第17話

 天井から吊るされた縄へしがみ付き、アルは寝床近くに置かれた車椅子へ自力で乗り移る。

 しばらく前にゼルヴィアからの提案で設置されたものだが、随分と使い勝手が良くて重宝している。欲を言えば、あと一本あると飛び乗る必要が無くなって便利だ。


 表の鍛冶場ではザンが横になっており、ゼルヴィアは壁に寄り掛かったまま、二人は揃って寝息を立てていた。


 空は僅かに白み始めたばかり。

 一般的な村民らは起き始める時間だが、日中から活動を始め、夜遅くまで起きている二人はまだまだ夢の中だ。


 出来るだけ静かに鍛冶場を抜けて、戸口で止まる。


 部屋の中は温かく、冬篭りでここまで寒さに煩わされなかったのは初めてと言える程、ここしばらくは快適な生活が送れている。

 どうにも詳しい所は不明だが、ゼルヴィアが魔法で暖めてくれているらしい。

 おかげで外の寒さが億劫だ。

 外から帰ると頭がぼうっとしてしまうのも問題だった。

 ともあれ、とアルは車輪を押して車椅子を戸口の外へ向かわせる。


 途端、骨身が締まるような寒さに包まれて、吐いた息が盛大に白い靄と化した。


 緩めていた防寒着を直し、首を縮める。

 冬の終わりが近付いてきたおかげで昼には防寒着など放り出すが、夜明け前のこの時間はまだ冷える。

 毎年砦で過ごしていた時はレイナの部屋が暖かったのもあり、アルは別の場所でも薄着を通していた。ただ、地下の暖炉から送られてくる熱を居館全体へ生き渡らせる構造の為、それほど暖かい訳ではないと今更ながらに気付かされた。

 砦の騎士とはいえ、個別に暖炉を用意して薪を燃やし続けられるほど贅沢の出来る土地ではない。


 寒さに耐えつつアルが最初に向かったのは厩だ。

 ゼルヴィアとジーン、二人が住む様になって馬も増えた。後ろの男は別にどうでもいい派のアルだが、彼にくっついてくる黒馬には興味津々である。


「おはよー」


 飼い主と違って馬は夜更かしもせず早起きだ。

 アルは立てかけてあった熊手を取って、二頭へ飼い葉を与えてやる。

 掘っ立て小屋も同然と、気分転換の手慰みとして用意したとゼルヴィアは言っていたが、土を盛っただけのアルの家と比べても、全面板張りという手の込み様である。二人が内地へ戻る時には建材を好きにして良いという話なので、家の屋根を新しくする良い機会なのかも知れない。

 研究へ協力を続ける以上、アルもそこに付いて行くことになっているのだが、やや話を置き去りにしてきたこともあり、どういう形になるのかは分かっていない。

 冬が明けて、家族が戻ってきたのなら、その時に改めて話をしようと思っている。


 特に指示された訳でもないが、この飼い葉を与える仕事がアルは大好きだった。

 なにせ、足元に置かれた餌箱へ馬が首を伸ばしてくるのだ。


 栗毛でちょっと気位の高い方がゼルヴィアの馬。

 黒毛はジーンの馬で、こちらは意外なことに食いしん坊でのんびり屋だ。

 栗毛の方はあまり撫で回していると鼻を鳴らしてそっぽを向くが、黒毛は幾ら撫でても気にしない。食事中であればちょっと悪戯っぽいことをしても完全なる無反応なのだ。

 そうしてアルが黒毛を弄り回して遊んでいると、不意に栗毛がしゃきっと首を伸ばしてくる。

 撫でても良いぞ、という合図らしいのでアルはそちらへ向かう。

 なんにせよ、大好きな馬と遊べるので車椅子少女はご機嫌だった。


 飼い葉を与え終わると、桶を掴んで奥にある細道を行く。

 前は獣道同然で車椅子では行き来の出来なかった場所だ。

 冬篭りが始まってすぐに、ゼルヴィアが砦で待機させていた従士らを呼んで道を整備させた。

 おかげで多少の起伏はあれどアルでも通れる状態になっている。

 整備の様子を見たかったのだが、ザンと一緒に奥で過ごしている様強く頼まれてしまい、結局礼の一つも言えなかった。


 辿り着いた川へ紐の付いた桶を投げ、引き寄せて腰後ろに通した棒へ引っ掛ける。

 帰りは登りがややキツくなるので二つで我慢だ。

 幸いにも麓の家から汲みに行くのと比べれば短い距離なので、何度も往復すれば水瓶は一杯になる。


 ありがとう、と言ってくれる母は居ないが、代わりに大喜びで水を飲んでくれる馬が居るので満足度はちょっと高めだったりする。

 黒毛の愛らしさと素直さが半分でも主に移ればいいのに、などと思わなくもない。


 そう、ジーン=ガルドだ。


 ザンもゼルヴィアも小屋に居たが、あの薄暗さを身に纏ったような男の姿が見当たらない。そも眠る姿など一度も見たことがないし、時折本当に居るのかと探ってみたりもするのだが、アルが覗ける範囲では発見できなかった。


