第19話

 逃げる女を騎馬列が追い回し、左右から縄を投げた。

 輪を作り、対象へ掛けてから引いてやれば締まる結び方をしているものだ。

 掛けられた縄を外そうとするも騎馬は左右へ広がり、足を取られた女は転倒する。

 歓声が聞こえた。

 後続が追い付き、年端も行かない少年が女へ寄ると、問答無用で腹を蹴り、手足を拘束していく。

 破裂音の混じった独特の言語は何を言っているのかも分からないが、女は自分が辿るだろう道を悟って絶望する以外に道は残されていなかった。


 異民族の襲来があったなら、大鐘楼が延々と鳴らされるものと聞いていた。

 ところが早朝に一度、不確かな鳴り方をして以降は何もなかった。

 だから、一部は砦へ様子を伺いに戻ったものの、多くの者が日常を始めてしまったのだ。


 冬の終わり、春が近付けば家の様子を見に村へ戻る者が増えてくる。

 未だ多くの村民らは砦に滞在しているものの、今朝は気温が高かったのもあり外出者がずっと多かった。

 そもそも大雪で動けなくなる様な土地では無い為、ザンのように毎年を自宅で過ごす場合もある。


 追い回されているのは、そうやって砦を離れていた者達だ。

 運良く森へ逃げ切れた者は震えながら身を潜め、見付かったなら例外無く殺されるか、捕獲される。


 砦への連絡路は絶たれ、幸運を祈る以外に術はない。


    ※   ※   ※


 砦の周辺には既に異民族らの部隊が展開しており、各氏族は自己判断で周辺の村々へ手勢を送り込んで僅かばかりの補給と略奪を行っていた。

 卵持ちと呼ばれる、ロアド氏の送り込んだ密偵が砦内へ大きな混乱を引き起こしてくれたおかげで、周辺の制圧は極めて早期に完了した。


 そのロアド氏が現場へ現れないことで砦攻略の優先権は別の氏族へと切り替わり、彼らは後方より運び込んだ攻城兵器を順次組み立て始めている。

 と同時に、城壁への寄せは開始された。


 跳ね橋と深い堀は極めて厄介なものだ。


 騎馬の機動力を武器とする高原の者達は、本来であれば拠点攻めを苦手としている。弓も射程より取り扱いの容易な短弓が多く、高所からの射撃にやや不利となってしまうからだ。

