第六話 右腕の在り処Ⅰ


 見ず知らずの息子を保護し、かつ彼が非常に心を開いているという点で、行成の御厨みくりやに対する印象はかなり良いものだった。

是非雇いたいと頼み込む彼に対し謙虚な態度を示したあと、御厨は良心的な契約書を提示し、そして1週間後─


「2時間を週3回。小学生の範囲だと1時間1500円なので、週に9000円ですね。ありがたいことです」

「意外と良心的な価格だな」

「中学生や高校生の範囲になるともう少し頂きますよ。4、5人も生徒がいれば、生活には困りません」


 茉利の部屋。

 学習机でプリントに取り組む彼の傍ら、御厨─”レグルザ”は姿見の前で襟を整える。競艇で荒稼ぎした金で、その身なりは初めて会ったときはすっかり様変わりしていた。

 スタンドカラーシャツに琥珀色のループタイ、黒のスラックス。若者らしからぬ出で立ちだが、レグルザの雰囲気にはよく合っている。


「それで、こうしてふたりで話せる場が出来たわけですが、本当に残りの“仲間”を探すつもりなのですか?」


 得体の知れないエネルギーが、ふつふつと脳の奥から湧いてくる。“レグルザ”を呼んだそのときのように、一刻も早く駆け出して、再びあの星を掴みたい─そんな衝動に駆られた。

 それだけではない。同じ記憶を共有する仲間がもっと欲しかった。この記憶も、自我も、己の妄想でないことをもっと強固に証明したい、そうしなければならない。


「ああ、その通りだ。不服か?」

「興味はありますが……正直見つかるとは思っていません。他の方々がわたしたち同様に“生まれ変わって”いるという確証もないのでしょう」

「呼べば応える」


 “ルーシェヴィカ”はレグルザに向けて手を差し出した。


「お前がそうであったように、レグルザ」

「彼を呼ぶべき名を、あなたは知っているのですか?」

「知っている。思い出せないだけだ」

「言い訳ですね」


 レグルザは皮肉っぽい口調で、夢物語のようなまつりの言葉を否定する。しかしその足は迷いなく彼の左際に立って、「では、外に出ましょうか」と襟を正す。


「なんだ、乗り気じゃないか」

「興味はあると言ったでしょう。あなたが見つけてくださるなら、是非お会いしたいです」

「言っておくが、お前も手伝えよ」


 リビングに降りたルーシェヴィカは、家の鍵を手に取ると、御厨に戸締まりを確認するよう命じた。


「そういえば、生計はどうやって立てているんだ。行成が払う分だけでは足りないだろう」

「居酒屋で知り合った方が、賭場を教えてくださったんですよ。丁半ではサイコロを動かしてかなり稼ぎました」

「お前……」

「ご心配なく。家庭教師の契約もいくつかとれましたから、生活には困っていません」

「なら、賭け事はやめろ。あんなものは胴元が有利になるようにできている。イカサマで勝っても目をつけられるだけだぞ」

「もしや“軍規違反”ですか?」

「その通り。我が隊は賭博行為を禁じている。内輪の遊びくらいにしておけ」

「おやおや、では早く部隊らしく人数を増やさなくてはいけませんね」


 芝居がかった軽口を叩きながら、掃除が行き届いた玄関を出て、ルーシェヴィカは鍵を閉める。


「それで、行き先は決まっているんですか?」

「まったく。しかし家に引きこもっているよりは余程生産的だ」

「では駅前のショッピングモールに行きましょう。あなたの服を揃えなくては」

「はあ……昨日からその話ばかりだな」


 黒いTシャツとジーンズという出で立ちは、レグルザの美意識には合わないらしい。彼は既にいくつかの店の商品を確認して、一通り購入する服の目星をつけていた。


「あなたが集団の統率者であるならば、相応しい身なりをしなくてはいけませんよ」

「何度も同じことを言われている気が……いやきっとこれは気の所為ではないな。お前は昔からそうだった。それは覚えている」


 他愛のないやり取りをしながら、ふたりはバスに乗り、駅前のショッピングモールへと辿り着く。「剣崎茉利」が幼い頃に幾度となく通った場所のはずだが、特に感慨はなかった。茉利としての鮮明な記憶よりも、ルーシェヴィカとしての闇に飲まれた曖昧な思い出の方が彼の心を強く惹きつける。