「うーん」


 わざとらしく声を漏らし、車椅子を滑らせていく。


 飼い葉はやった。

 水も汲んだ。

 川辺で軽く顔を洗って身体も拭いた。

 何気無い風を装いながら小屋へ戻り、手拭いを放って壁際の紐を掴む。


「ふんふんふ~ん」


 下手な鼻歌など口ずさんでみつつ、赤髪を短く纏めた。

 それからやや大きな物音を立ててしまったが、無事見咎められることなく回収に成功し、木箱を膝の上へ乗せる。


「ふ~んふんふん」


 そうして分厚い革手袋を両手に付けたアルが満足げな顔で坂道へと差し掛かり、車椅子が傾きかけた時。


「おい」

「わあ!?」


 薄暗い森の奥から響くような声がやってきて、完全に油断していたアルは驚きのあまり木箱を放り出しそうになった。


 坂の降り口、その直前で車椅子は止まっている。

 止めているのは、ジーンだ。


 一体どこで見ていたのか、薄闇の妙に似合う男は何故か強く睨むような表情で車椅子の取っ手を掴み、アルを見下ろしている。


「なんのつもりだ」


「え、えっとぉ……」


 平時なら口八丁で誤魔化すアルだが、どうにもジーンの様子がおかしい。

 彼女も車椅子での坂下りが多くの者にとって危険を感じさせるものである、心配を掛けてしまうことであるとは知っている。

 だが当人からすればそれなりにこなしてきた経験もあり、むしろ時折コレをしないと収まらないくらいの素晴らしい遊戯なのだが、とにかく怒られることだと知っている。


 なので最初、ジーンは怒るのだと思っていた。

 彼がアルの心配をする、という姿が想像出来ないものの、決まってそういう反応ばかり受けてきたからだ。


 なのに今、ジーンは睨み付けつつも何かを言おうとしない。

 どういうことなのだろうか。

 やってきたのが拳骨や罵倒であればいつもの調子で言い返して逃げるだけだというのに。


「……なんのつもりだ」


 やがて同じ言葉が繰り返されて、ようやく質問の答えを待っていたのだと気付く。

 本当にそうか? という疑問は残りつつも、言葉通りに受け取って説明することにした。


「……ちょっと家まで着替えを取りに」

「……………………はあ?」


 数段低くなった声が怖い。


「だ、だからっ、服を取りに行くのっ」

「小屋に纏めて置いてあるだろう」

「昼間は暑いこと増えたからソレ様のを取りに行いきたいのっ」

「どうやって」

「そんなの車椅子で降りてくに決まってんじゃん!!」


「……………………はあ?」


「痛い痛い痛い痛いっ!? なんだよもうっ!? 怒るなら最初から怒ればいいじゃん!! 不意打ちとか卑怯者だぞおっ」


 何故か頭を掴まれ潰されそうになったので、振り切って逃げようとするが車椅子の取っ手は掴まれたままだった。


 そうしてジーンにしては珍しく、盛大にため息をついた。

 全く意味の分からない奴だ、などとアルは思っているが、一般的に車椅子の少女が人目を避けて急斜面へ身を投じようとしていたら、世を儚んで死を選ぼうとしているように見えることはまるで頭にない。


