見下された日。

八木沼アイ

第1話

 靴の横を通った蟻を踏み潰した。

身震いをする。ぐりぐりと、上の立場が下の立場を使役するように。


 俺は駅のホームで電車を待っている。

時々どうでもいい考え事をする。例えば、自分の行いに自信を持って善いことだと主張できるか。ソクラテスのような考えになるのは不自然だろうか、人間だれしも哲学者である。今ここにいる人間はどれだけ善い行いをしてきただろうか。善い行いなんてただの解釈にすぎないか。残るのは事実のみ。そう教えてくれたのは......


プルルルル


 多々良から電話がかかってきた。


「原田だ、どうした多々良」


「もしもし原田、今どこ?」


「今駅のホームにいる」


「おけ、あと何分で着きそう?」


「約15分ってところだな」


「了解!あと『あれ』忘れてないよね?」


「あぁ、ちゃんと持ってきてる」


「良かった~じゃ!」


プツッ


 あいつまたいきなり切りやがった。多々良とはネットで出会った、うざいが憎めないやつだ。ほんの僅かな電話時間に電車が来た。扉が開くとともに放出される人間のおびただしい数。電車が吐き終わったら次は飲み込まれる番がやってくる。永遠と繰り返されるこの波に、世のサラリーマンたちはほぼ毎日格闘している。凄いな、ハッキリ言って俺には無理だ。


 今朝、仕事を辞める手続きも終わったし、俺にはもう関係のないことだ。


 電車に揺られながら、無駄に高い高層ビルを見せつけられる。あの建物の中で、理不尽な所業が暗躍しているなんて想像をするだけで背筋が伸びてしまう。それを見て俺は疑問に思う。


 大人とはどうなっていくべきものか。


だいぶ抽象的な疑問だがこれは今の社会に必要な疑問であると感じる。近年「子供部屋おじさん」、通称「こどおじ」が増加傾向にあるとニュースで言っていた。これは実家の子供部屋におじさんになっても暮らす中年男性のことを指す言葉だ。


 また、この世に混在する親に「親ガチャ」や「毒親」と呼ばれるものがある。これは子が親に対して行われる選別的な評価で、悪かったらそのような別称で呼ばれる。


 例えば「親ガチャ失敗したんだけど~」「私の親毒親だわ~」など、親からしたら子に品定めをされていると同義だ。もし俺が親の立場になって子にそんなことを言われたら、2ヶ月は家に引きこもるかもしれない。


いや3ヶ月かもしれない。


 俺は親の立場になったことはないが、子の立場になったことはある。俺の親は毒親だ。それに加えて、親ガチャ失敗した側の人間だ。親本人には意図していなくても、無自覚な行動や言動で子から贈られる「毒親」の烙印が押される。


 それが子どもの友人と、膨れ上がった承認欲求を満たせるかつ、自嘲し、前提として自分は不幸であるように、談笑が行われる。さながら悲劇のヒロインである。すなわち「自虐自慢風ディスカッション」で、話題の種にされる。こんなおぞましい人間を作り出してしまったのは何のせいか。親か自分か、環境か。


 俺はこの社会全体だと思う。


 俺はこの肯定も否定もせず中立主義を重んじるこのクソみたいな社会が悪いと思う。その問題を柔らかく包み込んだところで解決にも解消にもならない。見て見ぬふりをするための放棄、肯定や否定もせず寛大な自分に酔っている類だ。


 この現代社会が生み出した恐ろしい価値観念である。


 世間は、家から出て社会で働き、金をもらう人間が普通だと思っている。

 しかし、家から出ていなくても金がもらえる人間がいることもまた事実である。


 どちらの人間になりたいか、と問いを与えた時、この二文を見て多くの人間は後者を選ぶと思う。なぜなら後者が圧倒的に「楽」であると捉えるからだ。


 これは、家という帰属的意識が埋め込まれている人間は、家という場所を安全かつ運動する範囲が狭い楽な場と認識しているからである。


 まあ何が言いたいかというと社会的弱者は、目の前の釣り針に何の疑いもなくひっかるということだ。俺たちの生きる社会を作ったのは、きっと弱者を知った気になった強者に違いない。そうであるべきなのだ。


 そうでなければ、弱者が社会に淘汰されている説明がつかない。

 そうでなければ、俺の口に深く刺さった釣り針はないはずだからだ。


 そうこう考えている内に、目的の駅に着いた。時間は予定より2分遅れてしまった。少し急ぎ足で電車を降り、階段を上り、改札口付近に行くと彼がいた。


「遅くない?」


 開口一番そんなことを言われた。


「すまん」


「まぁいいや、あ!ほんとに持ってきてる!」


「当たり前だ、もう覚悟を決めてる」


「よし、じゃあ、行こうか」


「あぁ」


 2人はすでに覚悟を決めていた。


 蟻を踏みつぶした時から武者震いが止まらない。


 この計画を実行する時がきた。


 紙袋に入った銃を渡し、自分の分も持つ。俺は親にも、周りの人間にも、この社会に見下され続けてきた。ピラミッドの上層部にいる奴らが優遇され、それを俺らのような弱者が支えている。下層を担う人間として。そんなの間違っている。力あるものは弱きものを助けなければいけないだろ。見上げるのはもう疲れた。


 今、平和ボケしているあいつらの頭に一発ぶっ放してやる。


 はたして、これは善い行いなのか。


 俺は自信をもって言える。


 「この社会に、革命を。」

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