「ルーシェヴィカ、あの店はどうです?」

「お前、まさか私を一日中着せ替え人形にする気ではないだろうな?」

「どうせ他にすることもないんでしょう。ほらほら」


 平日とはいえ、駅前のショッピングモールともなればそれなりに人混みがある。その中を容赦なく突き進みながら、レグルザはルーシェヴィカの腕を引いた。


「もう少し他人に気を使って生きたらどうだ」

「あなたが言いますか、それ?」

「あれ」


 不意に肩を後ろから掴まれ、ルーシェヴィカはたたらを踏む。不快感に眉を寄せ振り返ると、そこには茉利と同じ年頃の若い男が立っていた。


「うわ〜、やっぱりまつりかぁ、お前!」


 傷んだ茶髪を短く切った彼は、動物園にでも来たような目つきでルーシェヴィカを観察する。その二重の瞳や大きな前歯を眺めていると、やがてある記憶と結びつく。


「吉崎か。5年2組の」

「そうそう、お前マジで目覚ましたんだ。すげえ〜」

「ルーシェ─まつりくん、此方は?」


 素早くふたりの間に入ったレグルザは、柔らかな笑みを浮かべて尋ねる。


「小学校の同級生だ」

「おや、では10年ぶりの再会という訳ですか。しかし……いきなり人の肩を引っ張っては危ないですよ、吉崎くん」

「誰、コイツ?」

「友人だ」

「おれらも友達だったじゃん、連れねえなあ」


 吉崎の言葉通り、剣崎茉利と彼は同じサッカークラブに所属する友人同士だった。毎日クラブ活動に勤しみ、遠足も校外学習も同じ班、互いの家に宿泊したこともある。


「大学に進学したと聞いていたが、今日の講義は休みか?」


 毎日枕元に語り掛けてきた行成は、よく同級生のことを話題に出した。その話によれば、吉崎はそれなりに偏差値の高い私立大学でサッカーを続けているはずだ。しかし彼の肌に日焼けの跡はなく、耳にはいくつものピアスが空いていた。


「サボりだよサボり。昔塾サボっただろ?あ、お前的にはつい昨日とかなんだっけ?悲惨だよなあ、目が覚めたら10年経ってるとか」


 下品な笑いが神経を逆撫でる。幼い頃から横柄なところはあったが、それと共存していた懐の深さや正義感は綺麗さっぱり消え失せてしまっているように見えた。


「話はそれだけか?」

「……なんかお前態度悪くね?声かけてやったのに」

「生憎、頼んでいない」


 ルーシェヴィカは掴まれた肩の埃を払う。この男に無遠慮な振る舞いをされたことが、不愉快で仕方がなかった。


「ごめんなさい。茉莉くんは、突然吉崎くんが大人になってしまって驚いているんですよ。ということで、ここは一旦解散にしま─」

「別にあんたに言ってないんだけど」


 吉崎はぎょろりとした目を一層開き、レグルザの胸を押した。体重の軽い彼は数歩後退ったが、事もなげに微笑んだままだ。しかしルーシェヴィカは違った。


「おい」 


 彼はレグルザに代わって真っ向から吉崎に対峙する。


「馬鹿が気安く触るな」

「あ?」


 粗野な若者に見下されたところで、恐怖を感じはしない。あるのはただ、静かな怒り。


「そこをどけ、私に二度同じことを言わせるなよ」


 見た目とは相反する、低く地を這う声。そして射抜かんばかりに鋭い視線を受け、吉崎はびくりと身を震わせた。

 しかし、彼もただ怯えているだけではなかった。次の瞬間には顔を赤く染め、胸ぐらを掴み上げてくる。


「あぁ?お前キメェんだよ!」

「……」


 ルーシェヴィカはスッと目を細めた。目の奥に小さな星がチカチカと瞬いている。手を伸ばすようにそれを追いかける。

 煩わしい者が目の前に立ったとき、彼が放つ言葉は決まっていた。それが喉奥まで出かかっている。瞬く星に指が届きかける。

そのとき、吉崎の身体が思い切り後ろに引っ張られた。踏ん張ることに失敗し、転がる彼を見下ろす分厚い体躯。


「往来の場で人に絡むの、やめたほうが良いと思いますけどねぇ」


 神経質な性格を隠さない、尖った声音に引き寄せられるように、ルーシェヴィカは顔を上げた。



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