 表面的な態度などで人は判断し切れないものである。

 普段明るく振舞っている者が、ある日突然糸が切れたようになる姿もジーンは見た事がある。


 だから、普段通りの馬鹿面を眺めて、杞憂だったと再び大きくため息をついてから、

「よくやるのか」

「うん」

「そうか」

 断りもせず坂道へと車椅子を押し出した。

 八つ当たりである。


「わあっ、っと!!」


 アルも最初は驚きこそすれ、すぐに頭を切り替えた。

 この坂は頂上付近、つまり出だしが最も急だ。

 すぐに速度は上がり後続を引き剥がすことが出来る。一度兄や母の目を掻い潜ってしまえば、生身の人間が走って追い付けるものではない。


 だが。


 強く指笛が鳴らされたかと思えば、坂下りをするアルのやや後ろへ黒い風が纏わりついてきた。

「なにこれ!?」

「前を見ていろ」

 言われて視線を戻し、左の車輪を軽く掴んで森側へ寄せる。

 右手は村を一望できる断崖絶壁だ。遠くを見やれば砦にも目が届く。いつもであれば手癖で森へ寄せていたのを、後ろに気を取られて危うく落下する所だった。

「吠えた割に危なっかしいな」

「だれのせいだと……!!」

 そうこうしている間に後ろから蹄の音が聞こえてきて、直進路を確保した上で振り向くと、黒馬が相変わらずののんびりした顔付きでアルを追いかけてきていた。

 なんでどうしてと不思議現象に目を輝かせながらも、次の蛇行に備えて右の車輪を握る。

 車椅子が跳ねた。

 着地で車軸が危うい音を立てる。

 その音を踏み潰すようにして黒馬が迫ってきた。

 いや、とアルは気付いた。

 余計なことを思い付いた、とも言う。

 この状況はまさしくアレではないかと益々笑顔になった。


「先に着いた方が勝ちねっ」


 追いかけっこだ。

 いつもは仲間に入れて貰えなかったが、今ならば思う存分走っていける。

 乗っているジーンは余計だが、相手が馬と思えば最高の気分だった。


「余計なことをするな、死ぬぞ」

「今から負けた言い訳するんだあ、へえ?」

「……………………はあ?」


 ダン、と黒馬が一際強く地面を打ち付けて、アルを追い抜きに掛かるが。

「ちっ」

 進路先を塞ぐように車椅子を動かした。

 馬の速さはもう知っている。

 もっともっと速度を出さなければ簡単に追い抜かれるだろう。

 そうしてアルはいつにも増して楽し気な笑みを浮かべ、軋む車椅子の車輪を押した。


    ※   ※   ※


 同時刻、砦からの哨戒を命じられたラウロは革鎧と手槍、後は基本となっている非常食などを身に付けて第一の郭を出た。

 要するに朝から荷物を抱えて走らされるのだ。

 兵士として戦うことは名誉だが、こういった地道な訓練を好む子どもは少ない。

 しかも、この哨戒が終わった後は決まって重労働が待っている。

 とことんまで披露させ、身体がふらふらになったら複数人対複数人の実戦稽古をやらされる。

 ようやくやり甲斐のある訓練になるのだが、流石に殆どの者はまともに戦えない。

 異民族が来れば日夜責められ続けて城壁を守ることになるんだぞ、という言葉は理解出来ても、まだまだ腕っぷしを誇りたい少年らは地道さより派手さを欲しがる。


 なんにせよ、目覚めて早々にうんざりする話だった。


 どうにか定刻通りに集結が完了し、夜の間に上げられていた跳ね橋が降り切るや従士長の号令を受けて一斉に駆け始める。

 列を乱すな、の言葉で冷静さを取り戻し、並んでの駆け足行軍が始まった。


 橋を渡り切った所で、砦外で寝泊まりしていた者達から応援やら野次やらを受け取りつつ、ラウロ達はいつも通りに西へ足を向けたのだった。


「……うん?」


 と、最後に振り返り、砦へ入っていく一団を見やる。


「急に速度緩めるなよ、まだ従士長見てるぞ」

「悪い」


 一団の中に、妙な顔付きの少年が居たように思えたのだ。

 内地の従士だ。

 年の頃は十歳ほどで、ここ最近砦内でよく見るようになった顔。

 あの赤髪の少年とは違って不愛想だから、ラウロら地元の見習い達は声を掛けようとはしない。

 外地の人間が、などと蔑まれることは、最近ではそう珍しくなくなっていたからだ。


 温和で礼儀正しいゼルヴィアを見た時などは、これが憧れの騎士かと純粋に喜ばしかった。

 けれど、次にやってきた二人の騎士は非常にいけ好かない奴らで、従士長の呼び掛けすら無視する始末だ。

 あれからまた一人増えたが、似たようなものと最初から距離を置かれている。


 先ほどの不愛想な少年は、そのどれかの従士である筈だが、妙に表情が引っ掛かった。


「おいラウロ」

「わぁーったよ」


 後ろからせっつかれて、考えるのを諦めた。

 門番も居る。

 違和感を覚えながらも先を想像するには至らない。

 いつも暗い表情をしていた少年が異様なほど目をギラ付かせ、笑みを浮かべていたことを認めていながら、ラウロの意識は哨戒任務へと切り替わって行ったのだった。


    ※   ※   ※


 速度が増すと、曲がり角は凄まじい危険を孕む場所へと変貌するらしい。

 すっかり追いかけっこが楽しくなっていたアルは、既に引き剥がし始めている黒馬の足音を聞きながら更に速度を求めた。

 彼女の進路妨害や、予想外なほど巧みな経路選択などで思わぬ遅れを取っていたジーンは相変わらずの読めない表情で先を見据え、ふと手綱を左へ引いた。


 最後の大きな曲がり角。突き出した森を迂回していくアルを後ろから眺めつつ、これまでを想い、失敗することはないだろうと目算を付けた。


「ふン」


 そうして、迫る森へと真っ直ぐに突っ込んでいくジーンと黒馬は、あわや木と衝突という所で消滅した。

 残ったのは、黒を帯びた風だけだ。

 風はまっすぐに木々の間をすり抜けて、大回りしてきたアルの遥か前方でまたひと固まりとなる。


「ええっ!?」


 素っ頓狂な驚き声を背後に、黒馬と共に出現したジーンはそのまま直進してきた速度の有利を活かし、完全勝利を成し遂げた。


「何それえええ!?」


 が、ここで問題が生じていた。

 ただでさえ速度を上げるという無茶に加え、見た事も無い現象に目を奪われたアルが減速を怠った。普段のお遊び含みな坂降りですら降りた所で何度も回って減速をしなければいけないというのに、追い抜かれた事で加速すら掛けていたのだ。


