第18話

 森の奥から伸びてきた白亜のムカデが、従士ジーン=ガルドの身を宙に縫い留めている。

 陽の光を受ける体表はそこらの草むらで見かける甲殻類と大差はない。

 無数の短い脚と、左右へ開閉する鋭い牙、なによりどこまで伸びても尾の見えない長い胴。

 それが今、ジーンの肉体へ絡みついているのだ。

 手足を抑えられ、身動きが取れないだろうことは見上げるアルにも分かった。

 伸ばした手は届かない。

 あれほど練習した短剣も、握っていなければ意味が無い。

 咄嗟の行動だった。

 ただ手を伸ばし、ただ助けようとし、だから無意味に時間が浪費され、化け物に捕らわれたジーンは食われてしまう。


『やっぱ最初は生きた心臓だぜェ!!』


 どこから発せられているのか、甲高い声と共に彼の胸元へ喰らい付いたムカデの頭が不意に吹き飛ぶ。

『ぁア……?』

 続けて手足を拘束していた頭も吹き飛ばされ、支えを失って落下したと思われたジーンは事も無げに着地してみせた。

 手にはいつの間にか幅広の剣を握っている。


『なンだよ、なンだよなンだよなンだよテメエ……!!』


 言うや否や続々と森からムカデの頭が伸びてくるも、全てが彼の元へ届く前に斬り飛ばされて粉と化した。


『――――その心臓ッ、一体どうなってやがンだっつってんだろォが!!』


「……心臓?」


 虫の言葉につい呟きを漏らす。

 アルはそれで敵の気が自分に向いてしまうかと危惧したが、どうにもアレは既にジーンへご執心らしい。


 僅かでも意識が虫から逸れたこともあり、そこでようやくアルはいつの間にか黒馬の姿が消えていることに気付いた。

 襲われる直前まではすぐ近くに居た筈だ。

 なら、今は一体何処へ、と。


 近付いては斬り飛ばされてを繰り返していたムカデも、無駄な行動と察したのか森から生やしていた身体を一時引っ込めた。


 そういう、硬直の間が出来たからだろうか、ささやかな拍手を伴って十名程の騎馬隊が森向こうよりやってきた。


「異民族っ!?」


 叫ぶアルに先頭の男が何かを言ったようだが、破裂音を伴う独特な発音がただ不気味で、咄嗟に相手が違う生き物なのだと感じて表情を強張らせた。

 大鐘楼は鳴らされている。

 ただ、これまで聞いたどの音よりも淀み、不確かな音で、はっきりと確信することが出来ずにいたから。


「――――あぁ失礼、こっちだったかな」

「喋った……」

 唾を呑み込んで息を整える。

「僕の言う事が分かるかい? それは良かった。君からは特に色々と話を聞いてみたかったんだよ」


 肌は赤茶けていて、髪色は枯草を思わせる。

 見た事も無い染め布を肩に羽織り、動物の牙で作ったのだろう首飾り、そして手元には、


『キシャァァァァァァァアアアア!! そいつを俺の前に晒すんじゃねえ!!』


 何の変哲もない木の枝が一本。


「まだまだ躾けが足りていなかったようだね。僕は、その娘を確保しろと言ったんだ。なのにお前は食おうとしたね」

『腹ァ減ってんだよ!! だったら始める前にイケニエの十人二十人くらい差し出しやがれってんだ、ァア――――ッガアアアア!?』

「命令に従え」


 何の変哲もない小枝を見せられただけでムカデは苦しみ、森の奥へと引っ込んでいく。

 そう。

 いつしかアルはあの声がムカデのものであると疑問を持たなくなっていた。

 非常識を歌うほど世の中を知らない彼女は、ありのままを認め、思考していく。


「すまないねえ、話の途中で。コレでも随分飼い馴らしたんだけど、なにせ東方で採取した千年を生きる大妖怪なんだ。すっかり自我が強くなっちゃって、おかげで宿主に縫い留めるのも苦労しているんだ」


