第14話


ここに来てからは、カトリーナがわからないことばかり起こる。

このような対処法は本には書いていなかった。

ニナは涙を拭いながらカトリーナの手を包み込むようにして掴んだ。



「今は働かなくてもいいのです。元気になるために食べましょう」


「……?私は元気ですが」


「いいえ、栄養も休息も必要です。まずはお名前を教えていただけますか?」


「…………!」



カトリーナはそう聞いて口篭る。

『余計なことを言ったら、どうなるかわかるでしょう?』

この一カ月の間、何度も言われた言葉だ。


カトリーナは伯爵達から詳しい事情を何も説明されていない。

シャルルの代わりにここにきたのだから、カトリーナとは名乗ってはいけないのかもしれない。

サシャバル伯爵家の娘として育っていないことがバレてしまったら……そう考えているとニナがカトリーナの力のこもった手を包み込むように握る。



「……っ」


「あなたがシャルル様でないことは、わたし達にはわかってますよ」



ニナの言葉にカトリーナの心臓が跳ねた。

『帰ってきても、お前の居場所はもうないんだから』

サシャバル伯爵夫人とシャルルの声が聞こえたような気がした。


(ここから追い出されてしまえば、私は……どこにいけばいいの?)


どうすればいいかわからない焦りからカトリーナは口籠ってしまいうまく言葉を紡げない。


すると扉を叩く音が聞こえた。

ニナが返事をして扉を開くと、そこには黒いローブに身を包んだ恐らく男性と最初に出迎えてくれたゴーンがいた。


カトリーナはじっとローブに身を包んだ男性を見つめていた。

気を失う前に感じた温もりを思い出す。

しかし、すぐに視線は逸れてしまったようだ。



「ニナ、様子はどうだ?」


「お水は飲まれたのですが、食事は働いてからでなくては食べないと頑なでして……」


「…………そうか」  


「お名前もまだ教えていただいておりません」



ゴーンが目頭を押さえて首を横に振りながら「おいたわしい」と呟いている。

カトリーナはシーツをグッと握りながら考えていた。

『あんたなんてすぐに捨てられて終わりよ!』

『サシャバル伯爵家の娘はやったんだから約束は守ったことになる。あとはお前がどうなろうと知ったことじゃないわ』

『せいぜい頑張りなさい。まぁ、無理だと思うけど』

うまくできなければ捨てられると、シャルルやサシャバル伯爵夫人にそう何度も言われていた。


黒いローブを着ているクラレンスがカトリーナの前に膝をついて手をそっと取った。

手袋をしているのにひんやりと冷たい指先が気持ちいいと感じる。



「まずは非礼を詫びよう。ひどいことを言ってすまなかった」


「…………?」



カトリーナは非礼とは何のことなのかわからなかった。

いつも罵倒されすぎて、暴言に慣れていたカトリーナにとってはクラレンスに責められたことはひどいことのうちに入らない。


(非礼……最初に私に言ったこと?でも、あれは勘違いだろうから)


グルグルと何を言えばいいか考えていたカトリーナはうまく言葉が出ずに戸惑っていた。

黒いローブの隙間からは不機嫌そうなオーラが滲み出ているような気がして体がますます固くなる。



「おい……なんとか言え」


「…………申し訳、ございません」


「俺は謝って欲しいわけじゃない。質問に答えろ」


「クラレンス殿下っ!初めて会う方や女性に対しては、もう少し言葉を選んでくださいと、いつも申し上げているではありませんか!」


「すまない……」


「怖がらせてはいけません!」



ニナがカトリーナを庇うように手を広げる。

カトリーナは改めてクラレンスを真正面から見た。


(呪われた王子……この人が)


深く被ったフードの帽子からは目元も表情も何も見えることができない。 

何も言わないカトリーナに困った様子のクラレンスは咳払いをする。



「ゴホン……俺はクラレンス、この邸の主人だ。お前の本当の名前を教えてくれ」


「…………」


「シャルル・サシャバルではないのだろう?」


「申し訳……ございません」


「謝る必要はない。お前は誰だ?」



この問いに答えたら、もうここにはいられない……だが、ここで一番偉いであろうクラレンスに逆らうわけにはいかない。

それはカトリーナにも理解できている。

カトリーナの脳裏にはサシャバル伯爵達の顔がチラついたが、暫く考えてから震える唇を開いて自分の名前を口にした。



「私は…………カトリーナと申します」


「カトリーナ……そうか、カトリーナ。俺はお前のことが知りたい」


「え……?」



カトリーナはクラレンスの予想外の言葉に顔を上げた。



「私を、追い出さないのですか?」


「俺は追い出すとは言っていない。それにこの吹雪の中、外に出れば凍えてしまう」


「……」



カトリーナは首を動かして窓に目を向ける。

吹雪とは何かよくわからないが、とりあえずは外に出れば自分は死んでしまうのだろう。

何故、当たり前のようにカトリーナを受け入れてくれるのか……その理由がわからない。



その言葉を聞いてニナ達は目を合わせている。

カトリーナがそう告げたタイミングで空っぽのお腹がぐーと大きな音を立てた。



「腹が減っているのだろう?」


「はい」


「どうして手をつけない?味が気に入らなかったか?」


「働かなければ食べてはいけません。約束を破れば次の日、働いても食事をもらえません」


「…………!」


「何か私にできることはありますか?何でもやります」



カトリーナの言葉にクラレンスは頭を押さえて溜息を吐いた。

カトリーナはクラレンスの指示を待っていた。



「ならば、食え」


「……?」


「それが今のお前の仕事だ」


「…………私の、仕事?」


「そうだ」



クラレンスの表情が見えない。

形のいい唇が動くのを口元だけが見えた。

発せられる言葉は高圧的に聞こえるが声色は優しく感じた。

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