第6話


「役立たずでも取っておいてよかったわね!さっさと国王に手紙の返事を書いてちょうだい。一カ月後にサシャバル伯爵家の娘が向かうとね……!」


「アハハハッ、あーよかった。目障りな奴がやっといなくなるのね」



カトリーナは肩を震わせながらサシャバル伯爵を見る。

しかし彼はあの時と同じように眉を顰めたまま視線を外らしてしまった。

その瞬間、カトリーナは全てを諦めるしかないと悟ったのだ。

俯いたカトリーナを助ける者は誰もいない。


サシャバル伯爵夫人はカトリーナにある程度の立ち振る舞いを教えるために講師を呼んで、容赦なくマナーや知識を叩き込んでいった。

上手くできなければ鞭で叩かれる。気絶しても吐いてもお構いなし。

それを楽しそうに見ているシャルルとサシャバル伯爵夫人には殺意すら覚える。

シャルルは自分が辺境の地に赴く必要がないことがわかり、またいつもの傲慢さと高圧的な態度に戻ってしまう。


その後にいつものように邸の仕事をやるように命じられて愕然とした。

しかしカトリーナに抵抗する術はなく従うしかない。

カトリーナは皆が寝静まっても掃除を続けて、数時間休んだ後にまた講師達によって怒鳴られる。

毎日、その繰り返しだった。


体力の限界を迎えようとも体調が悪くてもお構いなしで、少しは肉付きをよくした方がいいと見たことがないほど豪華な食事が出されたが、疲労感から何も口にすることができなかった。



そしてサシャバル伯爵家から出る日───



カトリーナは伸ばしっぱなしのホワイトベージュの髪を綺麗に切り揃えて、ゴワつきを少しでも抑えるために香油を塗った。

肌は少しでも綺麗になるようにと化粧品を塗られていく。

カトリーナには似合わない真っ赤な口紅が塗られていくのを鏡で見ながらボーっとしていた。

シャルルのお下がりのドレスでは貧相な体が目立つだけだと急遽、首元まで隠れる長袖の草色のワンピースを着させられることになる。


鏡に映る自分の姿を見て、違うパーツを組み合わせて縫い合わせたような不恰好な人形を思い出した。


部屋から出るとサシャバル伯爵夫人とシャルルが待っていた。

扉の外で馬鹿にするように笑っていたのにカトリーナを見た瞬間にピタリと動きを止める。

顰められる眉と下がる口角、ピリピリと肌を刺すような怒りを感じてカトリーナは反射的に顔を伏せた。



「……その顔、気に入らないわ」



恐らくシャルルがそう呟いた。

そのセリフはカトリーナのトラウマとも言える出来事を思い起こさせていく。

短い息を断続的に吐き出してから唇を噛んだ。

カトリーナの手のひらにはじんわりと冷たい汗が滲む。



「ふーん、こうしてみるとコイツってお父様にそっくりなのね。あなたの顔ってそんなに美しかったかしら?いつも見窄らしいからわからなかった」


「…………っ」


「不愉快だわ。最悪な気分」



ヒュッと風を切る音と、手を振り上げるのが見えてカトリーナはグッと目を閉じた。

しかしいつまで経っても痛みが訪れないことを不思議に思い、カトリーナが目を開くとシャルルの腕をサシャバル伯爵夫人が掴んでいる。



「シャルル、耐えなさい。この子は身代わり……いなくなったら困るでしょう?」



夫人の言葉にシャルルはカトリーナを睨みつけながらもカトリーナを殴ろうとした手を下ろした。



「……そうね、お母様の言う通りだわ。ほんの少し可愛いからって調子に乗らないで。アンタなんて呪い殺されて終わりなんだから」



シャルルの暴言がカトリーナの耳に染み込んでは消えていく。

着替えやお気に入りの本を持っていこうとするが、今までの扱いがバレるのを恐れたのか、嫌がらせなのかはわからないが全て取り上げられてしまった。

そして寒いと聞いていたため、防寒用に持っていこうとした布も奪われてしまう。



「ぁ……」



珍しく抵抗するように手を伸ばしたカトリーナだったが、シャルルは布を床に捨てて、ヒールで踏み躙ってから耳元で囁いた。



「こんなボロ布、意味ないわ。ちゃんと向かったけど寒さに耐えられなかった。それなら仕方ないわよねぇ?」


「シャルル、よしなさい」


「はぁい、お母様」



布の代わりに馬車の中でマナーを復習しろとサシャバル伯爵夫人から渡されたのは十冊ほどの本がいれられた鞄だった。

今まで一緒に働いていた侍女達からはカトリーナを憐れむ視線が降り注ぐ。

重たい本を持ち上げることができずに、立ち止まっていたカトリーナに向かってシャルルの金切り声が響いていた。



「さっさと馬車に乗りなさいよ……!」


「シャルル、落ちつきなさい」


「だってお母様……この女、なんだか前よりも目障りなんだもの!早く消えて欲しいのっ」



二人の会話を聞き流しながらカトリーナは頭を下げて三人に背を向けた。

今からいい噂がない第一王子クラレンスが住む極寒の地、ナルティスナ領へと向かう。

カトリーナは力を込めて鞄を持ち上げて古い馬車に足を進めた。


厚着をしている御者の手を借りながら小さな階段を上がり、カトリーナは生まれて初めて馬車に乗る。

不安しかないけれど、この邸にいるよりずっといい……そう思うことにした。

ふと、窓の外を見るとシャルルは満面の笑みを浮かべながらカトリーナを送り出している。

馬車が出発したことに安堵のため息を吐いた後に目を閉じた。


そのままどのくらい眠っていたのだろうか。

久しぶりに感じる安心感と疲労が積み重なっていたことで寝過ごしてしまったようだ。

肌寒さにカトリーナは腕を擦る。


あとどのくらいで着くのだろうと、窓に目を向けるとガラスが曇っていて外が見えない。

長年の水仕事のせいで傷だらけになった手で曇った窓を擦る。

そのままカトリーナは外の景色を魅入られたように眺めていた。


(…………綺麗)


次々に移り変わる景色に初めてカトリーナの心に色が差し込んだ。

この後に呪い殺されるのだとしても、死ぬ前にこの景色を見られてよかったと思えた。

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