第15話

 粘土質な土を固めて壁にして、屋根は歪な板を通して粘土を刷り込んである。

 大きな葉を屋根に重ねてはいるが、すっかり枯れ切っており、重しに乗せた石がまたみすぼらしさを増していた。

 床など剥き出しの土で、踏み固められていない窓際には雑草すら生えている。

 垣間見えた扉も無い寝所にあったのは、まさか藁だろうか。


 潜入こそすれ、現地での生活様式など知らなかったレナードは、あまりにも貧相な有様に絶句していた。


「あはは、内地の人からすると貧乏くさいよねえ」


 砦は戦場になる場所だ。無暗に飾ったりはしないし、機能性を優先した造りであってもおかしくない。それに、居館などはまだまともな家具があったし、何より少女の乗る車椅子を見れば、ある程度の力ある氏族なのだと考えていたのだが。


「あ、でも今から食べるのは別だよー。ちょっと奮発して、内地から出てきた商人から買ってきたんだから」


 椅子があり、机があるのが奇跡の様に思えるほどの貧しさにレナードはめまいがした。

 もしここが母の生家だとすれば、あまりにも不憫だ。


「じゃあそこ座ってて。あと何人か来る予定だから。母さーんっ、一人分追加行けるよねーっ」


 ぶった切った木、それだけの、あの丸太を椅子と言い張るつもりだろうか。

 いや、レナードも一応はそうだと認識していた。

 なにせ机と並んでいるのだから。

 大地に座り、そこで食事を摂る遊牧民族として生きてきた彼にとっては違和感もあるが、もしかしたらああいうものなのかも知れないと思い直す。


 下手なことを言うと内地の出身でないことがバレてしまうだろう。

 とはいえ、このように貧相な家庭であれば学も無く、簡単に知られてしまうとは思い難い。

 どうにか動揺を落ち着かせ、丸太もとい椅子へ腰を落ち着かせた。


「うん? 君は」


 ところがこの狭くて貧相な家にはあまりにも不釣り合いな男が入ってきた。金色の髪で、身なりは明らかに良い。潜入者であるレナードはしっかり顔を把握していた。

 彼は、内地から来た騎士のゼルヴィア=エルメイアだ。

 素性云々は把握し切れるものではないが、砦の居館はともかくこのような所で遭遇する相手ではない。


「っ!? あ、あの」

「戸口で脚を止めるな、ゼル」


 更にここで暗がりを身に纏ったような男が現れた。

 名をジーン=ガルド。ゼルヴィアの従士で、おそらく途轍もなく強い。

 砦で見かけて以来、その淀み無い足取りや静か過ぎる気配が恐ろしかった。目の前に居るのに、ふと漂ってきた霧の中から突如として腕を伸ばしてくるような、そんな油断の出来ない雰囲気がある。


