第12話

 薄暗い倉の中、老爺が一人で鉄箱を見詰めていた。

 表面には銀で紋様が描かれており、宝飾らしきものの輝きも見て取れる。この痩せた土地ではまず見ることの無い豪華さだ。ただ、装飾というよりは暗号めいて見える様は、鉄箱がただの容れ物でないことを示している。


 彼は長く技術開発というものに携わってきた。

 多くの弟子を抱え、次々と新たな技術を生み出し、降りかかる名声も揶揄もどこ吹く風と、思うままにあらゆる実験を行える位置にまで上り詰めた。


 内地の奥へ進めば進むほど、街並みには彼の残してきた技術の発展形が拝めることだろう。


 けれど、いつしか彼の探求から人の心は抜けていった。

 取り返しのつかないことをした。

 不幸にも、あるいは幸運にも、その後悔こそが忘れていた心を呼び覚まし、男は自分の成した全てに背を向けて、国の最果てまで逃げ出したのだ。


 外地の者達は最初彼を警戒した。

 外からの脅威に晒され続けているのだから当然だ。

 けれど、一人の青年が彼を受け入れ、ゆっくりとだが関係は広がっていった。


 穴の開いた鍋を直し、包丁を研いでやり、調子の悪い農具を見て、時折顔を出す青年や、彼から話を聞いた好奇心旺盛な子どもらの遊び相手をし、上手く出来ず笑われる。


 幸福だった。


 元より全てを捨てて逃げ出した彼に多くの事は成し得ない。

 技術というのは、素材の確保が根幹にある。

 こんな痩せた土地では碌なものが集まらず、最初は恩返しで豊かにしてやろうと息巻いていた彼も、己の小ささを知っていった。


 青年から我が子の面倒を見ろと押し付けられた時は、魔導技師と呼ばれた男とは思えないほどの狼狽えぶりを晒し、笑う周囲を尻目に今にも爆発するのではないかと慎重に慎重に取り扱った。


 そして、やがて青年に三人目の子どもが産まれた。

 夏の太陽を思わせる元気の良い産声を上げた女の子は、生まれながらに脚が動かなかった。


 アルと名付けられたその子を、ザンは何よりも可愛がり、けれどずっと、罪悪感の中で苦しみ続けてきたのだ。


 彼には、アルの望みを叶える方法があった。

 素材の問題も解決されていた。

 後は、彼女が十分に成長さえすれば。


 大きな危険と苦痛の伴うものだった。

 だから、いつも迷い続けてきた。


 本当はね。


 そう言ってしまえばアルは飛び付くだろう。

 『信頼するザン爺ちゃん』からの提案であれば、何一つ疑うことなく、説明された内容さえ呑み込んで受け入れてしまう予感があった。


 だから言えずにきた。

 けれど今日。


 かつて破門を言い付け、背を向けた一人の弟子が、彼にも出来なかったことを成し遂げてくれた。


 あの伸縮する糸は極めつけに効率の良い素材だった。

 南方の大らかで人に馴染み易い、増殖の勢いだけが厄介なあの精霊ならば、アルは重たい浸食の影響を受けずに脚を動かせるようになる。

 今はまだ不格好だが、調整を繰り返していけば、人並みに歩くことも出来るだろう。


 誰かを傷付け、誰かを苦しめ、いつしか人殺しに利用されていることも構わず自分の探求ばかり繰り返してきた彼にとって、苦しむ誰かをただ救うという技術が、奇跡のように美しく思えた。


 破門した身で何をと思うが、仮にも自分が教えてきた一人がそれを成してくれた。

 救われた想いで鉄箱に触れて、老爺は目尻を細めた。


「なるほど、そんな所にあったか」


 突如として降りかかった声に身を強張らせて振り向く。

 が、老体というのは嫌なもので、急激な動きに腰が痛んだ。


「無茶をするな」

「……ジーンか」


 この倉は紛いなりにも魔導技師ザン=デュック=スミスの成果物が数多く収められている。素材の問題で、精々が一人二人をどうこうする程度の武器だが、そんなものに構うかとばかりにジーン=ガルドは踏み入ってきた。