 男は道で会った友人と雑談でも始める様な口調で話し続けてきた。

 一方的にムカデを斬り捨てたジーンを前に、余程の自信があるのだろう。もしくは、まともな危機感など持ち合わせていないのか。


「うーん。砦で適当に腕の立ちそうなのを捕獲して、肩慣らしをさせようと思ってたんだけど、中々いいじゃないか君。その調子で色々と試させて貰おう」


 歌うように言葉を紡ぐ男だったが、後ろで見ていた騎馬隊の者が口添えする。

 あの独特な発声で、しかし反応しないと知るや言語を変えた。


「ラディック様。アレはあくまで巨壁の攻略の為の兵器です。試験使用は砦の攻略でと決めていたではありませんか。こんな所で消耗させる訳には」

「だから先に肩慣らしだと言ったじゃないか。あちらには卵付きを送り込んでいるんだし、十分じゃないかい? それに規模だけを追求した虐殺では得られる情報の質が下がる。僕の研究成果を世に示すというのに、情報不足で素人丸出しの論文を書けとでも言うのかい? もう下がっていろ、邪魔だ」


 追い払われた髭男だが、ただ後ろで見学しているだけのつもりはないらしい。

 数名に指示を出し、周辺へ向けて走らせた。


「怪我はしていないな」

 そうしている間に近寄ってきたジーンが車椅子に手を掛け、敵を警戒しつつも距離を取らせていく。

「……うん、でも」

 片手での動きでは無理があるだろうに、車輪の外れ掛かった状態で軽々と動かしてみせる。

 引かれる間もアルはジーンの状態を確認したが、衣類が破けているだけで肌には傷一つ無い。本当に、敵の攻撃は通じていなかったらしい。


 下がっていく二人を認めておきながら、ラディックと呼ばれた男は追撃も仕掛けず見送っている。

 本当に言葉通り、実験がしたいだけなのか。

 なら彼にとってアルの除外は、ゼルヴィアがやる余分な要素を排するのと同じなのだろう。


「ならいい。。分かるな?」

「――――分かった」

「良し。後はそこでしっかり見ていろ」


 大きな手がアルの頭を掴み、ある意味でそれが最も彼女を驚かせた。

 この、掴んだとしか感じられないような行為は、どうにも彼なりに気を遣って安心させようとした結果であるらしいからだ。


 戦いの場から少女を遠ざけた従士は剣を手に化け物へ向かっていく。


 足取りには迷いも怖気もなく、すっかり明るくなり始めている朝焼けの景色の中で、ジーン=ガルドが陰の様に揺らめきながら敵を待った。


 対し、ラディックは優雅に片手を広げ、あの不気味なムカデの引っ込んでいった森を示す。

 まるで随分と前に見た、芝居小屋の演目を思わせた。

 そういう遊びの雰囲気があの男にはある。


「では、改めて僕の研究成果をお見せしよう――――おいで、グラーグ」


 渋々、といった様子ではあった。

 大きなムカデの身体を地面に突き刺し、引き摺る様にして本体が姿を現す。


 当初アルは次々と現れる巨大ムカデに、そういった群れが出てくるものと思っていた。けれど、森の木々を押しのけながらやってきたのは、彼女よりも更に小柄な人間の子どもだ。

 思い掛けて、その顔が人間のものではなく、虫としか呼べないような形をしていたことで思わず顔を顰めた。

 この土地に生きていて虫を怖がるような者は居ない。

 それは森にも入れないアルでさえ同じだ。

 けれどアレは、人の形をしていながら虫のような顔をしている。

 衣服の隙間から溢れ出る様にして伸びているムカデの身体、その白亜の甲殻とまったく同じ質感の、仮面でも被っていると言われた方が遥かに納得出来そうな、十三から成る多眼頭。

