていた。てのひら伝播でんぱしてくる光があったかい。

 ──さっきのお守りだ。

 そう思い至りはするものの何もすることはできない。ただ幻想的な光景を眺めるだけしかできない。すると動きがあった。光が流動し一つ箇所へと収束しだしたのだ。小さく輝く粒子達が妹の小さな身体を包み込んでいく。そして全身を覆い尽くしたかと思うと、パッと掻き消えるようにして散っていった。

 やがて光は最初からなかったかのように消え去って、少しの間、静寂の時間が過ぎた。

 結菜は驚きに声が出せないままだった。



「おねえ……ちゃん」

「ひまりっ」


 妹の声がして我にかえる。

 ひまりが目を開けて結菜を見ていた。


「ひまり、大丈夫なの?」

「くるしく……ない、よ」


 結菜は気がつくと妹の身をいだいていた。トクントクンと確かな鼓動が胸に伝わってくる。先ほどまでの空恐ろしい身体の冷たさはない。その顔を確認すると段々と血の気が戻っているように見える。


「なんだか、とっても……きもちいかった」

「ああ……よかった……よかった」


 目に涙がにじむ。

 一時は本当にダメかと思った。生気を失う姿を見て焦りが募った。しくじってばかりの自分を呪いもした。しかし妹はこうして無事に生きている。その事実が何よりも結菜を安堵させる。

 抱きしめる腕に力が入ると、妹が「んきゅ」と可愛らしく鳴いた。


「なんとかなった──かな?」

 

 声が聞こえてハッとする。

 見上げると男性が自分達姉妹を見ていた。


「あっ──ありがとうっ」


 精一杯に頭を下げる。

 彼がいなければ今頃どうなっていたかなど想像にしたくなく、最大限の礼を示すのは当然のことだった。すると頭を上げてくれという声が聞こえるが、とてもではないが言葉通りになんてできない。恩人への礼の示し方を結菜は他に知らない。

 すると男性は何やら困ったような呻き声をあげる。やがて「あっそうだほら薬。飲ませてたって言ってたお薬。それが効いてきたみたいですね」なんてごまかしまで言い始めた。

 それは確かにもっともな理屈であったが、それでは先ほどの光景はいったい何だというのか。結菜はあんな奇跡のような出来事は見たことがない。信じられないことだが、何か不可思議な力により妹は救われたのだと考えるのが自然な状況だった。そして妹の身が無事な今、それが真実であろうとなかろうと、救い主である彼のことをないがしろにするわけにはいかなかった。

 結菜が頑なに平身低頭していると男性は「まいったな」とぼやく。

 そのまま延々と状況が硬直したままになるかと思われ始めたとき、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。甲高く響くその音は、段々とこちらへと近づいてくる。


「あ、救急車が来たみたいですね。誘導してきます」


 男性がそれ幸いと身をひるがえして結菜の元から去ろうとする。

 それに慌ててまってくれと声をかけた。


「あっあの──どうか名前を教えてくださいっ」


 どうしてそんな質問をしたのかは分からない。気が動転していて、咄嗟に思いつけたのはそれだけだったのだ。もしかしたら「名のるほどではない」などと定番のセリフを言われるかもしれない。そんなふうに身構える。

 しかし彼は一瞬だけ呆けたような顔をするも、やがて破顔して答えてくれた。


佐和さわっす。佐和大輔さわだいすけ


 そのクチャクチャにゆがめられた笑顔に、心のどこかで感じ入るものがあった。

 だが、今の結菜にはその感情が何なのか確かめるすべはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る