「やはり、コレが目的か」


 かつて、全てを捨てて逃げ出した彼も、この鉄箱の中身だけは放置出来なかった。

 一つであれだけのことを成し得た最高峰の素材、残されていればどんな事に利用されたか。扱う技術が無くとも、彼の様に……。


「確かに、そういう指示もあったな」

「そうか……だが、今の彼奴なら、任せてもよいのかも知れんな」

「っは!!」


 人を救う技術を生み出したゼルヴィアになら、そう言った途端、ジーンが最高の冗談を聞いたみたいに笑った。


「ボケるのも大概にしろジジイ。技術なんてものを扱っていて、一度軍事に巻き込まれた奴は生涯そこから抜け出ることは出来ない。そんな当たり前のことも忘れたか。アレがどれだけ危うい線を辿って今ここに立っているか、想像出来ないほど呆けたのか」


「ジーン……」


「アレはキサマの発見を上に報告していない。よって、ソレの扱いは未だ所在知れずということになる。甘ちゃんに感謝するんだな」


 背を向けたジーンはもう鉄箱にも興味を失い、一人で小屋の外へ歩いて行く。

 鉄箱を倉の地下、隠し扉の奥へ仕舞い込み、追いかけたザンが聞いたのは、扉の柱に寄りかかっているジーンの咳だ。


「触るな」


 手を伸ばそうとしたのを、見もせずに切って捨てる。


「……あの小娘も笑っていられるのは今の内だ。後生大事に抱えてきたなら、最後までしっかり隠し通しておけば良かったものを。どいつもこいつも甘い。目先の飛び付きやすい餌に釣られて、いつかあの間の抜けた笑顔が曇る事をなんら考えない。アイツはもう逃げられんぞ。技術の旨味をたんまりと味わって、いずれ腹の中で膨れ上がったものに食い尽くされていく……――――っは、俺が言う事でもないか。どうせ」


 大きな流れには逆らえない。

 誰よりもその流れに押し流されてきた男がまた乾いた咳をして、胸の内に溜まったソレを吐き捨てた。


 態々ザンを追ってきたということは、何か話したいことがあったのではないか。

 その言葉を聞き出したくて開いた口が、やはり重く閉じていく。

 対しジーンの舌は滑らかだ。

 積もり積もった恨み辛みは、舌を動かす最高の脂だと証明するように。

 咳を心配するザンを拒絶するように小屋を出て、坂道へ向かい歩いていく。


「所詮、強がりと見栄だけで生きてきたような小娘だ。この先の訓練ですら耐えられるかは分からない。立って歩くだけのことも出来なかった様な奴が、初めて困難と呼べるものに挑戦していく。精々たっぷり力不足を味わって、才能なんて言葉に逃避でもさせてやれ」

