第40話
クラレンスとトーマスがサシャバル伯爵家に向かった後、不安で胸が押し潰されそうだったが数時間で帰ってきた。
同行していたトーマスが吐き捨てるように「気分が悪い」と言った。
「クラレンス殿下、大丈夫ですか?」
「ああ……怒りを抑えるのに必死だった」
「そうでしょうね。オレもです」
夫人とシャルルに話が通じないことは明らかだったため、彼女達ははじめから相手にしなかったそうだ。
サシャバル伯爵は全面的に条件を飲むつもりのようだと聞いてカトリーナは安心から息を吐き出した。
そしてカトリーナは書面上ではジベル伯爵家の養子となるらしい。
王妃の生家で弟が爵位を継いでおり、王家と古くから付き合いがあるジベル伯爵家。
カトリーナとクラレンスのためならばと喜んで引き受けてくれたらしい。
ジベル伯爵家には息子が二人おり、カトリーナより年は上だそうだ。
そしてすぐに手続きを行い、クラレンスの婚約者として舞踏会で発表を行うことになった。
ナルティスナ邸へと帰ってから、カトリーナはクラレンスに釣り合うようにと城の講師達をナルティスナ領に呼んでもらい、マナーや立ち振る舞いを教えてもらうようにお願いしたのだ。
クラレンスは「そのままでいい」と言っていたが、カトリーナはクラレンスの隣に並ぶにはこのままではいけないことはわかっていた。
毎日懸命に頑張って、やっとスタートラインに立てるような気がした。
シャルルの近くにいたことで多少の知識があったのは幸いだろう。
王族として育ったクラレンスと屋根裏部屋で育ったカトリーナ。
生い立ちがこんなにも違うけれど、少しでもクラレンスに近づけるようにとカトリーナは思っていた。
一時的に仕事を休ませてもらって舞踏会の準備に追われていた。
カトリーナはダンスの休憩時間にたまには邸のことも手伝わないとと手紙を運ぼうと
いつもはシャルルやサシャバル伯爵夫人を警戒していたクラレンスが手紙や荷物を全てチェックしているので中身は見ないままクラレンスの元へ。
ふとサシャバル伯爵家の家紋が押された可愛らしい封筒を見ないようにと、カトリーナはそのままテーブルに置いた。
自分が知らないところでどんなやりとりがされるか気にならないといえば思うと嘘になる。
しかしカトリーナはクラレンスを信じようと決めていた。
(大丈夫……クラレンス殿下なら)
そして舞踏会があと三日に迫った日のことだった。
カトリーナはクラレンスとトーマスがいつものように国境に行ったのを見送った。
それから護衛達は馬に乗り、城に帰る講師達に道案内するために出かけていった。
カトリーナも講師達にお礼を言って送り出す。
本番までの復習するようにカトリーナが部屋に戻ろうとした時だった。
(あれ……?見慣れない馬車が停まってる)
ナルティスナ邸に入ってくることなく、少し離れた場所に止まっている馬車が気になってニナを呼んだ。
ナルティスナ邸に近づくものは見慣れた馬車ばかりで、知らない馬車が止まることは滅多にない。
ニナが教えてくれたが、クラレンスが意図的に流している噂のせいもあるそうだ。
呪われた王子、醜い王子、住み心地のいい王都からこんな住みづらい辺境の地に住む変わり者。
圧倒的な力を使うクラレンスを恐れてか、彼を知るものしか近づかない。
「気になりますね。護衛の人達もいませんし、クラレンス殿下達か護衛の人達が帰ってくるまで邸の中で待ちましょう」
「はい」
「私はゴーンさんに知らせに行きますので部屋にいてください」
カトリーナはニナの言葉に頷いて部屋に戻った。
ドキドキとする心臓を押さえながらニナやゴーンが部屋にくるのを待っていた。
カトリーナの手続きが終わるまで新たに雇った護衛は今、城の講師達を送るために出払っており警備が手薄だ。
何もないことを祈っていた。
──トントンッ
いつもよりも乱暴なノックの音。
カトリーナはニナが何か急いで伝えたいことがあるのだと思い扉を開けた。
「ニナさん、大丈夫です……か?」
ニナよりもずっと大きな人影が見えてカトリーナは肩を揺らした。
ナルティスナ邸の人達ではない。
見覚えのない数人の男が部屋に押し入ってくる。
「お前が〝カトリーナ〟か?」
「……っ」
「こりゃあ相当な美人だな。このまま売っぱらっちまえばいい金になるのに、もったいねぇな」
「たんまり金をもらってんだ。こんな怖い屋敷は早く出ちまおう」
「ははっ!呪われちまうからな」
下品な笑い声が耳に届くが恐怖に強張った体では満足な抵抗もできなかった。
そのままカトリーナは布で口を塞がれたあとに後ろで手を縛られてしまう。
体は軽々と抱え上げられて運ばれていく。
廊下を歩いていくと地下に繋がる扉からカトリーナを呼ぶ複数の声が聞こえた。
扉は塞がれていて出られないようになっている。
邸内には誰もいない。
地下の食料が備蓄されている場所にニナやゴーン、侍女達が閉じ込められているのだと思った。
カトリーナはその瞬間、体を捩りニナ達を助けたいと手を伸ばした。
しかし廊下を通り過ぎて玄関の扉が開かれる。
クラレンスとトーマスは数時間は帰ってこない。
護衛の人達の姿もない。
(どうしよう……どうしたら!)
非力なカトリーナはどうすることもできずに荷馬車の中に投げ込まれてしまう。
「……っ!」
痛みに体を捩るが誰かに髪を鷲掴みにされる感覚に顔を歪めた。
頭上ではカチャリとお金が擦れる音が聞こえた。
「残りは伯爵邸に着いてから渡すわ」
聞き覚えのある声にゾワリと鳥肌がたった。
そして見覚えのある顔にカトリーナは大きく目を見開いた。
「フフッ、いい気味だわ……!」
「奴隷のくせに、なんでこんないい服を着ているのかしら?」
「上手く取り入ったのね?このクソ女が……でも全てわたくしのものになるの!ねぇ、お母様っ」
「そうねぇ……こんな寒くて汚らしい場所で何日も待機するなんて最悪だったわ。手間をかけさせてくれたわね。ふざけんじゃないわよ」
「……ぐっ!」
サシャバル伯爵夫人がカトリーナの頬を扇子で容赦なく引っ叩いた。
フラッシュバックする過去の記憶にカトリーナは唇を噛んだ。
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