「見た顔だな。砦の小僧か」

「あ、は、はい……」

「あのガキ、余計な奴は連れ込むなと言ってあるのに」

「まあまあ、あくまで食事を楽しむだけだ。よろしくね、ええと」


「レ、レナードです」


「そうか。よろしく、レナード。僕はゼルヴィア。こっちはジーンだ。僕らもこの一家の食事に誘われてね、仲良くやろう」


 思わず本名を答えてしまい、歯噛みするのを必死に堪えた。

 にこやかに応じるゼルヴィアとは違い、ジーンは思考の読めない目でじっと少年を見詰めており、今にも『貴様は間諜だな!!』などと叫ばれそうな気がして落ち着かなかった。


「あーっ、お前また苛めてるっ! 今は訓練関係無いんだから、そういうの駄目だからね!」


 そこで奥に居たアルが戻ってきた。

 手には陶器の皿が幾つか。家の貧相さから見ても不釣り合いな品だが、何故か真新しさがある。


「喧嘩したら食事抜きだから。大人しく座ってて」


「はは。そうだね、ジーン。君も今回は大人しく座っていてくれ」

「……………………はぁ」


 ため息と共に、彼は椅子へ座るでもなく戸口へと戻っていった。

 内と外、双方を見張れる位置だ。


「ゼルヴィア様、いらっしゃい」

「あぁ、お招きありがとう。この地でとっておきの料理を頂けると聞いて、今日はとても楽しみにしてきたよ」

「ふふーん」


 と、ここで更に人が増えた。


「あ、いらっしゃい」


 落ち着いた声音の少年は、戸口から各自へ声を掛けた後、アルに革袋を手渡した。


「はい、テルの実。やっぱり今年は数が少ないかな」

「あっ、兄さん丁度いい! 母さーんっ、テルの実届いたよー!!」


 アルの声が大きかったからか、それこそ言葉通りに待ちかねていたからか、先ほどからチラチラと見えていた赤い髪の女性がやってきた。


「そんな大声出さなくても聞こえてるよ。あぁ、いらっしゃい、ゼルヴィアさん、ジーンさん。と……」


 不意に視線を向けられてレナードは身を硬直させた。

 もし、と。

 ここが母の生家であるなら、この人は自分の。

 馬鹿な想像が膨らんで、何故こんなにも動揺しているのかと息を詰めた。


 どうせ、ここの全員は殺されるか、奴隷として売り飛ばされるのに。


「さっき話した子だよ」

「ああ。それじゃあ後はザンさんだね。お皿は用意出来てるかい?」

「やったよー」


 受け渡しの際、戸口から吹いてきた風に乗って、とても懐かしい匂いを嗅いだ気がした。


 最後に、見慣れない老人がやってきて、食事が始まった。


    ※   ※   ※


 高原の民は栽培というものを行わない。

 一つ所に留まらず、牧草地を求めて馬や家畜と共に移動を続けるのが遊牧民というものだ。

 食事は狩猟で得た肉が主で、自生しているスパイスなどを利用して味付けするが、南方の商人などは彼らの得る毛皮や牙などを欲しがって時折訪ねてくることもある。


 そういった、人の集まる交易所自体はあり、毛皮などを売って得た金で、土地には無い食物や、良い武器があれば購入したりもする。


 母の事を血を混ぜる道具としか思っていなかった父だが、痩せ細っていく様を見て流石に不憫と思ったのか、自分の財力をレナードに見せたかったのか、時折西方の果実を買ってこさせて母に与えていた。


 今よりももっと幼かったレナードは、母が細かく刻んで与えてくれるその果実が大好きだった。瑞々しくて、ほんのりとした甘みが心地良く、どこか温かさも感じるもので。

 それを食べている時だけは、いつも暗い表情をしている母も薄っすらと笑みを浮かべていたものだ。

 自分の母が作ってくれたものなの、とヤギの乳を麦と混ぜ、チーズを溶かした食べ物に入れてくれたものなどは、とても美味しかったのを覚えている。


 しゃくり――――と、恐る恐る匙を口に入れたレナードの中で、かつての記憶が蘇っていた。


 乳の味や、チーズの味は原料や製法が違うからか、少しだけ異なる気がした。

 けれど混ぜられた果実の触感と仄かな味わいは、まさしく記憶の通りだった。

 ここほどではないが、狩りも出来ず馬にも乗れない母の食事はいつも貧しかった。あのように豪勢なものを作れるのは稀で、だからいつもレナードはゆっくりゆっくり食べて、味わったのだ。

 冷めちゃうよ、と困った顔をする母を見ながら、冷めても美味しかった食事を匙に乗せて差し出すと、彼女は首を振ってレナードに食べて欲しいの、と笑ってみせた。


「どうだい? こいつは内地でも中々無い美味さだって、ザンさんからも言って貰ってるんだけどねえ」


 赤い髪の女性が胸を張って言うと、大口で食べ続けていたアルが満面の笑みで言う。


「美味しい!!」

「はははっ、どういたしまして。アンタは好きだよねえ、昔から」


 それぞれに感想を言い合い、最後に彼女の視線がレナードへ向かう。


「どうだい? 内地のお坊ちゃんにはイマイチだったかねえ」

「あ……いえ。とても美味しくて……驚きました」

「はは! どうだいロイ、母さんの腕は内地でも通用するみたいだよ」


 和気藹々とした会話が続き、その中でゆっくりレナードは与えられた皿を味わった。

 懐かしい味。

 記憶の中の母。

 生家なのかも、という想像。


 だからこそ、この場に母が居ないという事実が許せなかった。


「ここでの暮らしは、思っていたよりずっと豊かなんですね」


 戸口で立ちながら食事を摂るジーンが視線を流してきたのを感じる。

 落ちつけ、と自分に言い聞かせて、けれど言葉は続いた。


「砦の兵士もそうですが、集めた騎士の数も多いようですし、本当は守るだけじゃなくて、東へ攻め込むことも出来るんじゃないでしょうか」


「それは難しいかな」


 彼の八つ当たりを拾ったのはゼルヴィアだった。

 生真面目な青年は、少年相手だからと幼稚な結論を出して良しとはしない。程度は弁えるが、生来思考を始めれば突き詰めてしまう所があった。


「どうして……?」


「まず、敵国へ進軍する際に重要となるのは、敵拠点をどれだけ把握しているかだ。それは攻め込む場所が分からないというだけでなく、現地での補給の目途が立たないからだね。攻め込み、略奪する。それは軍隊が行う基本的な動きの一つだ。ところが高原の異民族らは遊牧を主とする者達で、満足な補給を行える拠点が無い」


