粉雪
寒い冬の日だった。優牙は茉莉と蓮とともに六花が入院している病院にやってきた。
六花の病室の前に、六花の両親、そして康広と小玉が集まっていた。ただ事ではない雰囲気。
優牙たちが到着すると、六花の父親が一人で病室に入っていった。少しすると、六花の父親と看護師が病室から出てきた。
「一人ずつ話をしたいそうだ」
六花の父親が優牙たちに向けて言った。
三人は顔を見回す。優牙は茉莉の肩に手を置いた。茉莉は泣きそうな顔で、小さく頷いた。
茉莉が病室へ入っていった。
優牙は病室の前で腕を組んで立っていた。喋る者はいない。
しばらくして茉莉が病室から出てきた。茉莉は誰とも顔を合わせず、涙を流しながら廊下を走り去っていった。
茉莉を見送った後、蓮が優牙に顔を向けた。優牙は小さく頷いた。蓮も頷く。
蓮が病室へ入っていった。
時間の感覚がわからなくなる。とても長いようで、けれど時間が経ってほしくなくて。
優牙の体は恐怖で震えていた。
蓮が静かに病室から出てきた。目尻に涙を溜めながら悲しみに耐えている。
優牙は病室のドアの前に立った。
優牙は呼吸を整え、意識を整え、ドアの取っ手に手をかけた。
六花はベッドの上に仰向けでいた。呼吸器が外されている。
優牙はドアを閉め、ゆっくりと六花のほうへ近づいていった。
「ありがとう、来てくれて」
絞り出されたのはか細い声だった。
六花はぼんやりとした目で優牙を見ていた。そして何かを話そうと口が開く。しかし口は閉じられ、六花は眉をひそめて悲しそうな顔になる。
「ごめんね。優牙くんにいっぱい言いたいことあったはずなのに。いざ優牙くんの顔を見たら、何も出てこないや」
「お前は最後まで謝るのかよ」
六花がじっと優牙を見据えた。
自分の口から「最後」という言葉が出てきたことに優牙は驚いた。
優牙は六花の傍についた。
沈黙したまま、彼女の傍で過ごした。二人だけの最後の時間を味わった。
「最後に一つ、お願いしてもいい?」
六花がささやくように言った。
「嫌だと言ったら?」
「幽霊になって化けて出るよ」
「それも悪くないかもな」
冗談を言っても、顔は笑えなかった。
「なんだよ」
優牙は尋ねる。
「優牙くんの手に触りたい」
優牙は力なく横たわっている六花の手を取った。彼女の左手に自分の右手を合わせた。指と指を組み合わせて、握る。
六花は天を見つめ、目を瞑った。彼女に穏やかな表情が浮かんだ。
「ありがとう」
彼女の旅路がせめて穏やかなものであるように優牙は祈った。
病室から出ると、思い詰めた顔の面々が目に入った。優牙は六花の両親に一礼をして、その場から去っていく。
シルバーに乗り、走った。
手がかじかもうと。
耳が冷たくなろうと。
体が悲鳴を上げても。
走り続けた。
鉄橋沿いの土手にやってきた。
シルバーを停めて、土手の斜面に腰を下ろした。
冷たい風が吹きつける。
日が落ちていった。
「くそ」
優牙の中で激情が沸き上がってくる。
「くそっ!」
優牙は右手を思い切り地面に叩きつけた。冷たくて硬い芝生の土。
「くそう! くそう! くそう! くそう!」
何度も何度も叩きつけた。手の痛みなど些細なものだった。この胸の痛みに比べれば。
優牙は感覚が無くなりそうな右手を持ち上げて、見つめた。
手首に巻かれていたミサンガが取れていた。千切れて地面に落ちている。
視界に小さな白い塊が見えた。
優牙は日の暮れた空を見上げる。
粉雪がゆっくりと舞い降りてきた。
優牙は落ちてきた雪を手の平にのせた。
雪はすぐに解けて消えていった。
優牙は次々と降ってくる雪を見つめながら、一人涙を流した。
六花はその日に息を引き取った。ちょうど雪が降ってきたころに。
それからの日々は曖昧だった。
自分の中から何かが抜け落ちていた。
元々自分の心は空っぽだったはず。彼女は一時的に与えたものを持っていっただけなのだ。元に戻っただけ。それなのに、どうしてここまで苦しいのだろうか。
夢を見たのかもしれない。幸せな夢を。描き切れなかった夢を。
忘れられない。
その夢が、あまりにも心地良かったから。
過去に取り残された優牙の心に、傷をつける者がいた。
『レッドフードの絵』が学校に現れたのだ。
別れを告げようとしていた気持ちに、水を差した。
そして知った。彼女が何かを残そうとしていたことを。
まだ自分は知らなかった。彼女の想いを。
彼女が残したもの。
伝えようとしたもの。
それがここにある。
優牙は旧校舎の入り口の鍵を開け、ドアを開いた。
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