 だから、南方で奴隷兵を調達してきた。

 木の板に革を張っただけの盾を持たせ、後ろから射掛けて城壁へ向かわせる。

 とにかく数が多かった。

 ぼろ布を纏っただけの者達が、辿り着いた堀の端から縄を投げ、先端部の棒を胸壁へ引っ掛ける。そこから登っていくのは困難だが、一度掛けてしまえば排除するのも難しい。

 斧持ちが一つ二つを叩き折っていく間に新たな縄が掛けられ、登ってくる敵へ向けて兵士ですらない住民らが石を投げつけていた。


 砦内部の混乱は続いていたが、前線は構築され、各自の自発的な行動によって一応は防戦が成立している。


 つい覗き込み過ぎた者が、素早く近寄った弓騎兵に射貫かれ落ちていった。

 城壁からも矢が放たれるものの、散発的な射撃では捉えるに至らない。


 殴り付けるような怒声が砦内で行き交い、人が駆け回り、また声をぶつけ合う。明らかに無駄だらけだった。

 砦主の騎士が死んだだの、従士長が負傷しただのと出どころ不明な情報だけが駆け巡り、ではどうするかの話を取り纏められない。

 最初の指示では村民らは動くなと言われた筈だ。

 けれど人手が足りず、やむを得ず頼った途端に誰もが勝手な行動を始めてしまった。


 指揮官の居ない群衆は散発的な抵抗を行うだけだ。

 幸いにも城壁は熟練した兵士が詰めており、彼らが良く纏め、動いてはいる。

 問題は後方だった。


 矢の補給はまだか、叫んだ男の振り返った先、第二の郭から巨大な蟲が伸びあがり、悲鳴があがった。


    ※   ※   ※


 更に後方、西の巨壁へ向けて急報を知らせる狼煙台が血に染まっていた。

 大鐘楼が放つ音は確かに大きいが、どれだけいっても半日分の距離を稼ぐ程度でしかない。

 あくまで周辺へ危機を知らせる道具だ。

 そして、走る以上に早く情報を伝える手段は太古より煙が一番とされていた。


 七年前は雨の日を狙われた。


 火元を屋根に守らせたとして、視認性は低下する。

 珍しい、豪雨があった日だ。

 異民族らがどうやってその天候を予期したのかは不明だったが、狼煙台は意味を成さず、走る以外の連絡手段を奪われたのが七年前の襲撃だ。


 だが、狼煙台の者達からすれば後方の自分達が最初に狙われるなど予想外だったに違いない。


 砦は当然のこと、東を更に警戒する見張り台もあったのだ。

 瞬く間に狼煙台を制圧するほどの兵力を、どのようにして送り込んだのか。

 異民族は馬に乗って現れる。

 その思い込みが森に暗い影を作ったのだろう。


    ※   ※   ※


 煙はあがらず、悲鳴を伴い、血と絶望とが地面を這う。

 七年前にも見られた景色だ。

 様々な違いはあれど、襲う異民族と、逃げ惑う地元民という構図は変わらない。

 対策を用意し、準備を進めていたが、単純に異民族らが上回った。


 砦が落ちれば、この被害は更に広がることだろう。


 反撃の旗は折れたまま、助けを求める声さえ踏み潰されていく。


 状況を察しながらもゼルヴィアが動けずにいたのは、彼もまた敵襲を受けていたからだ。

 ジーンが寄越してくれた黒馬が居なければ、今頃ザンと一緒に食われていたに違いない。

 その上で苦戦を強いられ、彼を庇ったザンが深手を負った。

 勝手に師の倉をひっくり返し、どうにか命を繋ぎ留めたのがつい先ほどの事だ。

 発見した鉄箱についての動揺はあったが、まずは安堵を胸に周辺の様子を探ろうと半壊した小屋を出た。


「…………あぁ、良かった。無事でしたか、ゼルヴィア様」


 男一人を背負った状態で、脚部稼働用装具を身に付けたアルが坂を登り切って現れた。単独での成功なら初日にも見た。その後、姿勢制御の覚束ない降りは別として、登りには何度も成功している。

 だが、と考えて首を振る。

 驚くよりもやるべきことがある筈だ。


「ジーンか……」


 一見して傷らしい傷はない。

 彼の性質を理解しているゼルヴィアは勝利を疑っていないが、消耗自体は見て取れる。


「よい、しょっと」


 当人が起きていれば怒り出しそうな乱暴さでジーンの身が放り出され、更にアルは腰に巻いていた縄を引いた。


「その子は……?」

「敵です」

「っ!?」


 縄の先、板に乗せられ引き摺られていた子どもの顔を見せられて、流石にゼルヴィアも絶句した。が、魔導伯と呼ばれるだけあってか、すぐに症状の検討が付いたのだろう。肉体を乗っ取られ、変容した子どもを前に整った顔が苦しそうに歪んだ。


「なるほど。ジーンが消耗させられる訳だ」

「ザン爺ちゃんは、無事ですか?」


 姿の見えない老爺を、アルは探していた。


「すまない……命に別状はないが、守り切れず、深手を負わせてしまった」

「良かった。生きてるんですね」


 そうして少女は視線を巡らせた。


 襲撃によって身を休める小屋は半壊し、馬小屋なども真っ先に潰されている。

 抉れた地面に散乱する木々を見れば、ここで発生した戦闘が生半可なものでなかっただろうことは見て取れる。

 積み上がった木々の奥で、黒馬が血を流して倒れていることも。

 もう一頭はと栗毛を探したアルは、川へと続く道から足を引き摺りつつ歩いてくる姿を発見した。

 戦闘に巻き込まれないようにと逃がされたが、収まったのと察して戻ってきたのだろう。だが、後ろ脚の傷が深く、真っ赤に染まっている。


「ゼルヴィア様、コレ、分かりますか?」


 見た全てに反応することなく、アルは腰に挿していた枝を取り出す。

 最初は何を見せられているのかと不思議そうだったゼルヴィアも、すぐに表情を変えて受け取った。


「強力な呪詛の塊だね。この枝一本に、数百人という人の命を練り込んであるんだ。しかも、最も恨みが溜まる様に加工されている。コレは」


「こっちの……グラーグを操ってた道具です」


「成程。その精霊……いや、なんと呼ぶべきか」

「妖怪って言ってました」

「なら、その妖怪の性質にも関わるんだろうけど、肉体を乗っ取った存在にとって、人の恨みが最も己を苛むものだったんだろう。であれば、無理矢理言うことを聞かせられる筈だ」