 それは、交易所などを知らないからだ。

 氏族間の集まる場所は存在し、そこならば潤沢過ぎるほどの物資がある。

 思いつつレナードは沈黙した。


「次に、僕らは彼らほど多くの騎馬を持たない。これは、後方から物資を送り続けなければいけない状況では絶望的だ。高原への入り口は岩場で、石くれも多く補給限界距離は大幅に縮まるだろう。そんな中で、敵は好き勝手に動き回って奇襲を仕掛けてくる。到底、戦線を維持出来る場所じゃないんだ」


 彼の話した内容は、百年ほど前に行われた西部からの侵略者の顛末と合致している。

 兄や父から聞かされた話では相当な衝撃を受け、多くの氏族が滅んだと言われていたが、西側ではそう伝わっているらしい。


「だから、都市防衛の為にここのような砦を築いて、ある程度の生活基盤を用意した上で襲撃に備えるというのは、一定の効果がある方法だ。事実、内地と外地の間に壁が築かれてから百年ほど、城壁は一度たりとも異民族の侵入を許していない」


「百年前……とても強い力を持った人が居たんですよね。その人が壁を作らせて、侵攻してきた」


「よく勉強しているね。そうだ。一度は攻勢に出た当時の王は、けれど限界を知り、この地に砦を築かせて守りを固めた。西の憂いを無くしたことで、南部や西部にも版図を広げることが出来、今の発展があると言われている」


「へぇ~」


 と、気の抜けた声で感心しているのは、まさに砦の周辺で暮らす村民の少女なのだが。

「じゃあここって、百年前に出来たんですね」

「当時は入植者も殆ど居ない荒地だったと聞いている。砦を築いて、そこで生活する騎士や従士達を支えるべく、内地からやってきたのがアル達のご先祖様だ」

「へええっ」


 多少、嘘があるなとレナードは思った。

 痩せた土地への入植など好んでするものじゃない。

 既にある場所から飛び出して新天地を望むのは、いつだってその場所に居られなかった者達だ。

 遊牧民族は国を持たないが、氏族内での対立や爪弾きにされた者が新たな氏族を結成して飛び出していくことはある。


 培ってきた卑屈さ故に辿り着いた答えは、正確に現状を貫いていた。


 この地で生きる者達は、内地から追い出されて来た、罪人の末裔だ、と。

 そして彼の血にも同じものが混じっている。


    ※   ※   ※


 食事を終えると、アルを率いて大半の者が家を出てしまった。

 そうなると、つい癖でゆっくり食べていたレナードは慌てることとなる。


 調べろとは言われたが、ここまでの大人数に交じって行動するのは完全に想定外だ。今更の話とはいえ、あまり記憶に残って好ましいことはない。


「なんだか昔を思い出すねぇ」


 だが、急いで食べてしまおうと匙を突っ込んだ所で、赤い髪の女性が声を掛けてきた。


 食後にしれっと酒など用意して、片手で杯を傾けている。


「昔、ですか」


 顔を挙げることが出来なかった。


「あぁ。昔、アンタみたいに食べる子が、もう一人居たんだよ」

 不意の言葉に呼吸が止まる。

 顔を伏せたまま、手に持つ匙が震えるのをどうにか抑えながら、全神経は女性の言葉に集中していた。

「アルなんかはがつがつ食べるけど、その一番上の子はさ、猫舌ってのかい? 熱いのが苦手なのもあって、毎度その子の分だけ冷やして出してあげたもんさ。折角のお乳にチーズまで入れてさ、勿体ないよって言うんだけど、美味しい美味しいっていつも笑顔で食べてくれてたね」