 嗤った。

「途上で拾い集めたゴミを宝物だと言い張る準備くらいなら、耄碌ジジイにも出来る、だ……ろ、う…………………………………………」


 不意に、二人は足音を聞いた。

 滑らかな動きで悪意を吐き続けていたジーンが言葉を忘れて坂の降り口を見ている。

 派手な足音だ。

 ガシャガシャとぶつけながら、荒くなった呼吸を隠しもせず登ってくる。


 目を見開いているジーンの脇を抜け、ザンもまた同じだけの驚きを抱えて覗き込む。


 坂道だ。

 傾斜はキツく、舗装すらされていない。

 構造的に脚の上下が出来たとして、姿勢の制御は全て装着者が行わなければいけない。


「爺ちゃぁぁぁぁぁぁああああああああああああああん!!」


 赤い髪が土汚れでくすんでいた。

 頬にはかすり傷。腕や、肘や、耳元にまで傷跡が見て取れて、土塗れな少女は痛みに涙を流すどころか楽し気に笑っている。


「爺ちゃぁぁぁぁぁああああ――――おわあっ!?」


 聞こえていないのかと手を振った途端、姿勢を崩してひっくり返った。

 一回転し、斜面をずり落ちて。


「アル!?」


 ザンが駆け寄った先で、どうにか止まれたらしい彼女はすぐさま顔を挙げる。


「だいじょーぶーっ!! ああっ、ゼルヴィア様も邪魔しちゃ駄目だってっ、一人で登る練習なんだからっ!!」


 彼女の後方で空の車椅子を押している騎士が、困り切った表情で師を仰いだ。

 何度も言われ、拒否されて来たのだろう、いっそ手助け出来た方が遥かに楽だったと言わんばかりに、整った顔が疲れ果てていた。


 アルは右脚を動かし、腕の力と共に腹の下に空間を作ると、ゆっくりと足先を運んできてつま先の感触を確かめる。重みは腹部へ届き、何度も何度も確認しながらも次に上体を起こし、左脚を引いた。しゃがみ込んで両手をついた状態になると、やや前傾しながら腰を浮かして立ち上がっていく。


「わっ」

「アル!?」


 若干後ろに逸れたが、地面を削りながらも右脚が下がって立ち姿勢を維持した。

 しっかりと左脚の膝を曲げ、斜面での重心を調整している。


「へへ、大丈夫」


 息を切らせている。

 力の使い過ぎで熱が出ているのかも知れない。

 けれど彼女は周囲の手助けを受けず、むしろ楽しみを奪わないでとばかりに目を輝かせて一歩を踏んだ。


 脚を動かすというのは難しい。

 それは、途轍もなく難しい行為だ。

 生物が本能的に知り、行っている動きだが、人工物で再現するのは本当に困難極まりない。


 だから、彼女の一歩もまた、雫が石を削る様に地道で、陽の傾きよりも遥かに遅い歩みだった。


 疲れは集中力を失わせる筈だ。

 脚が動いたとして、姿勢を制御する上半身は過剰なほど酷使している。

 整わない呼吸が全てを物語っていた。

 辛くない筈がない。


 なのにアルは、今や笑みを浮かべて脚を動かすという行為に熱中していた。


 ずっと車椅子に縛り付けられ、小さな坂一つ、窪み一つで進めなくなり、その車椅子も無ければ地面を這いずって進むしか無かった少女にとって、歩けるという事実がどれほど価値を持つか。


「ジーン……お前の言う通り、この先あの子には多くの困難が降りかかるのかもしれん。今の様に笑っていられなくなる時が来るのかもしれん。老い先短い身では、その全てを払い除けてやる訳にもいかん。どの口がと思うかもしれんが、それでも頼む」


 坂の頂上で歓声をあげて、心底楽しそうに笑いながら手を振る少女を、二人は見詰めていた。


「もしアルが、ゼルが、苦しんでいたのなら、助けてやって欲しい」


    ※   ※   ※


 坂を登り切って最高の気分でいたアルだが、次の瞬間にはもう怒り始めていた。

 なぜなら、いつか怒鳴りつけてやったというのに、また大好きなザン爺ちゃんがあの根暗男に苛められていたからだ。


「お前さあっ、何か言いたいことあるなら私に言ってくればいいでしょ!!」


「……はあ?」


 不機嫌極まりない声がくるも、そもそも怖いもの知らずなアルは群れたガキ集団相手でもひるまず暴言と暴力を叩きつける。

 それが自分のみならず、誰かを守る為であるなら躊躇う理由などどこにもなかった。


 なぜなら騎士は、誰かを守る存在だから。


「どうせうじうじ昔のことばっかり持ち出して爺ちゃん苛めてるんでしょっ。前も言ったけど謝ったじゃん! それでも納得できないなら決闘だよ!! そんなだから騎士にも成れないんだからね!!」

