第13話

 精霊を身に宿し、力の操作によって立ち上がることの出来るようになったアルだが、車椅子での生活は続いていた。


 一つに、内地では一般に魔力と呼ばれる力は行使する程に体内の精霊が活性化する。

 成長すれば多少の酷使には十分耐えられるのだが、アルはまだ十歳で、政治的な理由が絡むとはいえ定められた十五歳にすら届いていない。故に日常使いは禁止され、ゼルヴィアの監視中以外は取り上げられてしまっている。


 もう一つは、秘密を守る為だ。

 既に砦内にはゼルヴィアの属するシャルペーニュ派とは異なる派閥の騎士も入ってきている。互いに末端である為か、それらしい対立は起きていないものの、内地へ戻る為の点数稼ぎと余計なことまで報告されては困る。


 よって砦内では訓練も調整も困難となり、最近ではゼルヴィアは砦ではなくザンの小屋で寝泊まりしている。


 そういえば仕事として受けているのだから報酬は? とアルが尋ねたら、とりあえずですまないが、と金貨の詰まった袋を渡されてしまい、一家共々目を回しかけた。

 現在その金はザンに預けられており、崩した一枚の金貨でささやかな贅沢と冬越しの準備が行われた。


 そういった非日常がありつつも、アルはこれまで通りレイナへ読み聞かせの授業に来ていた。


「――――束の間の安息を楽しんだツェーレンだったが、ふと見上げた故郷の空に、冒険の日々を思い浮かべた。風向きは西。ならば、次は西へ向かおう。彼の旅はまだ、終わらない」


 パタリと本を閉じ、羊皮紙とインクの残り香を胸の内に吸い込んだ。

 対面のソファに座るレイナは両目を閉じたまま、感じ入るように手を合わせて息をついている。


「どうだった?」

「ありがとう。とても聞き易かったし、どんどん上手くなってるわ、アル」


 革の帯で本を巻き、金具の所で軽く締める。

 羊皮紙は時と共に湿気を吸って、なめした直後の綺麗な形を損なってしまう。それが本ほどの厚みになれば、こうして締め付けてやらなければ勝手に開いてしまうのだ。

 ただ、本は中身以上に装丁が豪華だ。

 宝石や金銀を染み込ませた糸などで刺繍を施してある為、力任せにやると傷をつけてしまう。

 アル、というより外地の人間を嫌っている家令の者が毎回こっそり確認していることを知っている為、アルも気を遣って直しているのだ。

 そういう意味では良い効果が生まれているとも言える。


「やっぱりツェーレン公の冒険譚は素敵だと思わない? いつも最後は次の旅立ちを思って筆を置くの。風景への描写も丁寧で、思い浮かべていてとても楽しいわ」


「私はもうちょっと早く進んで欲しいかなあ。壁の形とか装飾とか、新しい都市に着いたら毎回三十ページくらい街並みを描写するの、しつこくない?」


「えー、でも全く異なる文化なんだから、そのくらい詳しく書いてくれないと分からないわ」


「読んでてもよく分からないけどね」


 一度再現してみようと勝手に木板を持ち出して彫り込んだことがある。

 文章を読み返しつつ、こんなもんかと短剣で穴を彫る様は危なっかしさも極まっており、最後には指を切ったアルの血が盛大にぶちまけられて、滅多に怒らないレイナの祖父であり砦の主から揃って拳骨を貰った。


 目の見えないレイナにとって、掘り込みは指で触ってことの出来る絵画だ。

 良い案だと思ったのだが、どうにも技術が及ばなかった。

 ついでに、やっぱり細かく描写されても知らない文化の街並みなど分かる筈もないなとアルは思っている。

 つまり風景描写はどうでもいい派である。


「それにしても」


 と、レイナは部屋の扉の方を見て、


「なにかあったの?」

「…………うん」


 アルは車椅子を滑らせた。

 ソファの後ろに移動し、同じく扉の方を確認する。


 実は、まだ新しい仕事の件はレイナに話せていない。それというのも、最近外で穴掘りをしたり、訓練を眺めにきたりと、授業時間を遊びに費やしていることを知った家令が頭から見張りに来たのだ。


