第2話


 帰りのホームルームが終わるとほぼ同時にチャイムが教室に鳴り響き、放課後になった。生徒は各々、帰宅や部活の準備を始める。


 僕は部活に所属していないので、帰宅以外の選択肢はなかった。中学生時代はバスケをやっていたので、高校でもバスケをする選択もあった。しかし、いまはバイト代稼ぎと言わんばかりに動画編集を生業としているので断念している。さらに言えば、新たなる「推し」を見つけてしまったせいで、余計に動画編集から逃れられなくなった。


 昨日は時間が無かったので出来なかったが、今日は帰ったら黄泉平坂ミキの初配信の切り抜き動画を作るつもりだ。


——つもりだったのだが……。


「おい、稲葉、社会科準備室にコレ持って行ってくれ~」


 教室を出ようとした僕を、担任の涌沢ゆざわが呼び止めた。


 彼女は見た目だけなら美人でモテモテな先生なのだが「だりぃ」が口癖の万年無気力教師なせいで、生徒からの信頼が薄い。


「僕、忙しいんですけど」


「んだよ、部活に入ってるわけじゃねえんだし持って行ってくれ。内申点ちょっとは上げてやらあ」


「……わかりましたよ」


 これ以上拒否しても時間の無駄だろう。だったらこちらが折れて、さっさと荷物を運んでしまった方が早い。


「よし、じゃあコレ頼んだぞ」


 涌沢は教卓に置かれた大きな地球儀を指差した。ちなみに、前の授業は地理ではなく現代文。持ち抱えるのもやっとな大きさの地球儀は、何故運ばれてきたのか考えれば考えるほど謎だ。しかも、授業で使われることはおろか、何の説明もなかった。


「先生が持ってきたんでしょうが……」


「あのクソ眼鏡教師に押し付けられたんだよ。『涌沢先生の方が社会科準備室に近い教室ですよね。じゃ、よろしく~』って。マジでだるいわ。あのハゲ」


「そうなんですね~」


 暴言を吐かれているのは、恐らく地理担当の音無おとなしだ。眼鏡と頭部の状態が一致する教師はこの学校で彼だけ。


「まあ、そういうわけだから、稲葉。あとはよろしく~」


 そう言って涌沢は教室を後にした。

 

 彼女も音無とやっていることは同じだと気づかないのだろうか。


 僕は文句を腹の内にため込むと、仕方なしに地球儀を持って社会科準備室へと向かった。




    *




「ほんと、おっもいな!」


 階段を1階上がり、左の奥にあるこじんまりとした部屋。ここが社会科準備室だ。中には授業で使う模型や地図のほかに、謎の人形の頭部やボトルシップが置かれている。一体誰が、何の目的で置かれたのか不明なものが多い。


 僕は地球儀を部屋の奥にある空いているスペースに置き、金属で出来たオブジェのような椅子に腰を下ろした。


「なんで僕はこんなものを運んだんだろうな」


 昔からこうだ。強く言われてしまうと、どうも引き下がってしまう。相手の要望を受け入れてしまう。治そうと努力はしているのだが、精神的なものなのでそう簡単には治せない。


 どうしたものかと落ち込んでいると、部屋の外からピアノの音が聞こえて来た。


 優しい音色だと思えば、何やら激しい打鍵音もする。


「これは——」


 僕は慌てて社会科準備室を出た。


——この音色、間違いない。


 音の出ている場所は、音楽準備室。主に楽器などを置いている場所だ。


 中から聞こえてくる音色に、僕は確信を持った。


 ドアノブを捻り、中にいる人物と対面する。


「あ——」


 声にならない声が僕の口から漏れ出た。


 ピアノを演奏していたのは、なんと、上坂かみさか美咲みさきだった。






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