サービスマン、願いを叶える

久保良文

序幕 九重結菜、不思議な男に出会う

九重結菜、不思議な男に出会う①

 九重結菜くのうゆいなには妹がいる。


 年の離れが十もあるからか姉妹というよりは保護者のような見地けんちであるが、その分だけ彼女が可愛くて仕方がない。なにせ妹はまだ六つの歳になろうかという子供だ。彼女がはにかめば嬉しくなるし、涙ぐむのであればアレコレと世話を焼いてしまう。

 だからこそ妹が苦悶くもんの表情を見せるとき、結菜はまるで己の身を削られるかのような気持ちになる。


「ひまりっ、大丈夫……?」


 大丈夫なわけはないだろう。

 妹は今にも倒れ込みそうな気配をもって胸をおさえている。顔色は青をとおりこして真っ白だった。だというのに彼女は「だいじょう……ぶだよ」と健気けなげにも微笑もうとしている。

 結菜は慌ててバスの降車ボタンを押す。

 そして妹を連れて市営バスを下車した。


「お薬はっ?」


 妹の眼前へとひざまずいて、まずは処方されている薬を飲ませようとする。だが、すでに飲んでいるというふうに頷かれた。彼女は声を発することも辛そうな様子だった。

 

 妹である九重ひまりは身体が弱い。

 生まれついた頃から様々な病気を併発へいはつしては病院のお世話になっている。現在でも胸の病気が完治していない。それだから専門の大きな病院があるこの街へと家族ごと引っ越してきたばかりであった。


「ごめんなさい、ひまり。私がお散歩しようなんて言い出さなければ──」

「ん……ううん。あたらしいまち……とってもたのしかった。ありがと……おねえちゃん」


 妹の苦しそうな笑顔を見て、結菜は自己嫌悪を感じてしまう。

 口を開くのも苦しそうな彼女に気を遣わせておいて、自身は何をするべきかもわからずに狼狽うろたえているだけなのだ。思わず「何をしているんだ私は」という悪態が口をついて出ようとするが抑える。

 今まさに的確な行動が求められるべきは結菜だった。

 弱音を吐いているひまなんてない。


 とにもかくにも119番をコールするのが先決だと、かばんからスマートフォンを取り出す。しかし、その画面を見て絶句してしまった。


「嘘でしょう、こんなときに」


 画面がバグっている。

 液晶に映るのはマーブル模様のような不気味な紋様もんようだけであり、操作をしようとタンタンと叩くも反応はない。

 明らかな故障だった。

 そうであればと無理やりに頭を切り替えて顔を上げる。

 自ら通報できないのであれば通行人に助けを求めようと思った。

 しかし──


「なんでっどうしてっ……誰もいない」


 辺りは住宅街である。 

 歓楽街などのように人通りが多い場所とは言えないが、それでも住民の姿を見かけてもよいはずだ。それなのに視界に映るのは無機質な道路と住宅ばかり。頼りになりそうな人はおろか犬一匹すら見当たらない。

 咄嗟とっさに住宅の一棟へと駆け寄り──インターホンを押す。

 どうにか救急車だけでも呼ばせて欲しいと焦りつつたたずむも……住人からの返答はなかった。不在なのか、はたまた居留守を使われているのか。


「お願いっ……妹の具合が良くないのっ」


 いのるような言葉を吐きながら、手当たり次第に他の住宅へも訪問する。

 しかしどこの家でも応答はなかった。

 不自然なほどに不在が続くなかで、思考は段々とあせりと落胆によって塗りつぶされていく。

 街ぐるみで悪質な嫌がらせを受けているような気がした。

 そんな、ありもしない悪意のようなものを幻視してしまう。

 

「ぅ……」

「ひまりっ」


 呆然としていると背後から呻くような声が聞こえ、慌てて妹の元へと戻る。

 彼女はすでに立つことすらままならない様子で、うずくまって苦しみに耐えていた。


 小さな身体を支えるように抱きかかえると──冷たい。

 

 リンゴのように真っ赤だったほほはまるで陶器のように白くなり、絹糸のような柔らかな髪はちぎれた糸束のように乱れきっていた。姉として、そんな妹の姿を見続ける行為は苦痛でしかなかった。

 こんなことになるのだったら、慌てて市営バスを降りたりしなければよかった。

 ひまりを外に連れだしたりなどしなければよかった。

 

「誰かっ! どうか誰かっ! 助けてくださいっ‼︎」


 もはや恥も外聞がいぶんもなくわめきちらした。

 妹のためであれば自身の体面なんてどうでもよかった。 

 ただただ、小さな命を助けることしか頭になかった。

 しかし結菜の絶叫はかすれるように消えていく。

 応答する者なんて誰一人もいなかった。

 まるで世界中のすべてが自分たち姉妹を見捨てているようだった。


「こうなったら、もう……」


 近くの住宅の窓ガラスをカチ割ってでも助けを呼ぶつもりでいた。

 不法侵入で明らかな犯罪行為だが構わない。

 妹の命に代わるものなんてない。

 結菜は決心して立ち上がる。彼女の瞳は完全にわっていた。

 そうして足を進めようとした、そのとき──


「勢いつけすぎたああぁぁ──!」

「えっ……?」


 背後より何者かが猛スピードで通り過ぎていく。最初はいったいなんなのか、わからなかったソレが自転車に乗った誰かだと気づいたときにはもう遅かった。


 ガシャン!

 

 ──と、自転車ごと住宅のへいへとぶつかり転倒する。

 結菜は突然の事態に一瞬、我を忘れてしまう。

 いったい何事が起こったのか、わけがわからずに唖然あぜんとしてしまう。

 しかしすぐに気を取りなおすと慌ててその人へと呼びかけた。


「大丈夫ですかっ⁉︎」

「大丈夫ですっ、それよりも──何かありましたか?」

「あっ……」


 勢いよく立ち上がったその人物に思わず目をみはってしまった。

 全身にかすり傷をこしらえて、おまけに鼻から赤い筋をしたたらせているその男性は、なんだかおマヌケな様相ようそうだった。ガチャガチャと自転車に足をもつれさせている姿には滑稽こっけいさすら覚える。

 だけれどだ。

 結菜は確かに安堵あんどしたのだ。

 そのときの気持ちはとても言葉では言い表しきれない。まるでおどけたような彼の姿にどれほど救われたか──


「助けに来ました」


 世界で唯一、結菜にこたえてくれた人がそこにいたから。

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