「馬鹿がっ、止まれ!!」

「っ!?」


 ジーンの一喝で慌てて車輪を握るアルだが、あまりにも遅過ぎた。

 ただの少女と比べれば遥かに腕力も握力もあるものの、速度全てを受け止めるにはまだまだ細過ぎる。

「ちっ、そのまま真っ直ぐ来い!」

「ええ!?」

「いいからそのままだ!!」

 黒馬へ突っ込めと言われて流石に気が引けるも、先ほどの不可思議な出現を見ていたアルはすぐに納得した。

 短剣投げの稽古はあれから何度も受けている。

 気に入らない所は数えればキリがないものの、教えを請うてきた日々は、この場で彼を信用するに足るものだった。

「怪我、させないでよねっ」

「お前次第だな」


 方や黒馬を、方や車椅子の少女を見据え、両者の間に猛烈な黒い風が巻き起こった時だ。


 薪でも割った様な小気味良い音が丘に響き、直進していた車椅子が右へ傾き、引き摺られ、


「あ……」


 勢い余って少女の身が抱えていた木箱ごと放り出された。

 速度が出ていた為、冗談のように宙を舞っている。

 流石のジーンも不意を打たれたのだろう、驚きつつも空の車椅子を受け止めることに成功するが、二つの飛翔物の内、どちらを優先すべきかで少し悩んだ。

 結果的にだがアルの身に纏わりついた風が投網のように勢いを受け止めて、ようやく止まった後で、少々雑に放り捨てる。


「痛っ!? ちょっとおっ、最後のはわざとでしょお!」


「……はぁ」


 ため息に含まれる意味を察するに余りある喧しさと元気良さで、脚の動かない少女が文句を垂れ流してくる。

 何か言い返してやろうかと考えたジーンだったが、駆け比べで対抗してしまった自分を思い返し、

「はっ」

「なんか馬鹿にされた気がするーっ」

 鼻で哂って忘れることにした。


 畑の方へと飛んでいった重要機密を含めて、とりあえず始末を付けられるのが自分しかいないことを思い返してまたため息が出るも、一先ず壊れた車椅子にアルを乗せてやった。

 車軸が歪み、車輪がはずれ掛かっているせいで傾いてしまっているが、他に納める場所も無い為仕方がない。

 次にどうしようかと畑へ目をやったジーンは、けれどそちらへ足を向けず丘向こうを見やった。


 東の地より微風が流れてきている。

 冬の終わりを感じさせる、暖かい風だった。


 そうして剣の柄を握ったジーンの背後、砦から鐘の音が鳴り響いた。


    ※   ※   ※


 大鐘楼が、七年前の悲劇を繰り返さないと多額の税を注ぎ込んで設置した巨大な鐘が、高々と掲げていた砦の最奥、主塔の崩落と共に落下していく。

 突如として鳴り響いた爆発音、それが原因だった。

 入り込んだ間諜は既に爆発を受けて黒ずんだ塊となっており、最初から使い捨てにするつもりで威力を上げていたことが伺える。


 幸いにも、と言って良いのかは不明だったが、塔は砦の外へ向けて折れた。

 内向きであったなら、一族の者や騎士など主だった人物が詰める居館や、冬篭りで第一・第二の郭に天幕を張っている村民らが下敷きになっていたことだろう。


 が、果たして無事だったと言えるだろうか。


 地面に打ち付けられた大鐘楼が鳴り響き、その音に紛れて悲鳴があがる。

 入り込んだ間諜は一人ではない。

 一斉に暴れ始めた彼らだが、多くは大した被害も無く討ち取られた。不意打ちとはいえ、砦は多くの兵士が詰めている。


「ええい何をしているか!? はやく知らせをッ、敵はどこに居る!?」


 状況が落ち着いたのを察してか、居館から家令が飛び出してきた。