 口元はアリに近い。

 それがわしゃわしゃと動いた。


『おいでじゃねえよクソッタレがよォ……、俺ぁテメエの犬になった覚えはねえよ。いつかテメエの心臓も食ってやるからな』


 あまりに場違いな男の声だった。

 人の声とは明らかに違う為、そう聞こえるだけかも知れないが、どうにも耳障りで甲高い声だ。


「ねえ……アレって……」


 潜めたアルの声にジーンが応じた。


「アイツから聞いていただろう。お前らが精霊と呼ぶ存在も、土地によって様々だ。そいつらを身体に寄生させることで同じく様々な力を得るが、過度に侵食され過ぎると最終的には自我を食われ、肉体を乗っ取られる」


「乗っ取られるって……ああなるってこと……?」


 様々だ、という話を踏まえれば、アルの場合はあのイボだ。

 自我を失い、肉体を乗っ取られたら、人の形すら失って黒いイボをうにうにさせる生物になるのだろうか。

 微妙に危機感を抱きにくい想像だが、自分の姿が保てない、という点では気持ち悪さが勝った。


「それだけなら楽に終わるんだがな」


『ッハ!! 言ってくれるじゃねえか人間風情がよォ』

「グラーグ。その相手の攻撃は強力だ。正面からぶつかるのでは無く、搦め手で行くぞ」

『へいへいやらせていただきマスよお!!』


 言葉と同時、巨大ムカデ改めグラーグの肉体が膨れ上がった。

 そして背後に控えていたラディックの指示で、騎馬隊が革袋を投げ付ける。

 風下のジーンはすぐ距離を取ろうとしたが、置き去りになるアルを見やって剣を振った。


 立ち昇る緑色の炎が、突風じみた斬撃に煽られ敵側へ火勢を伸ばす。

 

 蟲にとって火は脅威の筈だ。

 けれど、白亜の甲殻を持つ敵は平然と身を構え、むしろ自らを焼かせて突進してくる。


 ジーンへ迫りつつも更に肉体を膨張させたグラーグは、衝突の直前でくしゃりと潰れ、気色の悪い体液をまき散らした。弾けた肉体の一部には、先ほど投げ込まれた革袋が引っ掛かっている。


 起爆の直前、アルはその中身が謎の黒い粉であることを見て取った。

 粉は体液と混ざることで発火し、緑色の炎を生み出す。そして生じた炎は更に粉を食らって火勢を増していくのだ。

 彼女にとって予想外であったのは、燃える、という現象が焚火や暖炉のソレとはまるで勢いが違ったという点だ。

 すなわち爆発。

 次から次へと溢れ出る蟲の肉体と、その体液を燃料に、黒紛は目を焼くほどの火勢でジーンを呑み込んだ。


「どうかね!? 化け物の肉体を研究し、より効果的な使用法を開発してみたんだ。通常ならばただの毒性のある粘液だがね、僕の精製した粉を混ぜることで凄まじい破壊力を生み出してくれるんだよ……!! はははっ、もう黒焦げになってしまったかもしれないけどねえ!」