「なら、それはゼルヴィア様が持っていて下さい」

「分かった。引き受けよう」


 では次だ、と青年は少女に手を伸ばした。

 無茶をするのは相変わらずだ。

 ここまでジーンを背負ってきたことは瞠目すべき出来事だが、彼女にも負傷が無いとは言い切れない。母親に対して大切にするとも誓っている。なにより、敵襲を受けた緊張感の中で、どこか浮ついた様子の少女を落ち着かせようと思ったのだ。


「アル」


 なのに彼女は、ゼルヴィアの手には気付かなかったのか、背を向けてしまった。

 どころか、坂道を降り始める。


「待て!! どこへ行くつもりだ!」


 追いかけて正面に回ると、アルははっとした様子で彼を見て、少し視線を彷徨わせた。

「あぁ……」

 ぼやけた声は、平静ではない証だ。

 けれど一度息を入れ替えた彼女は、驚くほど落ち着いた声音で応じてきた。


「壁に、知らせに行こうと思って」


 血の混じった横風を受け、少女は赤い髪をなびかせた。


    ※   ※   ※


 冷静だったつもりだが、どうにも言葉が足りていなかったらしい。

 坂の降り口で道を塞ぐように立ったゼルヴィアへ、アルは言葉を纏めていく。

 何故か、森でネズミの掘った穴を見付けた時と思い出した。


「砦の主塔が折れています。最初に大鐘楼が鳴ったけど、続きも無いのは一緒に落っこちちゃったからかなって」


 アルは目が良い。

 この丘からは砦の方角を見通すことが出来るから、周辺の様子も見て取れる。


「砦はもう異民族に包囲されてます。何か大きなものを組み立てているみたいですし、中は上手く回ってない感じがします。狼煙も上がってません」


 騎士になる。


 そう言っていた少女は、砦の兵士らに多くの事を学んでいる。

 大鐘楼は敵の襲来を広く素早く知らせる為。

 後方、西の壁への急報は主に狼煙で行う。

 馬の数は少なく、一頭だけが狼煙台に置かれているのみ。


 最後がどうなったかは分からないが、ここからなら一番近くの狼煙台から上がる煙が見える筈だった。

 流石に気付いてもいない、誰も辿り着けなかったとは考え辛い為、奇襲を受けて壊滅したと考えるべきだ。


「あちこち走り回ってる連中も居て、途中、捕まった人が連れられて行くのを見ました……伏せて、隠れました」

「それは正しい判断だ。でなければ、ここはまた襲われていた」

「はい。でも」


 でも、の先は口にせず、首を振ったアルは再び言葉を整理する。


「ええと。多分、敵はこの丘の事を見落としているんだと思います。なんでかは分かりませんが」


 襲撃者と、後方で。

 二つの異なる意思が働いていることなど、彼女は知らない。

 今何も起きていない、その事実だけあればいい。


「だったら、上手く森の中を通っていけば、連中の目を掻い潜って助けを呼びに行けるかなって思うんです」


 突然の襲撃で混乱はした。

 今もきっと続いていて、だからゼルヴィアへ断りも無く動き始め、心配を掛けてしまっている。


「それなら他にも動いている者は居るだろう。君は……いや、君の脚は本当に動いている訳じゃない。その装具の問題点は解決されていないし、森の様な複雑な地形を歩ける精度には至っていない。誰かに任せておけばいい」