 そうして破壊された主塔の前に転がる敵らしき黒い塊を見て、蹴りを入れた。


「この異民族めが……!! あれだけの金を費やした大鐘楼がっ、っ、おのれええ!!」


 転がる死体へ怒り冷めやらぬと追撃を加えようとするが、踏み出す彼の背後から人に支えられて歩いてくる老爺が居た。

 白髪交じりで顔には皴も色濃いが、眼光は傷を負って尚鋭く、肉体は現役の兵士らと比べて一回りも大きい。

 この砦の主、ガーラルド=ベレフェスその人である。


「おおっ主様!? そのご様子は一体!?」

「……居館の一部が崩落に巻き込まれたからな。大事無い。まずは跳ね橋を上げ、入り込んだ敵を掃討しろ」

「承知致しました――――おいっ、従士長はまだ来ないのか!! 禄ばかり受け取って有事に主の元へ駆け付けんなど不届きだ!! さっさと呼んで来い!!」


 そもそもこんな砦の奥地にまで入り込まれている時点で、容易な解決など望めない。

 ガーラルドは使い捨てられた敵方の間諜を見やり、すぐさま次なる手を打つ。


「天幕は全て取り壊し、村民らは壁際へ並ばせ待機を命じよ。勝手な移動は断じて許さん。逆らえば殺せ。兵には現在の持ち場を厳守とし、持ち場外に居る者は拘束せよ」

「入り込んだ敵はどう為さいますか」

「こちらで遊撃部隊を編成し、その者達に狩らせる」


 強く胸を打っているのか、苦しそうに息を吸い、けれど力強く叫ぶ。


「皆七年前を思い出せ!! 再び東の地より悪魔共が押し寄せてきたぞ!! これ以上我らから奪わせてなるものか! いざ武器を取れ!! 今こそ雪辱を果たす時だ……!!」


 応、応、と砦の各所から声が上がる。

 さあ次だ、そう言ってガーラルドは崩れた主塔に背を向けた。

 多額の金を投じた策ではあったが、無い物に未練など残してはおけない。

 ただ、それを待っていたかのように、完全なる死体と化していた筈の塊が蠢き、その腹を食い破った。

 巨大なムカデが、背後から襲い掛かった。


    ※   ※   ※


 森の奥から伸びてきた白い何かを、アルは正確に捉えていた。

 けれど、見えるだけで碌な反応は出来ない。

 身体が動かないのではなく、動く脚が無い為だ。

 真っ直ぐ自分に向かってくるソレを見据えながら、せめてもの抵抗と身を縮めて耐えようとする。

 あまりにも些細な抵抗だった。

 多くの助けを受けてようやく疑似的に脚を動かせるようになった少女は、けれど壊れた車椅子の上で息絶えるしかない。

 カタカタと軽木をぶつけた様な音を立てて迫る、巨大なムカデの頭を睨み付けながら、外れかけの車輪と座椅子の隙間へ手を伸ばす。

「っ!!」

 ムカデの攻撃はアルに届かなかった。

 庇い出た大きな背中が見えたかと思ったら、その身体が跳ね飛ばされて宙を舞ったからだ。


『イッタダッキマース!!』


 甲高い声が響き、浮いたジーンの身へ白亜のムカデが襲い掛かっていく。

 一つは防いだ。

 だが、続く二つ目、三つ目と、次々伸びてくる虫の頭が彼の四肢へと喰らい付き、動きを拘束した。


『心臓貰ったァアアアアアアア!!』


 再びの声。

 その宣言通りに、胸元へ最初のムカデが鋭い牙を突き立てた。

「ああ!!」

 思わず伸びた手は何一つ届かない。


 車椅子の少女アルの目の前で、従士ジーン=ガルドは食われてしまった。





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