 いつの間にか騎馬からも降りて、自ら戦場へ踏み入って大語りを始めるラディック。どうやら手にしているグルーグの破片を見分したかったらしい。

 更にはあの木の枝でグルーグを前へと追い立て、爆発に巻き込まれたジーンの様子を伺う。

 足取りは非常に緩やかで、油断ばかりが見て取れる。


 だが、不意打ちで煙の奥から放たれた斬撃に彼は枝を振るって自分の正面へ無数の蟲を伸ばし、攻撃を防いで見せた。

 単純に枝を嫌っているだけかと思われたが、どうにもあの蟲の意思に関係無く操ることも出来るらしい。


「はははは。こちらの者は丈夫と聞いていたが、今のを受けても平気とは面白い。ではもう少し威力を上げてみようかなあ」


 また一歩、研究者は間合いへ踏み込んでくる。

 戦いを見守っていたアルはゆっくりと息を潜め、敵を見据えていた。


    ※   ※   ※


 焼かれた肌が蒸気を発して癒えていく。

 爆発をもろに受け、僅かばかりに意識も飛びかけた。


 最近寝不足だった。


 ゼルヴィアの護衛は他にも居るが、重要機密を扱う時は彼以外の従士は遠ざけられる。

 結果として日中は勿論の事、夜間の見張りも全てジーンが行わなければいけなくなった。

 寝る時間などは無い。

 精々が砦の会議へ呼ばれた時に、他の従者へ丸投げすることで数時間を得るが、やはり不足は不足だった。


 痛みはぼやけていた彼の感覚へ覚醒を促し、徐々に思考を鮮明にさせてくる。


 癒えるというのも考え物で、つい攻撃に対する危機感が薄れしまうのだ。

 回避も防御も出来ただろうに、寝ぼけ頭ではどちらも億劫で、コレはどんなもんだと受けてしまう。


『ひぃぃぃっやっはあああああああ!!』


 甲高い声は嫌いだった。

 無暗に煩い子どもの声も好かんと彼は思う。


「ジーン!!」


 けれど、しっかりしろよと、いつもの調子で叫ぶアルの声を聞いて強く剣を握った。

 生意気なクソガキめ。

 悪態を付いて一振り。

 迫っていた敵の一部を斬り飛ばし、本体から剥がれた部位が粉と化していくのを確認する。


 ジーンが肉体の治癒能力を持つ様に、敵もまた無限に増殖する肉体を持つらしい。

 しかも潰した際にまき散らされる体液は油のように燃え、毒の煙をまき散らす。


 厄介な敵だ。


 もしアレが砦や巨壁で使用されれば、際限なく膨れ上がった肉体を排除する度に被害が拡大してしまう。

 人の密集した場所で使うほどに効果が上がる、非常に嫌らしい敵だった。

 被害を恐れて手を緩めれば拠点ごと呑み込まれ、更に手が付けられなくなってしまう。どうにか処理したとして、あの革袋の中身をぶちまければ更に爆発するなどというおまけ付きだ。


 巨壁攻略の兵器のような話をしていたが、奇襲が成功すれば確かに攻略される可能性が高い。


 ならば、ここで確実に排除するしかない。


 ようやく癒えてきた肺に淀んだ空気を送り込んで、寝ぼけた頭を叩き起こす。

 毒を孕んだ空気だが、僅かに痺れを感じる程度。

 込めた力で剣を振るい、念の為にアルの元へは流れないよう援護だけはする。


 また、あの男が踏み込んで来た。


 ラディックという名の異民族。

 どうにもゼルヴィアやザンと同じ研究者の類らしい。

 ああいうのは時折見るが、戦場ですら自身の価値観を見失わない底抜けの馬鹿が多い。軽く小突くだけでは敵の肉壁がジーンの攻撃を受け切ってしまう為、無理にでも突破するか、余程不意を突かなければ仕留めるのは難しいだろう。