 元より遊び相手同然とはいえ、確かに報酬を得ていながら一度も本を読まないのも不誠実である。

 話したい欲求を抑え込み、二人はすまし顔でいつもこんな感じでやってますよとお上品な言葉遣いで授業を始め、現在に至っている。


 家令はそもそも砦の一切を任されている為、長い時間を監視なんぞに費やせない。

 置き土産の小僧は聞いたことも無かった冒険譚にすっかり内通者と化しており、今も扉の前で楽し気に頷いている。


「実はさ、内緒なんだけどね」


 声を潜め、誰にも聞こえない様に気を付けて、


「あーっ、アルお前! 言うなって言われてるだろ!!」


 さあ公開だ、という所で部屋の隅で休んでいたラウロが大声をあげてきた。

 第二の見張り、幼馴染で前の警報以来レイナの部屋の警護を任されている従士見習いの小僧は、秘密と言われたゼルヴィアの開発内容を明かそうとしていると素早く察知し、大股で詰め寄ってきたのだ。


「なによお、女の子の秘密の話に興味があるの、このすけべ」

「っ!? そんなんじゃねーし!! じゃなくてお前っ、分かってんだろうな!」

「もぉ煩いなあ、レイナなら大丈夫だって。むしろ秘密にしてる方が嫌なんだけど」

「だったらまずゼルヴィア様に許可とか取るんだよ! 仕事でやってんだぞお前!!」

「だから煩いって!! ラウロの方が秘密一杯口走ってるじゃん!!」

「お前なあ……!!」


 何はともあれ勝手に情報を広げるのは間違い無く駄目なので、ここはラウロが押し勝った。

 すっかりふくれっ面の完成したアルが叩いてきても、最近鍛えれば鍛えたほどに大きくなる成長期の少年は余裕の笑みだ。


「お前はまだ分かんないだろうけどな、主や先輩からの命令は絶対なんだ。勝手に破ったら首斬られたって文句言えねえんだぞ」

「ぶーっ」


 彼もまた、精霊を宿したこと以上の話は聞かされていない。

 アルがレイナと懇意にしていることは、警護の任務に就いていればはっきり分かる。

 目と脚と、同じ不具を抱えて生まれてきた者同士で気が合うのは分かるが、幼い頃から面倒を見てきてやった(とラウロは思っている)幼馴染がお偉いお嬢様を優先しているのはどうにも胸がムカムカした。


「今のは内緒にしててやるけど、お前絶対漏らすなよ。分かったな」

「へー」

「返事っ」

「はぁーあーいー」


「ホントに分かってんのかお前……」


 呆れた様子のラウロにアルは家令にも見せたすまし顔で応戦した。

 腹の立つ男の子にはコレでいい、などと余計な学習をしつつある小娘である。


「居るか」


 アルと話に聞く幼馴染の仲睦まじさに微笑みつつも対抗意識をレイナが燃やしていた時、無遠慮に部屋の扉が開かれた。


「あぁ、そういえば授業なんぞやっていたんだったか」


 顔を出したのはジーン=ガルドだ。

 見るからに根暗そうな男の登場に、真っ先に反応したのは警護の少年らだった。


「っ!? おはようございます!!」


 休んでいた者まで直立不動となり、隊長のラウロが声を張る。

 ジーンも返事はしなかったが、それぞれの振舞いをさらりと確認し、視線を外した。


「おいガキ」


 呼び掛けは明らかにアルへ向けられていた。

 けれど彼女は楽しかった時間を邪魔されたとばかりに知らん顔だ。

 だが、


「前の話をやってやると言ってるんだ。まあ、そっちの都合が悪いなら仕方ないがな」

「それって、訓練付けてくれるって話!?」


 またしても少年らがざわついた。

 周辺村落より集められた彼らは、普段アルと接点の無い者も多い。けれど、砦へ通っていれば嫌でも目に入る為、大言壮語は別としてもか弱い女の子程度の認識しかもっていない。

 それが、ジーン=ガルドに訓練を付けてもらう?


