第7話


薄暗い屋根裏部屋とサシャバル伯爵家では見られなかった景色をカトリーナは目で追っていた。

カトリーナはずっと景色を見たいと思ったが、夫人に言われた通りに本を読んで復習していた。

テーブルマナーにダンス、挨拶に国の歴史など、とても一カ月で覚えられるようなものではない。

こんなことをしても意味があるかどうかはわからないが、カトリーナは本を読み込んでいた。

しかし次第に肌寒さに自分の体を抱き込むようにして押さえていた。


(寒い……凍えてしまいそう)


サシャバル伯爵家は王都に近く温暖な気候だったが、話に聞いていた通り、やはりナルスティナ領は寒いのだろう。

馬車の中でも吐く息が白い。

シャルルに防寒のために持ってこようとした布を取り上げられてしまったため、身を守るものはない。

次第に指先が氷のように冷たくなり、本のページも捲れなくなってしまう。

カトリーナは目眩を覚えて壁に寄りかかるようにして目を閉じた。


それと同時に扉が開く。唇が青くなり震えている御者が顔を出した。

カトリーナは本が詰まったカバンを持って震える足を伸ばす。

階段を降りると、一面に白い絨毯があった。


シャリという音と共にカトリーナは真っ白な地面に降りる。

カトリーナは心配そうにこちらを見ている御者に頭を下げて見送った。

馬車が去っているのをずっと見ていた。

空からはパラパラと白い塊が落ちてくる。カトリーナはずっと空を見上げていた。


(なんだろう。これ…………とても冷たい)


手のひらに落ちても消えてしまう。

白い絨毯を見ながらカトリーナは静かなこの場所に立ち尽くしていた。

靴に染み込んでいく冷たい水の感触と、カバンの中に入っている本も濡れていることに気づく。


(大変……早く移動しなきゃ)


カトリーナはカバンを持ち上げて、悴んだ足を動かしていた。

目の前には真っ白な壁と青い屋根をした邸があった。

その上には同じように真っ白な何かが積み上がっていく。


門の前まで来たカトリーナだったが、訪問のやり方がわからずに立ち尽くしていた。

本をペラペラとめくりながら確かめていたが、誰かに声をかけられるまで待っていた方がいい、または従者がベルを鳴らす。

そう本に書かれてあったが、カトリーナには従者はいない。


(行儀見習いとして来たからマナーは関係ないの?でももし失礼があって、中に入れてもらえなかったら……?)


カトリーナは無難に門の前で待つことを選択した。

こんな時、世間知らずの自分が嫌になる。

息を吐きながら手のひらを温めていた。白い絨毯を足で踏んで感触を確かめていた。

周囲をキョロキョロと見回して赤くなった指に息を吐きかける。

一向に誰も出てこない邸を見上げながらボーっとしていた。

空はグレーに染まって暗くなっていく。

どれだけそうやっていたのだろうか。



「おや……?」



扉から光が漏れたことにも気づかずに、カトリーナはその景色を見ていた。



「まさか……サシャバル伯爵家のシャルル、様でしょうか?」


「ぁ……」



カトリーナは震える唇を開いた。

白髪を綺麗にまとめている優しい目をした初老の男性が傘をさしながらこちらに駆け寄ってくる。

しかし思ったように声が出ずに、カトリーナは乾いた唇を閉じた。



「こんな雪の中で待っていらしたのですか?ああ、肩に雪が積もっておりますね。気づかなくて申し訳ございません!どうぞ中にお入りください……!」


「……っ」


「声を掛けてくださればっ!このような天気の日は馬車の音が聞こえずにお待たせしてしまって……私の不手際ですね。私はゴーンと申します」



もう感覚のない足先や手先を擦り合わせながらカトリーナは自分の体が思った以上に冷え込んでいたことに気づく。



「さぁ、暖炉の前で温まってください。何か飲み物をお持ちしますね」


「あの……」


「ニナ、布を持ってきてくれ」


「かしこまりました」



ゴーンはすぐに温かい毛布を持ってくるように侍女に声をかけている。ニナと呼ばれた侍女は一礼して背を向けた。

カトリーナは暖炉の前にある椅子に座るように促されて、正しい断り方がわからずに口篭ってしまう。

髪や服からは雫が伝っていて、カトリーナは反射的に邸を汚すことになってしまったことに体をこわばらせた。


(邸の中を汚したら、罰を受けてしまう……!)


どうしようかと辺りを見回していると慌てたカトリーナの前に先程、ニナと呼ばれていた侍女が布を持って現れた。

そしてニナがカトリーナの濡れそぼった髪を拭こうと手を上げた瞬間に、カトリーナは目を瞑り、しゃがんでから手で顔と頭を守るように押さえた。



「申し訳ございません……っ」


「え……?」


「す、すぐに片付けますので」



カトリーナを見て驚いているニナは布を持って固まっている。

部屋の奥からコツコツと鳴るブーツの音。真っ黒なローブのようなものを被った男性が現れる。



「…………なんの騒ぎだ」



氷のように冷たい声が耳に届いた。

怒りを含んだ低い声を聞いて、カトリーナはそのまま深々と頭を下げた。



「サシャバル伯爵家の娘……?この娘がか?」



いつものように粗相をした罰を受けるのだと思った。

カトリーナが頭を下げている間、ゴーンが先程のことを説明している。



「ふっ、そういうことか……噂で聞いた通り、なかなかいい性格をしているじゃないか」


「……?」



カトリーナはシャルルが社交界で悪い噂が流れていることは知っているが、どんな噂を流されているのかまではわからない。

シャルルから聞かされているのは、いつも自分がどれだけ優れているか……どれだけ周囲に評価されているかということだけだった。



「ずっと外で待っていたそうだな。戸を叩くことなく、その場で……。体調を崩したといって屋敷での対応に難癖をつけるつもりだったのか?それとも侍女に嫌がらせして評判を落とすつもりか?」


「……評、判?」

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