「騎士ごっこなら他所でやれ」

「あんたの方がよそ者でしょ!! 勝手にやってきて偉そうにしてんな!!」


「ははっ、確かにその通りだな、ジーン。この言い合いはお前の負けだ」


 追い付いてきたゼルヴィアが車椅子を固定させ、二人の間へ割って入る。


「あ、ええと、別にゼルヴィア様は爺ちゃん苛めてないからっ」

「ありがとう、アル。でもジーンは僕の大事な従士だからね、ここに居させて欲しいんだよ」

「爺ちゃん苛めないならいいよ」

「だそうだけど?」


 大きなため息の後、暗がりを纏ったような男は心底面倒くさそうな顔で。


「帰っていいか」

「いや、そこはごめんなさいって言う所じゃないのか?」

「男の子ってそういうとこあるよね。謝ればいいのに謝らないのー」


 舌打ちが聞こえた。

 相手をしていられるかと立ちはだかる少女を迂回しようとしたジーンだったが、ここで遅いながらもアルの一歩が行く道を阻んだ。

 しっかりとジーンの動きを読んで、踏み込んだ次を抑える一歩に、従士の脚が止まる。

 底冷えするような視線が降り注ぐが、当人は涼し気に得意顔。


「へへー、わあっ!?」


 それがあまりにも鬱陶しかったからだろう、指先でアルの額を小突き、転倒させるや更に迂回していく。


「逃がすかあ!!」


 が、ここで最早本来の目的すら忘れ切った馬鹿娘が倒れながらもジーンの脚に飛び付いて動きを阻んだ。


「っ、何がしたいクソガキが!!」

「なんか腹立つうう!!」

「どういう理屈だ!? 仮にもゼルの研究室に入るならもっと論理的に物事を考えろ!! あそこは猿の保養所じゃないぞ!!」

「サルってなあに!? ほよーじょってのも聞いたことなーい!! おしえろーっ!!」

「ええい鬱陶しい!!!!」


 とはいえ強引には引き剥がさないので、最早脚を得たアルはどこまでも這いずってジーンをよじ登る。

 まさかのやりとりに目を丸くしていたゼルヴィアとザンも、何故か微笑まし気に見えているだけ。

 気付けばこの世で最も鬱陶しいだろうクソガキの得意顔が脇の下まで来ていた。


「おしえろーっ!」

「何をだ……っ」

「ええと」


 猿と保養所は既に記憶の彼方。

 腹の立つ相手へ絡む理由など絡んだ後ではしゃぶりつくした骨よりどうでもよい。


 そうして脚に馬鹿デカい脛当てを身に付けた少女にぶら下がられているジーンは、どうでも良いとばかりに言い放つ。


「早く言え。何でも教えてやる。そうしたらその手を離して地面を這い蹲っていろ」


「えっ!? じゃあ私に戦う技術を教えてよ!!」

「はあ!?」


「だってアンタだって従士なんでしょっ。ゼルヴィア様は開発で忙しいしっ、空いてる時間にちょっとくらいならいいでしょお!!」

「お守りなんぞやってられるか……!!」 


 断固拒否とばかりに引き剥がそうとするジーンだったが、ここで大きな咳払いが来た。


 不意の事だった為にぶら下がられる方とぶら下がる方が、揃ってそちらを見た。


 かつて魔導伯と呼ばれたザン=デュック=スミスが、分かり易いほどにもう一度咳払い。


 ぶら下がってる方は意味が分からず首を傾げるが、いい加減脚に取り付けてある分の重みが鬱陶しくなってきた方は、この世の苦みを一点に集めて噛まされたような顔をした後、


「…………………………………………………………………………………………断る」


「いや、そこは受け入れてあげなよ」


 結局従っている騎士の口添えもあり、護衛の合間に面倒見る事になってしまった。

 余談であるが、要求を通してご機嫌顔のアルの頭が割と正当な恨みで握り潰されかけた。





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