「お前……っ、大丈夫なのか?」


 ラウロが怯えつつも心配を口にした。

 ジーンの目が向けられたことでまた委縮してしまうのだが、幼馴染への心配は消えていない。


「お前みたいなひょろっこいの、下手したら死ぬぞ……?」


 鼻で哂うのが聞こえた。


「だそうだ。やめておくか?」

「何で? やるよ」

「だがお前は別の仕事中なんだろう? 途中で投げ出す気か」


 話の流れで必然的に全員の視線がレイナへ集まった。

「…………え!?」

 ラウロからは止めてくれと言わんばかりのもので、アルからは友達への懇願、ジーンの感情は読めないが、他の少年らは総じて固唾を飲んで見守っている。


 顔の知らない相手は苦手なので、すっかり外様に甘んじていた少女は、突如の注目に頼る相手を求め、結果一番信頼できる友人へ視線を定めた。


「ええと……読み聞かせはもう終わりましたので、どうぞ!!」


「やったあ!!」


 アルの歓声が響き渡り、友人から身を乗り出して抱き締められたレイナは、小さな優越感を胸にラウロの居るだろう方向へ意識を向けた。


    ※   ※   ※


 砦の裏手、断崖を背に少し進めば、寂れた様子の森がある。

 元は断崖の麓にまで伸びていた森だが、冬越しの度に切り倒され、徐々に森の端が遠ざかってしまっている。


 朝方ほどではないが、すっかり気温が下がってきたのもあって、厚着をしていなければ身体が冷えてしまう。


 のだが、どういう訳か大量に付いてきた子どもらは総じて薄着だ。

 同じく何故か付いてきたレイナがひざ掛けをしているくらいで、首元まですっぽり黒衣に身を包むジーンだけが浮いている。


「なんでこんなに増えている」


 レイナの部屋で目立っていたのもあって、彼の質問が向かう先にはラウロが居る。

 彼は緊張した様子で姿勢を正した。


「従士長が……折角だからお前らも見せて貰え、と」

「あいつか」


 幾分低くなった声に少年らは身を引いた。


「まあいい。俺の仕事はそこのガキを教えるだけで、お前達は別だ。何も教えるつもりはないから邪魔だけはするな」


「は、はいっ」


 教えないと言ったのに、近頃従士長より過去の戦歴を聞かされつつある少年らは前のめりでジーンへ注目している。

 ラウロが代表者ぶって地面に線を引いて、ここから出るなと命令するが、どこまで守られるかは微妙だった。


「あっ、ひさしぶりー」


 そんな中で、多少の起伏を物ともせず車椅子を滑らせたアルが一団の後ろに控えていた少年へ声を掛けていた。


「お久しぶりです」

 赤髪の少年だ。

 アルと並べばやや薄目な色で、今朝も砦前の坂を登る際に車椅子を押してくれた。

「見に来たの?」

「はい。良い経験かと思いまして」


「おい、始めるぞ」


 ジーンの呼び掛けがあり、挨拶もそこそこにアルは離れた。

 と、そういえばと少年がゼルヴィアも使用していた光る石を持っていたのを思い出す。アレは精霊を身に宿していなければ使えないという話だったので、彼はこの年齢で魔法が使えるということだ。

「ま、がんばんな」

「ああ?」

 小姓だの、従僕だのと、何かと下に見たがるラウロの腹を叩いてアルはジーンの元へと向かった。

 持てる者の余裕である。


「のんびり談笑するのはいいが、護衛の合間という話を忘れるな。会議が終われば俺は戻る」

「あ、そっか。うん、分かった。お願いします」


 意外にも殊勝な反応があり、ジーンは感情を読ませない薄暗い表情で腰の短剣を抜いて差し出してきた。


「おー……」


 刀身全てが鉄製、刃に欠けは見当たらず、表面は顔が見えるほどに磨き上げられていた。手の平程度の銅鏡は母から借りて見たこともあるが、色の映り込みが無い分ずっと見やすい。

