第13話


扉を開こうと手を伸ばしたが、カトリーナはその場で崩れ落ちるように足から力が抜けてしまう。

そんなカトリーナの体を受け止めてくれたニナは体を支えながらホッと息を吐き出している。



「何事だ……!?」


「熱に浮かされたみたいで、働かなければと……ベッドに戻すのを手伝ってくださいませ」



バタンと開く扉の音と共にクラレンスやニナの声が遠くに聞こえたが、カトリーナはなんとか足に力を入れて踏ん張っていた。


(だめ……このままだと、また迷惑を。でも力が入らない)


何度も体を起こそうとするものの、全く力が入らずにニナにもたれかかったままになってしまう。


新しい場所にきた不安や見慣れない景色と環境、知らない人。

何もできなければシャルル達の言う通り、カトリーナはここから追い出されて、帰る場所もなく死んでしまうのだろう。


久しぶりに涙が溢れそうになったカトリーナは混乱からパニックになっていた。

今までどんな辛いことにも耐えられた。


容赦なく鞭で叩かれた背中や腕の傷がヒリヒリと痛む。

感じたことのない恐怖がカトリーナを追い詰めていく。

上手くやらなければと思うほどに体が動かなくなる。

こんな気持ちになったのは、はじめての経験だった。


目の前にいるニナの姿が、サシャバル伯爵夫人と重なった。



「ぁっ……!……ッ」



そんな時、大きく目を見開いたまま体をこわばらせたカトリーナを何かが包み込む。

視界は真っ暗になり、息を止めた。

冷たくて温かい……そんな不思議な感覚だった。



「落ち着け、大丈夫だ」


「……っ!?」


「ここでは、誰もお前を傷つけたりしない」



焦りから冷たかったはずの肌から熱が伝わるようにして温かくなっていく。

思い出すのはカトリーナが屋根裏から出ることなく母と暮らしていた頃。

どうしても母に触れたくて寝ている時にこっそりと寄り添っていた。

腕の中に入り、温もりが伝わると自分が愛されているような気がして嬉しかったのだ。

その時のことは今でもよく覚えていた。


自然と心が落ち着いたカトリーナは無意識にクラレンスに擦り寄るようにして体に寄りかかった。

安心感からカトリーナは久しぶりに幸せな気持ちで目を閉じた。



* * *



(……ここは?私、一体)


目を覚ますと見慣れない天井があって、しばらくはボーっとその場所を見つめていた。

声が聞こえて首を横に傾けると、真っ白なシーツに赤毛が散らばっている。

ニナがカトリーナが寝ているベッドにうつ伏せになるようにして眠っている。


サイドテーブルには銀色のクローシュが置かれていた。

その隣にはグラスと水が入った透明なガラス瓶。

喉の渇きを感じていたが、カトリーナは勝手に手を出すわけにはいかないと堪えていた。


辺りを見回してみるとカーテンが開いている大きな窓がある。

風が吹いているのかビュービューと音がした後に白い何かが猛スピードで通り過ぎていく。

窓ガラスは風のせいかカタカタと揺れている。

カトリーナはその様子をじっと見つめていた。



「よく眠れましたか……?昨日からずっと吹雪なのですよ」



優しい声が後ろから聞こえた。

カトリーナがゆっくりと振り返るとそこにはニナが起き上がり、笑みを浮かべていた。



「あ……」



カトリーナはなんとなくではあるがニナにたくさん迷惑をかけてしまったことを覚えていた。

「申し訳ありません」と小さく呟いてから怒号が飛んでくるのではないかと体をこわばらせて俯いていたが、ニナは何もしてはこない。


(どうして怒られないの……?)


そして水の入った透明なガラス瓶を持ってグラスに水を注ぐ。

そしてカトリーナに手渡してくれた。

グラスを受け取ったカトリーナはニナの意図がわからずに、そのままの体勢で固まっていた。



「飲まないのですか……?」


「…………」


「お腹も空かれていると思ったので食事を用意しました。気に入っていただけるといいのですが」



ニナはそう言いながら不思議そうに首を傾げた。


カトリーナはどうしても喉が渇いていたため、頭を小さく下げてから水を飲み干した。

ずっと乾いていた喉が潤ったような気がした。

カトリーナがホッと息を吐き出すとニナは嬉しそうにしている。

こうして笑顔を向けられたことがないカトリーナはどのような反応を返せばいいのかわからずに、「ありがとうございます」と頭を下げる。


カトリーナが焦りを感じていると、ニナは白い液体のようなものが入っている真っ白な皿をカトリーナの前に差し出した。



「食べられそうですか?」



その言葉にこれが食べ物だとわかり、首を横に振る。



「いいえ」


「もしかして、食欲がないのですか?」



カトリーナはすぐに首を横に振った。



「働かなければ食事をしてはいけません」


「え…………?」


「働いた後にいただきます」


「……っ」


「何か、やることはありますか?」



カトリーナは当然のように答えた。

何故ならば勝手に食べたら叱られてしまうし、次の日のご飯はもらえない。

カトリーナが生まれてきてからここに来るまでずっと、食べ物を手に入れる方法は同じ。

サシャバル伯爵家で働く侍女も侍従も、カトリーナが代わりに仕事をすると食べ物をくれる。


それにカトリーナはサシャバル伯爵家から行儀見習いとしてこの屋敷にやってきた。

着替えに綺麗なベッド、もらってばかりではいけないとカトリーナでもわかる。

食べ物を得るには働かなければならないと、幼い頃から体に染み付いている。

しかしニナは瞳に涙を浮かべながら口元を押さえて首を横に振っている。


(どうして……泣いているの?)


カトリーナは不思議に思い、首を傾げてニナを見つめていた。

何かを言って怒られたことはあっても、泣かれたことはない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る