第七話 右腕の在り処Ⅱ
ルーシェヴィカが所属する共同体には、「星の回廊」と呼ばれる施設があった。黒々とした窓の外に、数多の星々が螺旋を描きながら輝く美しい場所だったが、彼はそこが嫌いだった。
星の鮮やかさとは裏腹に、その内部でとぐろを巻くものは、権威と見栄に塗れた醜い争いばかり。そして彼がその場所を嫌悪するのと同じように、そこに集う者たちもまた、彼を憎み避けていた。
『ルーシェヴィカ』
星が巡る。瞬く。光る。爆ぜる。その中で、抑揚のない声が冷たく命じた。
『“秩序ある群れ”には新たなる土地が必要だ。命ある生き物として在り続けるために』
そのやり取りは、言語とは違う一種の
ちなみに彼の精神感応は、「不思議とよく通る重低音」という印象を抱かれることが多い。
『この前見つけた島は?』
『大規模な火山の噴火が予測される。あの島だけではない。その周辺の多くの土地は溶岩に呑まれ、粉塵が空を覆い隠すだろう。ルーシェヴィカ、彼処とは異なる、新たな住処を見つけなければならないのだ』
『結論を先に言え。観測結果を報告するために私を呼んだわけではないだろう?』
尊大に尋ねるルーシェヴィカを咎めることなく、声は淡々と続きを語る。
『お前を、“先遣隊”の隊長に任命する』
『……』
『“群れ”のために、“群れ”の命のために、お前は新天地を探す旅に出るんだ』
『私を指名する理由は?』
『お前は秩序ある群れに紛れた獣だ。いつか偽りの毛皮を脱ぎ捨て、我々に牙を剥く。群れの者たちはそう信じ、お前を恐れている』
『秩序ある群れ─また随分な評価だな。己を客観視出来る者は少ないらしい』
ルーシェヴィカは、己を疎む視線に気が付いていた。この“秩序ある群れ”は歯車を構成する部品の集まりだ。皆が決められた役目を担い、生物としての本能を満たすだけの生活をして、命と精神を浪費する。それが退屈で不愉快で仕方がなかった。
だから彼は、“秩序ある群れ”の輪を乱すことに多くの時間を使った。確かにその行いは、紛れ込んだ狼のように粗暴で、強大で、悍ましいものに映ったのだろう。
『どこへでも行ってやる。貴様らと共にいたら、生きながらに魂まで腐ってしまう』
『腐っているのはお前だ、異端者ルーシェヴィカ。切り捨てられる側の負け惜しみにしかきこえないぞ』
『はは、そういうことは口に出さないものだ。切り捨てられた恨み辛みが募り、捨て身で貴様らを破滅に追いやるかもしれないぞ?』
『それはない』
声はルーシェヴィカの挑発をあっさりといなしてみせた。
『何故なら、お前は孤独ではないからだ。今から先遣隊の隊員の名を読み上げる。まず、レグルザ』
『は?』
それは知人の名だった。群れの中では教師を務めており、人望を集めていたはずだ。
『何故、レグルザが』
『あれはお前の意見に賛同していた。故に、そのような輩が教員という立場にあることを、“群れ”は脅威に感じている。獣は排除されなければならない』
『秩序という皮を被った肉塊どもが』
悪態は声を遮ることはなく、名前の読み上げは続けられた。
『ジマイヴィル』
『知らない名だな』
『これは“ムジカ”の制御が下手なうえに、威力も範囲も大きいのが厄介だ。“群れ”は、ジマイヴィルを嫌悪し、現在は“夜の底”に拘束されている』
『臆病な連中だ』
『次はランスィーニー。これは筋金入りの放蕩者で、今は寸借詐欺の常習犯として拘束されている』
『ローズヒェン』
『フェルテロ』
『ジョナトーリア』
名前と、簡単な個人情報が開示される。揃いも揃って、異なる理由で共同体に潜む害獣と見做された者たちだった。そして13番目の名前が呼ばれる。
『ラージェヴィ。先述した者の中の複数人と交流がある』
『それだけか?』
『ああ。私からすれば単純に社交的で知人が多いだけの若造だが、群れは脅威を感じ始めている─さて、以上が先遣隊の隊員だ。お前は彼らを隊長として導き、群れの安住の地を探し当てなければならない』
『私が大人しく命令を受け入れると、本気で思っているのか?』
『多くの者は懸念するだろう。だが、私は知っている。お前は─』
次の一言で、声はようやく感情らしい感情を露わにする。それはからかいとも愉悦とも取れるもので、明らかにルーシェヴィカの内面を見透かしていた。
『お前は、隊員の情報を聞いて興味を持った。この退屈な群れから排斥される者たちがどんな存在か、強く知りたがっている。そして仲間として共鳴を感じている』
『……良いだろう、その任務を受けてやる』
ルーシェヴィカは、声から遠ざかりながら、薄く笑った。
『さて、私の隊員はどこにいる?まさか既に集合させてあるとは言わないだろうな』
『そうするつもりだったが、お前がうるさいと思ってやめた。隊長直々に、ひとりひとり名を呼んで、迎えに行ってやると良い』
『言われずとも』
隊長。その肩書はルーシェヴィカの支配欲を実に気分良く満たした。誰かを率い、導き、扇動し、何かを成すことほど楽しいものはない。その性質故に、彼は“秩序ある群れ“に目をつけられたのだ。
『このルーシェヴィカが、異端たちの統率者となってやろう』
男に別れを告げ、まずルーシェヴィカが向かったのは、回廊の端だった。ここに居る星は少なく、不安定な光が時折瞬くだけ。暗い暗い奥底に揺れる光を見つけ、彼は躊躇うことなく深い深い闇の中に降りていった。
やがて、“音”が響く。真空であるはずの宇宙に、耳を持たぬはずの意識に、確かに届く。凍てついた、単調で、整然とした旋律だ。
『貴様がジマイヴィルか?』
『……あ?』
周囲の温度がみるみるうちに下がっていることをルーシェヴィカは理解した。
点火したての焚き火のように不安定で、しかし激しい光が瞬く。そして、神経質そうな尖った声が応えた。
『なんだ、あんた』
『私の名はルーシェヴィカ。先遣隊の隊長に命じられた』
『先遣隊……?は、流刑ってことか?』
『そう思う者もいるだろう。しかし私は、これを自由への行軍だと信じている。そしてジマイヴィル─喜べ、貴様もそれを歩む権利を得たのだ』
『自由?』
空間のすべてが凍りつく。ルーシェヴィカを攻撃しようとしているのではない。彼はこの氷を抑えることができないのだ。
『俺が降り立ったら、どんな場所でも凍りつく。空気も、命も、この世の全て』
『だから、こんな闇の中で引きこもっているのか?貴様がその気になれば、こんなものは扉の空いた金庫のようなものだろう』
『……皆、俺を憎む。恐れる。そうでないやつがいても、俺は凍らせるから、関係ない』
ルーシェヴィカは笑いながら、臆することなく距離を詰める。
『試してみるか?この私で─よし、少し付き合え、貴様に私の
星々には、ある特性があった。各々の資質と経験によって萌芽する、唯一無二の力。発動の際、固有の“音”を周囲に響かせるそれを、群れは旋律、音楽、歌を意味する言葉─“ムジカ”と呼んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます