九重結菜、不思議な男に出会う②

 その人は不思議な人だった。

 自分と同じ年頃の男の子。精悍せいかんな男性とは言いがたく、まだ幼さが残ってしまう顔立ちには頼りなさを感じてもおかしくはない。しかし表情は真剣そのもので、よくよく見ると肩は息を切るように上下していた。もしかしたら結菜の叫びを聞いて駆けつけてくれたのかもしれない。

 だが、そのときの結菜にはそんなことを気にしている余裕なんてなかった。


「助けてっ妹がっ……携帯が故障してて通報できなくてっ──」


 咄嗟のことにまともな説明ができない。

 口から出てくるのはシドロモドロな言葉の欠片だけだった。

 だというのにその男性は、胸を押さえてしゃがみ込んだ妹の姿を一瞥いちべつすると、自らの上着を脱いで結菜へと差し出してくる。


「そんな風にうずくまっていたら胸が締め付けられます。こいつを敷いて楽な姿勢で地面に座らせてください。救急車は俺が呼びます」


 男性は慌てる様子もなく流れるように行動をとり始める。どうやら少ない情報にも関わらず状況を適切に把握してくれたようであった。その切り替えの早さは非常事態に慣れている者の所作だ。

 結菜は黙って彼の言葉にしたがう。混乱して冷静な判断ができていない自分よりも、この男性に主導してもらう方が妹が助かる可能性が高いと思ったからだ。

 そうして男性は先の言葉どおりに119番を始める。ときおり彼から細々とした要項について尋ねられたが、どうにか答えを返した。

 結菜はその間ずっと、妹の手をとって握りこんでいた。そして口から出てくるのは「ひまり、ごめんね」と、そんな情けない言葉だけ。ただただ、こんな姉でごめんなさいと伝えることしかできなかった。そんな結菜の謝罪に返答はない。だが包みこんだ掌にギュッと力が返される。それはまるで「そんなことないよ」と励まされているようだった。


「すぐに救急車が来ます。妹さんは大丈夫ですか?」

「とにかく苦しそうで……私、どうしたらいいのか──」

「少し、いいですか?」


 男性が妹の顔を覗き込むようにする。そして神妙な顔をして結菜に尋ねてきた。


「妹さん、突然に容体が悪くなったって──あと、通報しようにも携帯が壊れてたって、そう言ってましたよね」

「えっはい」

「見せてもらっていいですか」


 男性に促されて結菜は自らのスマートフォンを手渡す。

 その画面は相変わらず不気味な紋様のような、おどろおどろしいナニカが映っていた。彼は訝しげな様子でそれを眺めていたが、ふと口をついて出たというように言葉を漏らした。


「『呪い』かよ……」

「えっ?」

「あっいや──」


 その口ぶりが気になったが、男性は「なんでもない」と否定して立ち上がる。それから彼は自らの携帯電話を取り出すとどこかへと通話し始めた。誰とどんなやり取りをしているかはわからない。ただ、微かに女性の声が耳に聞こえた気がした。 

 男性が通話を終えて結菜の元に戻ってくる。


「妹さんは病気がちで?」

「……はい」

「いつ頃から?」

「生まれついてから……ずっと身体が弱くて」


 答えると男性は居た堪れないふうに顔をしかめる。だが呼吸を荒げる妹を見ると、もう一つだけ尋ねてくる。


「大事な家族なんですよね?」

「もちろんです」

「……わかりました」


 男性がなにかを観念するように暝目した。

 しかし結菜には彼が何を決意したのかわからない。だから尋ねてしまう。


「あの、それがなにか……?」

「これからちょっと色々起きるんですが──夢でも見たと思って気にしないでください」


 不思議な言い草だったが、怪訝に思うよりも先に男性が行動を始める。

 彼は懐からゴソゴソと何かを取り出すと、結菜がギュッと握り込んでいる掌にそれを押し付けてくる。つい一緒につかんでしまったそれは端切れで作られたような『お守り』だった。


「携帯をだしてください」


 そして出し抜けに申し付けてくる。突然のことに躊躇ちゅうちょするが、物言わぬ圧力に屈してしまい言うとおりにする。すると結菜のスマートフォンはぞんざいに地面へと放置された。まるで妹の傍から引き剥がすように遠くへと離される。


「妹さんのお名前は?」

「ひっひまりです、九重ひまり」

「わかりました──ひまりちゃん、聞こえるかい?」


 呼びかけられた妹は変わらず苦しそうにしている。どうやら呼吸をも正常にこなすことが難しいようだった。


「返事はしなくてもいいよ。ゆっくりと息をして……そう。もう少しだけそのまま待ってて」

「あっあの、いったい何を?」


 何が何やら。そう思って尋ねると、男性はようやく結菜へと目を向けた。

 結菜はそこではじめて男性の真意を察した。


「大丈夫、必ず救います」

「あ──」


 助けに来たと、彼は言った。

 それはただの気休めの言葉かもしれない。状況はすでに常人に対処できる段階を過ぎている。だから彼の行動に期待なんてできないはずだ。だというのに結菜の胸はザワついてしまう。おぼれる者はわらをもつかむとはよく言ったものだが、それでも彼の真摯な瞳が藁のような頼りないモノにはどうしても思えなかった。


「……お願いします」


 自然と結菜は頷いていた。

 名も知らぬ青年にそこまでの信頼をおけてしまう自身がとても不思議だったが、しっかりと首を縦にふる。その行為で妹の命が助かるというのなら是非もなく、代償が必要なのであれば、なんであれ支払ってみせようと思えた。

 視線を交わすと男性は「では──」と雰囲気を変えた。彼の柔和にゅうわだった表情が年不相応なたくましさをともなって引き締められる。思わず固唾を飲んだ。緊張感が結菜の身体を押さえつけている。もしかしたら立ちあがろうとしても上手くいかないかもしれない。そんな錯覚さっかくすら覚える。

 そして結菜はその言葉が唱えられるの聞いた。

 男性の口から紡がれるそれは、まるで呪文のように耳に響いた。



 ──この子を助けてやってくれ



 途端とたん、光が溢れた。

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