「だったら、どうすればいいですか」


 少女の問いは容赦が無かった。

 ゼルヴィアも意図的に避けられている言葉には気付いている。


 ゼルヴィア=エルメイアは、この地にやってきた騎士だ。まごう事無き、この場で最も頼りになる筈の戦力で、だからこそ内地より呼び寄せられ、客将として遇されている。

 けれどアルの目には、彼は優秀な戦士であれ、ジーンに勝るほどの実力者には見えていなかった。


 アルは、容赦がない。


 故郷を襲撃され、今まさに全てを失おうとしている少女にとって、頼れない相手に自分達の未来を託すのは崖に身を投げるのと同義だ。


 幼心に騎士は無敵の存在に思えていた。

 けれど、研究に加わって試験を繰り返す内に、魔法には一定の法則や制約が存在し、限界がある事を学んだ。

 同じ魔法を扱う騎士もまた、制約と限界を持つ存在だろうと、ごく自然に感じ取っていたのだ。


 ましてや、砦にはゼルヴィア以外に三人もの騎士とその従士達が詰めていた筈。


 なのにあの状態であるならば、一人二人の騎士を頼りにすることが無駄であると理解できる。


 必要なのは、集団としての騎士。

 壁へ辿り着き、急報を知らせ、騎士団を派遣してもらう。

 それでこそあの、グラーグ以上の化け物にしか見えない異民族らを追い払える。


 丘へ登ってきたのはジーンやグラーグを託す意味もあったが、馬を確保したかったからだ。

 けれど栗毛と黒毛、共に負傷しており早駆けは望めそうにない。

 ならもう、歩いていくしかないだろう。


「ずっと、異民族が来たらああしてやろう、こうしてやろうって考えてきました。だけど、今日まで私のやってきたことは全部意味が無くて、戦うなんて遠すぎて、背を向けて逃げるしかないんだなって」


 だからせめて、父のように。

 なのに、アルの脚は動いてくれない。

 精霊を身に宿し、魔力の扱いを覚えて、長い坂道を登れるようになったけれど、それは、彼女以外の誰もが当たり前に出来ていたことだ。


 丘を降りれば、きっと森へ辿り着く事も出来ず捕まってしまう。


 いや、不具の娘が不具を産むのなら、敵にさえ不要を捨て置かれるかもしれない。


 歩みと呼ぶには遅過ぎる速度で、何もかも手遅れとなった故郷の端を這いずっていくしかない。だとしても。


「……どうしたらいいですか、ゼルヴィア様」


 じっと隠れているなんて出来なかった。

 攫われていく人を見た。

 身を伏せて我が身を守った。

 正しい事だと騎士が認めてくれた。

 だけど。

 見捨てた。

 皆を守れる騎士になりたかったのに。

 もしこの脚が自在に動いたなら、剣の一つも奪い取って命の限り戦ったのに。


 脚が動かない。


 どこまでいっても、もう立っている筈なのに、アルは未だに車椅子の上で座り込んだままだった。


「私に出せるものなら、何だって差し出します。研究のお手伝いだってします。嫌がったりしません。もっともっと訓練の時間を増やして、もっともっと眠らずに、身体がへし折れたって、痛くたって我慢します。もしグラーグみたいに身体を譲り渡せばいいのなら、私は――――」

 大きな手が彼女の頭に乗せられた。

 なのに、何一つ安心なんて出来なかった。

 助けは求めないなどと考えておきながら、結局彼に縋ってしまった。

「アル」


 慰めの言葉など来ないと、知っていた。


 暴れる感情に揺さぶられながらも、アルの目はしっかりとゼルヴィアを観察していた。

 内地では魔導伯と呼ばれている人物。

 ミミズ糸一つから、アルを立たせる道具を生み出した。

 それは紛れも無く、彼女が生まれて初めて目にした奇跡だった。


 未だ魔法の深淵は遠く、想像など及ばない。


 だけど、ならばここで出来る一番の手は何かと、凍えるほど冷たい思考が訴えていた。


 ごめんなさい、とアルは顔を伏せた。

 大きな手は震えている。

 思えば、彼はずっと躊躇っていた。

 最初にアルへ事実を叩きつけた時も、次に実験への誘いを掛けてくれた時も、何かを隠したまま、それ故に半端な所に留まっていた。

 やってみれば分かるが、ミミズ糸の大した危険性はない。

 精霊の危険さを説明されたものの、アルは一度たりともあの黒いイボを警戒するようなことはなかった。身体の中で、勝手に上手く処理されているのだ。

 なら、彼がずっと躊躇っていたものは何か。


 もっと危険で、きっとアルを大切にするザンが居ては打ち明けられない、何かがある筈だ。


「……………………本当に覚悟は出来るかい」

「はい」


 躊躇いなど許さないと、間髪入れず応じて見せた。

 苦しそうに眉を寄せる間すら邪魔だと、次の言葉を待つ。


 脚も動かない、畑仕事も碌に出来ず、砦へ行けばラウロ達から馬鹿にされ、読み聞かせの授業も殆どの教師からはやっかまれている――――こんな、何もない自分に差し出せるものがあるのなら。


 アルが返事をしてからも、ゼルヴィアは悩み続けた。

 襟首を掴んでやらせろと叫びたくなるのを必死に堪え、待ち続けた。


 その間にも誰かが死んだだろう。


 そうして、

「分かった。やろう」

「はい!!」

 そうして、


「は――――っ、ははははははははははははははははは!!!!!!!!」

 

 踏み出した二人を背に、ジーン=ガルドが哄笑した。





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