 反応の速さから言っても、ただの青白い顔をした戦場を知らない馬鹿ではない。


 足元の地面が割れる。

 軸足を引いた。

 飛び出た白亜の巨大ムカデが防ぐ剣ごとジーンを叩き飛ばす。


 どうにもこの敵は、対象を浮かせて仕留めに掛かる癖があるらしい。

 確かに効果的だ。

 浮いてしまえば大抵は身動きが取れなくなる。

 無限に湧き続ける肉体を壁として相手を宙へ押し出し、地に脚を付けさせることなく食い付けば、抵抗の余地など生まれない。


 ただそれはあくまで獲物を追う方法だ。


 ここに居るのは獲物ではなく、敵だ。


「さあ君の力も見せてくれ。僕の研究成果と、西の猿共、どちらが優れているかなんて分かり切っているけどねえ」


 そうしてまた、間抜けが一歩を踏み込んでくる。

 派手な前線に目を奪われて、護衛共々致命的な見落としをした。


 アルの間合いに入っている。


    ※   ※   ※


 いつしか敵の視線は全てジーンの元へと向けられていた。

 壊れた車椅子へ意識を向けている者など誰一人居ない。

 訓練の時、ウサギを演じろと彼は言った。

 ついさっきには、余計なことをするな、とも。

 その瞬間アルは彼が考えていたことが分かった気がしたのだ。


 だから敵が間合いに入ってくるその時まで車椅子に仕込んだ短剣へは触れず、ただ状況を見守るだけの子どもで居た。

 そうして何百と繰り返した練習で、最も自信のある距離に敵が立った時、恐れも不安も、殺人への意気込みや興奮すら忘れて、訓練通りの動きをなぞって短剣を投じた。


 口上を垂れ流していた何とかという男は首側面に突き刺さったソレへ遅れて気付き、血を吐いて倒れ伏した。


 異民族め。


 遅れてから殺意と恨みが沸き上がってくる。

 まるで言葉に感情が追い立てられているようだった。


 父を死なせ、姉を攫い、村に住む多くの者が苦しむ傷を背負う事になった原因共。

 そして今また襲撃を仕掛け、アル達から奪い取ろうとしている敵。


 後悔などする筈も無かった。


 震えがあるならそれは興奮と歓喜によるものだった。


 何もかもが後から後から湧いてきて、けれどその感情の奔流に呑み込まれかけながらもアルはジーンを見た。


「上出来だ」


 従士は下方から自分に取り付こうとする蟲の化け物を上空へ打ち払い、浮いた隙間を縫って後方で観戦していた騎馬隊へ雷光を浴びせ掛けた。


 アルの行動で注意が彼女へ向いた、直後の出来事だった。


 黒ずんだ塊となった敵が崩れ落ちて、けれど、


『自由ぅううううううっっっだあ!!!!!!!!』


 化け物は止まらない。

 これまでの膨張が児戯のように凄まじい量の質量を天上へ向けて打ち上げて、アルとジーンの頭上を完全に覆う。

 まさしく山だ。

 空に、逆さまになって降ってくる山がある。

 魔法で脚が動くようになりました。そんなアルにとっては奇跡のような事実が笑い話に思えてくる程、目の前の景色は現実離れしていた。


 千年を生きたという大妖怪。

 人の意識を完全に呑み込んだ精霊に類するモノ。


 だからといって、こんなことが出来るのかと。


「……………………はは」


 小さな世界しか知らなかった少女は、今また壊れた車椅子に押し込められたまま、笑っていた。

 たった一言だ。

 一時は敵という言葉に呑み込まれかけた事実が、分かり易い一言へと集約されていく。


「グラーグ」


 名を呼んだ。


「お前っ、すっっっっごいんだなぁ…………ッ!!」


『ぁアあ?』


 山が落ちてくる。

 吹き出した後で、支える手段が無いからだ。

 上昇の勢いを失ったまま落下してくるグラーグを前に、憧れを口にした少女が居る。

 そして、もう一人。


 雷光を纏った男が今度は大地を叩き、巨大な柱を出現させる。

 一本ではない。

 計、四十七本。

 一つ一つが砦の主塔を思わせる大きさで、それは鳥が舞い上がるような速度で上空へ向けて伸び続け、落下してくる山と衝突するや双方共に崩落していった。

 加えて放たれたのは暴風だ。

 大木ほどの大きさもあろう破片が風に飛ばされ宙を舞う。

 上へ上へと放たれているから見ていられるのであって、もしあの中へアルが投じられたなら土くれに混じって成す術無く潰されるだろう。

 加えてダメ押しの紫電。

 膨張を続けるグラーグに埒が明かないと判断したのか、防ぎつつも仕留めることを選んだらしい。

 山を受け止めながら片手間で敵を殺しに掛かる、ジーンの判断も大概が化け物じみていた。


 が、急にそれが崩れた。

「っ――――っ、っっっ!!」

 ジーンが苦し気に心臓を抑え、放たれていた全ての魔法が止まる。


『すッッきアリィィイイイイイイ!!』


 よって阻まれるモノを無くしたグラーグが、未だ残る障害物を避ける為にか、膨張させていた肉体を引っ込めて落下してきた。

 土柱があがる。

 そうして吹き飛ばされたのは異形の肉体を持つグラーグの方だった。

 縮小化した身体から幾つもの破片をまき散らしながらも転がって、腕を伸ばしてどうにか止まる。腕というのも無数のムカデで、物理的に大きく伸びて衝撃を受け止め、受け止めきれずに引き千切れていった結果ではあるが。