 また持ち手は非常に短く、アルの手で握っても全てを覆えてしまうほど。

 加えて、柄に中抜きが施されており、最初ザンの元で仕事眺めることもある彼女は槍の部品なのかと考えた。


「投擲用の短剣だ。一度見せてやる」


 と、別の短剣を抜き、軽く放って刀身を摘まむと、即座に狙いを定め、逆方向へ支えの脚を伸ばして投げた。


 スコン――――快音が森に響き、身を休めていたらしい鳥達が飛び上がっていく。


 大人の腰元辺りで切り倒されている切り株に、やや斜めになった短剣が突き刺さっていた。


「やってみろ」

「はいっ!!」


 見よう見まね、とするにはあまりに条件が違うものの、アルはまず車椅子の向きを調整し、右手に持った短剣をどう投げるか動かして見せ、更に調整を加える。

 が、途中で腕と手をジーンに掴まれてしまった。


「あっ」


「武器を持ったら手元から意識を外すな。特に今のお前は刃のある側を掴んでいることを忘れるな」

「あ。うん」


 何度か試す内に掴みが緩んで人差し指と親指の間に深く刀身が落ちてきてしまっていた。放っておけば手の腹を傷付けたか、投げる時に触れてしまっていたか。


「やってみろ」

「っ、はい!」


 車輪を固定し、投げた。


「ぷっ」


 短剣はひょろひょろと山を描き、どこにも刺さる事無く地面を転がった。

 笑いは、見ていた少年達だ。


「後三本ある、やってみろ」

「はいっ」


 全部やったが駄目だった。

 投げ尽くした後でアルが取りに行こうとしたが、切り株だらけの中は流石に車椅子では入れない。察したラウロが走り、回収した短剣を近くの切り株へ突き立てた。そこから抜いて使え、ということだろう。


「やってみろ」

「はい!」


 投げて、投げて、投げて、投げて、投げて。

 一本たりともまともに飛ばない。


 次第に後ろから見ていた子どもらの笑いは大きくなり、潜めた声で揶揄が始まる。


「次だ」

「はい!」


 また投げて、失敗して、投げて、失敗して。

 回収してきたラウロがジーンを見て何かを言いたそうにするが、彼は一切取り合わない。


 元よりこの訓練自体、アルが何らかの手段で無理矢理要請したようなものだと彼も気付いている。なら、最初からまともに教えるつもりなど無いのだろうか、と自分が口を挟もうとした時だ。


 一本の短剣がようやく切り株へ突き刺さって、自重に耐え切れず落下する。


 ドッと笑いが漏れた。

 が、その影で、近くにいたジーンが鼻を鳴らしていたのをラウロは聞いた。


「その調子だ」

「はい!」


 続けてもう一本を投げると、それははっきりと回転しながら飛んで、柄を切り株にぶつけて宙を舞った。


「おいおい全然上手く刺さってねえぞお」

「知ってるかあ? 短剣ってのは刃の部分じゃないと刺さらねえんだぞ?」


 笑いの中でもう一投。

 今度は、はっきりと突き刺さった。


「そろそろ時間だな」


 そうしてジーンが漏らした時、初めてアルが口を挟む。


「最後の一本!!」

「余りか、まあいい。やってみろ」

「はい!!」


 が、これも柄がぶつかって跳ね飛んだ。


 ラウロが集めてきた短剣を受け取り、鞘へ納めたジーンは、一度観戦していた子どもらを見やり、そのままアルへ向き合った。

 森の奥から、底冷えするような寒風が吹き出してくる。


「この先どうなるにせよ、お前の居場所はだ」

「…………」

 無言の否定に笑うでもなく、淡々と言葉は続く。

「その様が唯一持つ強みを活かすのなら、奇襲が最も有効だろう。この一本だけなら車椅子のどこにでも仕込める。回して刺す、ということが理解出来たのなら、次はどの程度の力でどのように投げれば、どの距離で刺さるかを身体に覚え込ませてやれ。奇襲が通用するのはたった一度。外せばお前はなぶり殺しにされる。だから、使い処も十分に考えろ。一度きりの機会で確実に戦闘を終了させるには、何時、誰を狙えばいいか、息を潜めてうさぎを演じて見せろ」


「……………………はい」


 帯革ごと取り外し、やや悩んでからラウロへ預けた。

「お前が見てやれ」

「は、はいっ」

 そして今まで無視してきた子どもらを一瞥し、皮肉げに哂った。


「後ろのもよく観察しておけ。お前を舐めて、油断してくれる良い獲物の顔をしているからな。身に付けた力の程度も知らん奴が最も早死にする。強いか弱いかじゃない。その短剣を狙える間合いと同じく、どこまで踏み込めるかを知ることだ」


「はいっ、ありがとうございます!!」


「もののついでだ。間合いを未だに理解出来ていないようだからな、従士長にはたっぷりと実戦的な訓練を行う様に言っておく。容赦すれば貴様らを相手にもう一度見本をみせてやると、そう伝えておけ」

