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そして、金曜日・・・




水曜日も木曜日も、先生から仕事のメールや電話が事務所にいる私宛にあった。

でもそれだけだった。

いつも通り先生は優しくて、“先生”だった。




なんでもない感じにしてくれていた。

火曜日に私と会ってくれなかったことも、先生の一人暮らしの部屋の住所を送ってくれなかったことも、なかったことにしてくれていた。




先生は彼女と近所で食事をすることはあっても、一人暮らしの部屋に入れないと聞いていた。

理由は知らないけどそう言っていた。

なので、最後に行ってみたかった。

私がどう“重い女”か話すのに、最後に先生の部屋に行ってみたかった。




少しは違うのだと思いたかった。

先生のこれまでの彼女とは、少しは違うのだと。

先生の見た目とかお金なんて別に興味はなくて、私は先生が“先生”であることが好きだった。




それは、塾の“先生”ではなくて、弁護士の“先生”でもなくて。

“先生”は、私の“先生”だった。




そんな“先生”と再会をして、それは好きになってしまう。




好きになってしまう・・・。




密かに好きでいるだけがよかった・・・。




女の幸せなんて知らなければよかった・・・。




“先生”が“凛さん”であることなんて、知らなければよかった・・・。




そう思いながら少しだけ泣いた。

少しだけ。

幸せでもあったから。

何故か突然先生から頑張ってもらえて、最後には数日間だけ付き合ってもらえて。

初めてを貰ってもらえて。




私はちゃんと、幸せだった。




良い女じゃなくてよかった。




良い女じゃなくても幸せだったから。




そんなことを思いながら、少しだけ流れた涙を拭いた。

定時になったことを確認してパソコンの電源を落とす。




デスクの上を片付け、鞄を持ち立ち上がった。




先生の部屋の扉に手を掛け開けた。




いや、開けようとしたら外から開けられ・・・




先生が帰って来た。




それに少しだけ驚く。

予定より随分早い戻りだったから。




明らかに慌てている先生を見ながら笑いかける。




「お帰りなさい、先生。

お先に失礼します。」




「失礼しないで、少し待って。」




外が暑かったのか珍しく汗を流している先生が、私の手を優しく引き部屋の中に戻し・・・




「・・・あの、何ですか?」




先生に強く抱き締められた・・・。




それも、苦しいくらいで・・・




「先生、苦しい・・・」




「俺も苦しいから・・・。

健康診断オールAなのに死ぬかと思った。」




「それ何なんですか?」




自然と笑ってしまい先生を見上げる。

先生は本当に苦しそうな顔で私を見下ろし・・・




「俺達、まだ別れてない。

別れ話なんてしてない。」




「・・・先生はいつも別れ話をしていませんよね?

いつも音信不通になって終わってましたよね?」




「そうだけど・・・。

そうだけど、また後日って送って・・・。」




「どっちにしても火曜日に私はお断りするつもりでした。」




先生の目から視線を逸らしながら言うと、苦しいどころか・・・




「痛い・・・っ!!

私がアンタに絞め殺されるって!!」




「ごめん・・・。」




先生が慌てて力を緩めたけど抱き締められたままで・・・。




「火曜日・・・」




先生が私のことを抱き締めながら呟き、首筋に顔を埋めてきた・・・




「火曜日、元木に・・・悠ちゃんのお兄ちゃんに会ってきたよ。」




それには驚く。




「お兄ちゃんに?何で?元気だった?

最近メッセージでしかやり取りしてないんだよね。」




「元気そうだった・・・。

悠ちゃんのことを心配していた。

お父さんやお母さんのこと以上に、悠ちゃんのことを。」




「私のことを?何でだろう。」




「悠ちゃんに全てを任せて家を出てしまったからって。」




「そんなの良いのに。

だって家にいたらお兄ちゃんがダメになっちゃうから、仕方ないのに。」




私が首を傾げながら言うと、先生は困った顔で笑ってきた。




「何で俺に連絡しなかったの?

お母さんのことは知ってたけど、お父さんやお兄ちゃんまでそんな大変なことになってたのに、何で連絡してこなかったの?」




それには笑ってしまう。




「連絡するわけないじゃん!

高校受験が終わってから塾もやめたのに、やめた塾の先生にそんな連絡しないよ!!」




「・・・そうだよね、悠ちゃんはそういう子で。

元木から話を聞いて驚いたよ。

元木も当時のことをあまり覚えていないようだったけど。

それくらいに大変だった?」




「大変だったけど、みんなが助けてくれたからな。

私が実際に動くしかないから動いたけど、みんな助けてくれた。

特に・・・」




言葉を切ってから先生を見て笑いかける。




「あの高校を先生が勧めてくれたから。

担任の先生が凄い良い先生だった。

近所に住んでる、先生が取締役をしている会社の・・・」




「大学附属の高校だったね。」




「大学受験もなかったし、幸い・・・我が家にはお金があった。

おじいちゃんおばあちゃんは亡くなってしまったけど、お母さんは裕福な家の一人娘だったから。

お父さんもお給料は下がったけど公務員だったし。」




先生に笑い掛けながら、先生の胸を両手で押し少し空間を作る。

先生は泣きそうな顔で私を見る・・・。

そんな先生に笑いながら、私は両手で自分の心臓の上に両手を重ねた。




「大変だったかと聞かれたら大変だった。

でも、私には私の花火の音が鳴っているから。

どんなに大好きな家族であっても、私には家族とは違う花火の音が鳴っているから。」




そう言ってから、先生の心臓の上にも片手をのせる。

先生の心臓の上も花火の音で胸が震えている。




「“しっかりする。今は、しっかりする。”

“先生”がそう教えてくれたから。

だから、しっかりしなければいけない時だけは、私はしっかりしていられた。」





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