 小柄な子どもを思わせる胴体のグラーグは、地を這うようにして構えを取りつつ前方を見やった。


 土埃が張れて、姿を現したジーンは普段通りに佇んでいるだけだ。

 垣間見えた苦し気な様が本当だったのか今はもう分からない。


 そうして。


 紫電が放たれ、虫は溢れ出る肉体を盾とし、攻勢が収まらないと知るや地中へ一部を潜らせた。が、従士が地面を蹴りつけるや大地が軋み、潜り込んだ虫を擦り潰す。膨張、膨張、更に山を生み出すつもりなのかと思えるほどに膨張しつつ、その背後から上空へ飛び上がるものがあった。朝日を背にジーンへ強襲するソレを切り捨てようと剣を構えたが、彼は即座に囮と判断して大きく側面へ回避した。視線を巡らせる。左右へ、上空と、地面、そして地下へと。そうして彼の意識から外れた後で、落着した肉の塊を割って這いだしてきたグラーグが駆け出した前へ、膨れ上がった腕で己の肉体を投げ放った。空気が縮むほどの速度を受けて、軌道上には熱気なのか冷気なのかも分からなくなるような蒸気が広がった。流石のジーンもこれを回避するには至らず、遅れた反応が無理な防御を選択させた。左腕を晒し、剣すら捨てて右手を添える。そこから滲み出るようにして生じたのは、黒曜石を思わせる黒岩だ。が、虫は呆気無く岩を砕き、防ごうとした男の肉体ごと跳ね飛ばしていった。呆気にとられる様な攻防の後、ようやくアルが息を吸う。大丈夫なのかと心配の言葉を放とうとした。そこへ、跳ね飛ばされた上空から塔を思わせる様な巨大な槍を手にしたジーンが降ってきて、速度を殺し切れずに滑っていたグラーグへ投げ放ち、縫い付けた。悲鳴が上がる。続けて浴びせかかる紫電に甲高い虫の声が続き、焼け焦げる悪臭が増す程に小さくなっていった。


 その中に、アルはふと女の子の声を聞いた気がした。


 くるしい、と。


「っ!? 駄目!!」


 思わず叫んでいた。

 トドメを刺そうと巨槍へ触れていたジーンの視線がアルへ向き、その側面へ鋭いグラーグの尾が突き刺さった。


『なンだなァンだよテメエの心臓はよお!! そんな出力に人間が耐えられる筈ねえだろうが!! 何モンだテメエ……!! このグラーグ様を前に、人間の恰好保ったまま戦い続けようってのかッ、ぇえオイ!!』

 体内で膨張を始めようとする尾棘をジーンは掴み、脂汗の滲んだ顔で叫び返す。

「あい、っにくと……人間、だから、なぁ……!!!!」

 赤熱していく白亜の甲殻虫。

 それはジーンを貫いた尾より伝わり、這いずる化生の如く敵の中核を捉え、胸元を赤く爆ぜさせた。

『くそっタレがッッッ!! この…………、化け物、が、ぁああアアア゛ア゛ア゛!!!!』


 怨恨の言葉を置いて、妖怪と呼ばれた虫の化け物は倒れ伏し、ようやく、動きを止めた。


「……全く、余計な、手間を……増やしやがって…………」


 ジーン=ガルドは片足を引き摺ったまま歩き続け、けれど激しく咳込み、崩れ落ちた。視線の先にあるのは、アルによって仕留められ、歓喜のままに絶命している敵将だ。


「ガ、キ……が、っっ!! っ、くぁ、ぁ――――」


 伸ばした腕を最後に、彼もまた動きを止めた。


 残ったのは、車椅子の少女ただ一人。





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