「はいっ」

 完全に小間使いとして認識されたラウロが睨みを受けて震え上がる。

 ここまで随分と委縮していたのは、言葉通りに痛みと恐怖を刷り込まれていたからだと、アルはようやく気付いた。


 そうして眺めた震える少年らの中で、ただ一人一度も笑わなかった赤髪の子を認め、小さく笑う。彼もまた、ゼルヴィアを思い出すような綺麗な笑みを浮かべて見せた。


    ※   ※   ※


 僅かな月明かりを頼りに地面を踏み、少年は森の奥へと向かっていく。

 途中で一度窪み、そこから登り坂となる為、足を取られやすい起伏の多い地形だ。

 彼は窪みで一度身を伏せて、突き出した岩の影で頭上に遮蔽を作ってから輝石アータイトを使用した。


 やや離れた、木の陰にほんのりと光が浮かび上がるも、それはすぐに掻き消えた。

 しばらく待ち、彼が灯した場所へまた同じような光が生じる。

「はぁ……」

 つい気が抜けて息が漏れるも、すぐに引き締めた。


 ある意味でこの先の方がずっと油断出来ない場所だったからだ。


 彼は淀み無い足取りで危険な窪地を越えて、一度登ってから僅かに降りる、周囲からの死角になりそうな場所まで来て地面を叩いた。

 浮かび上がる様な静けさで偽装された扉が開き、掛ける声も無く少年は滑り込んでいく。


「報告を」


 直後、断りも無く光が灯され、闇夜に目を慣らしていた少年が眩しさに目を細める。相手は構うことなく続けた。


「僕の思索の時間を無駄にさせないで欲しいね。報告を」

「はい」


 この地方には無い、舌を弾くような発音で言葉を紡ぐ男に少年もまた頭を切り替えた。


「一時は警戒が強まったようですが、今はかなり緩んできています。ただ、冬の間にまた新たな騎士を配備するという話もあり、これ以上先延ばしにすれば計画に支障が――――」

「君はいつから参謀になった。僕は報告を、と言ったんだぞ」

「……はい」


 穴倉から漂ってくる花の香りに、また水浴びをしなければと少年は思う。

 折角内部へ潜入しているというのに、ここへ来た者全員が同じ匂いをさせていれば相手に気付かれてしまう。

 一度苦言を呈したものの、彼は『埃臭くて耐え難い』の一言で切って捨てた。


 ならば後方で待機していれば良いのに、と思った所で首を振る。

 後方は後方での争いがある。

 先鋒を牛耳るのであれば、前へ出るのが一番だ。


 少年とて同じ思考で潜入を志願した。


 一通りに報告を終えた後、彼は満足げに話し始める。


「しかし、ここは存外に面白いものが見れるね。作戦開始までの手慰みだが、西方の劣等種共にも知恵と呼べる物があったらしい」


 少年は眉を寄せた。

 潜入ともなれば、目立つのは絶対に避けなければいけない。

 なのに、初日に偶然遭遇した少女を、都合が良いからもっとよく調べろと言ってきたのだ。作戦上何の意味無く、露見するような真似をさせて。


 置き去りにされていた車椅子へ釣られて森から出た時には頭を抱えた。

 幸いにも罠ではなく、見咎められることもなかったが、下手をすれば隠れ家が露見していたかもしれない。


「引き続き、あの身欠者を見張っていろ。何か面白いものが見れるかも知れんからね」

「それは、作戦に支障の無い範囲で、ということでよろしいでしょうか」

「そうだねぇ。深入りして首を落とされないよう気を付けるんだ」


 そもそも首を突っ込まなければ回避できる危険なのだが、少年に指示を変更させる力はない。


 頭に浮かぶ痩せ細った母を思い浮かべて、滲み出る表情を隠す為に深く頭を下げた。それを男は承知と受け取ったらしい。


「そういえば、君の母はこの辺りで入荷したらしいじゃないか。髪色も似ているし。案外、あの身欠の娘は君の叔母かもね。どうだい、感動の対面じゃないかな」


 薄い赤髪を持つ少年はすべての感情を顔と共に伏せたまま、高原に吹く風よりも冷たく言葉を差し出した。


「興味ありません。仮にそうだとしても、母を見捨てた者達を八つ裂きに出来る好機でしかありませんから」


「っはは。もうじきそれも叶う。今は、じっくりと仕込みをする段階だ。しっかりやれよ――――レナード」


 穴倉から抜け出した時、冷え切った夜空からは雪が降り始めていた。









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