 酒を煽った女性は、熱い息を漏らし、腕を伸ばしてレナードの頭を撫でた。


「っ!?」


「まあさ、アンタは男の子で、あの子は女の子だったけど……なんでかな、ちょっと昔を思い出しちまって。どことなく、似ている気がするんだ」


 こんなの内地の子に言うと失礼かね、などと冗談めかしていうが、撫でる手は止まらなかった。

 大きな手だ。

 まだ二十歳にもならない母の手と比べても、ずっと大きく感じる。


「どうした? 故郷が懐かしくなったかい?」


 また酒を煽って、ようやく手を離した。

 顔を上げれば酔って赤くなった女性の顔があり、遠くを見るような目がふと母に重なった。


「アンタの母ちゃんは元気にしてるのかい?」

「……いいえ」

「そうかい……それでそんな歳で家を出て」


 彼女の中で進む解釈はどうでも良かった。

 ただ、言うまいとしていた言葉が、どうしても我慢出来なくなる。


「あの」


「なんだい?」


「居なくなった娘さんに、会いたいと思いますか」

「当然だね」

「苦しんでいたら、助けたいと思いますか」

「我が子を見捨てる親が居るもんか…………と言いたいところだけど、そうだね、あの子を追いかけるでもなくここに留まってるんだから、私はとんだクソ親さ」


 酔っているのだろう、吐き出した言葉にハッとして眉を落とす。

 誤魔化す様に伸びてきた手を受け入れて、レナードは僅かばかりに目を閉じた。


「あんな連中が来なけりゃな……」


 こぼれた言葉が胸を刺し、血は涙となった。


    ※   ※   ※


 その夜、レナードは隠れ家へ戻って報告を行った。

 独特の香りが充満する室内で、丸めた絨毯を背に、毛皮を羽織った男が眉を寄せた。


「なるほどねえ。それで後方へ下がりたいと」

「はい。申し訳ありません。調査をしようと踏み込み過ぎて、怪しまれてしまいました。砦の家令、氏族長補佐にも顔を覚えられてしまいましたので、これ以上の潜入は作戦が発覚してしまうかと」


 嘘ばかりではない。

 アルを利用する事で一足飛びに最奥まで進めたレナードだったが、彼女を始め砦の主だった者に顔を覚えられ過ぎた。

 短慮なかばい立てで事無きを得たが、今日の尋問もかなり危うかっただろう。


 男は手にしていた花を撫でながら、説明など興味ないとばかりに息を落とす。


「僕なりに、君には期待していたんだけどねえ。まあいい。後方へ戻って、その後はどうしようと思っているんだい?」


「氏族と合流し、侵攻に備えます」


「うん。まあいいか。他にも潜入者は居る。君は砦にも詳しくなったし、精々お仲間に情報を共有し、侵攻を上手く支えてくれ」

「はい」


 正直に言えば、もうあの地の侵攻に加担するのが嫌になった。

 本当に母の生家かどうかも分かっていないが、あの女性の、僅かに滲んだ悔恨の匂いを嗅ぎ取った時点で、レナードは今まであった母の家族に対する恨みや反感が大きく薄れてしまったのだ。

 あまりに短慮で、本当の家族は今も母など忘れて楽しく生きているかもしれないというのに、胸の内で暴れる感情を処理できず、投げた。


 もう嫌だ。


 齢五歳にして母親を背負い、いつ殺し合うかも分からない兄弟に囲まれて、母の家族かもしれない者達を不幸にする。

 そんな、重た過ぎる事実に耐え兼ねただけだ。


 ただ、出来ればあの赤い髪の女性、それとその一家は自分の戦利品としたい。


 氏族の掟では、一番に縄を掛けた者が所有者となる。

 侵攻をどうすることも出来ないのであれば、レナードが彼女らを自らの奴隷とし、母に引き合わせれば。

 もしかすると、本当に家族であったなら、いつも暗い顔をしている母も喜んでくれるかも知れない。


 癇癪じみた感情から来る思考の結論ではあったものの、決して悪い話では無かったと思う。


 潜入者として残り、侵攻に合わせて抜け駆けをする方法もあるが、あのジーン=ガルドが近くにいることを考えると単独での打開は困難だ。


 兄達でも、別の氏族でも、誰でもいいからあの恐ろしい男へぶつけ、その背後で彼女らを確保する。

 現地で味方の到着を待っているだけでは、身動きの取り辛さからもやはり不安が残る。


 他の者達は前へ前へと進み、獲物を追い回すだろう。

 ほんの入り口で掠め取られたことを怒るより、侵攻することを選ぶに違いない。


 レナードにしては驚くほど明るい展望を抱えて、それではと場を辞する時だった。


「だけどねぇ、抜け駆けしたいなら急いだ方がいいよ」


 穴倉の奥から気配が来た。

 カタカタカタ、と軽木が幾つもぶつかり合うような音を立て、これまでには無かった鉄格子の奥で、奇妙な格好をした人影が座り込んでいる。


「皆狙ってるってことさ。僕らの準備は整った。他の連中と仲良く足並みを揃える気なんて誰もないからね」


 気持ちが浮ついて、注意が散漫になっていたのだろう。

 ようやく気付いた相手を注視し、あまりの様相に寒気を覚えた。

 アレは果たして人なのか。


「あぁ、愉しみだなぁ……、一杯死ぬよ、一杯殺すよ。僕の研究成果を世に示し、世界をひっくり返すんだ。皆きっと、驚いてくれるよね?」


 暗がりの奥で、人の顔がある筈の場所で――――十三から成る赤い眼球が見開かれた。


 カタカタと、甲殻を打ち鳴らして。

 人であったモノは小さく呟いた。


「…………ころして」





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