第8話


「サシャバル伯爵家に帰りたかったのだろう?そのためなら手段も選ばないということか。その性格の悪さでベル公爵の怒りを買ったのだろう?」


「違い、ます。私は……っ」



ローブに包まれた暗闇から鋭い視線を感じる。

暖炉の前にいるはずのに寒さが増したような気がした。

カトリーナはゴクリと唾を飲み込む。

反射的に否定してしまったが、よくないと思い口を閉じる。

しかし意外にもゴーンとニナがカトリーナを庇うように声を上げた。



「クラレンス殿下、待ってください……!これは違うと思いますっ!シャルル様は驚かれてしまっただけだと思うのです」


「私もそのようなつもりで申し上げてはありません!こんなに薄着なのも気になりますし……シャルル様に詳しく話を聞くべきではないかと思いまして!」


「ニナもゴーンも黙っていろ。俺はシャルル・サシャバルと話をしている」



カトリーナは黒いローブで全身を覆われている男性がこの邸の主人で〝呪われた王子〟と呼ばれているクレランスだと気づく。


(この方が、クラレンス殿下……)


クラレンスはカトリーナとニナの間に入り、ニナを守るように片腕を広げた。

クラレンスはニナの手から布を取ると、カトリーナに投げつけるようにして渡す。



「濡れた体でこれ以上、絨毯を汚すな」



クラレンスの言葉にカトリーナは肩を揺らした。

そしてすぐに水滴が垂れて水たまりになっている絨毯を見て、やってしまったと思った。

クラレンスは自分の体を拭けと渡したつもりの布だったが、カトリーナは床を拭けという意味合いで受け取り、すぐさま膝をついた。


(これ以上、クラレンス殿下の機嫌を損ねてしまえば私は……っ)


カトリーナに帰る場所はない。その思いから焦りを感じていた。

周囲が唖然とする中、カトリーナは必死に絨毯に染み込んだ水分を叩くようにして拭っていた。

しかし自分の体や髪から滴る滴のせいで終わらない。

体が濡れていて意味はないが、許可なくやめてはいけないと思ったカトリーナは作業を続けていた。


床掃除は毎日、日課のようなものだった。

サシャバル伯爵邸の床を綺麗に磨くのもそうだが、カトリーナに嫌がらせをするためなのかシャルルがいつもわざと料理や紅茶、花瓶を落としてはカトリーナの仕事を増やす。

掃除していたバケツをひっくり返されるのは日常茶飯事で、そのせいで仕事が終わらずにサシャバル伯爵夫人にいつも怒られていた。



「なっ……!」



しかしカトリーナが水を拭いている腕を真っ黒なローブから出た白い手袋をはめた大きな手が乱暴にカトリーナの床を拭いている腕を掴んだ。



「───何をしている!?」



カトリーナは打たれると思い、痛みを覚悟してギュッと目を瞑って衝撃に備えていた。

しかしいつまで経っても痛みはない。

カトリーナは瞼をそっと開いてからすぐに震える唇を開いた。



「申し訳、ございません……すぐに絨毯を、綺麗にしますので」


「は……?」



カトリーナがそう言って床を拭こうとしてもクラレンスは手を離してくれない。

口元は見えるものの、表情が読み取れずに怒っているのかどうなのかもわからない。

カトリーナはこんな綺麗な布で絨毯を拭いてはいけなかったのかもしれないと、自らの行いの間違いを必死に探していた。



「申し訳、ございません」


「もういい……早く体を拭け!」


「…………え?」


「ニナ、すまないが新しい布を頼む」


「か、かしこまりました!すぐに持って参りますっ」



明らかに苛立っているクラレンスは頭を下げ続けるカトリーナの腕を引き上げて無理矢理立たせると、ニナが持ってきた布を広げるとカトリーナの濡れた髪を触いている。

優しく髪を拭ってくれる大きな手。

自分のことは全て自分でしていたカトリーナにとっては初めての経験だった。



「ナルスティナ領にそのような格好で来てどういうつもりだ?死にたいのか」


「……申し訳、ありません」


「謝ってばかりだな。しおらしい態度をとって同情を引こうとしても無駄だぞ」


「…………はい」



ゴーンもニナも室内にも関わらず、とても温かそうな格好をしているのに、カトリーナは草色のペラペラと薄いワンピース一枚だけだった。

防寒用にカトリーナが持っていこうとした布も取り上げられてしまった。

恐らく嫌がらせのためにカトリーナにこの格好で行かせたのだろう。


二人の発言からわかる通り、カトリーナはいてもいなくてもどうでもいい存在で、本当に自分が必要とされていないのだと思い知らされる。

その後に「……代わりの服を用意しろ」と言ったクラレンスはそのまま部屋から出て行ってしまった。

ゴーンはこちらを心配そうに見ながらもクラレンスの後を追いかけていく。


ニナは慌てて服を取りに向かった。

カトリーナはパチパチと暖炉が弾けて燃えているのを眺めていた。

温かい風と木の燃える匂いがした。


暫くするとニナは着替えを持ってカトリーナに笑顔を向けた。

栗毛を下の方で二つに結えており、ヘーゼルの瞳は優しげに細まっている。

ニナの太陽のような笑顔はカトリーナにとっては眩しく思えた。

ニナとカトリーナはそのまま固まっていた。



「あの、濡れた服を着替えましょう?わたしがお手伝いいたしますので後ろを向いてください」



ニナはカトリーナがいつもシャルルにやっているように着替えを手伝ってくれようとしていたのだとカトリーナは理解する。

しかしニナの手をこれ以上、煩わせたくなかったカトリーナは自分の意志を伝えるために唇を開いた。



「自分で、できますので……」


「え……?」



カトリーナはニナから着替えを受け取ると、慣れた様子で服を脱いでいく。

ニナは何故か口元を押さえて目を見開いた後に顔を背けてしまった。


(貴族の令嬢が自分で着替えることはないから、驚かせてしまった……任せた方がよかったの?)

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