拝啓

 二学期の終業式の日がやってきた。明日からは冬休み。夏休みに比べれば短い期間だが、イベントごとの多い年末年始に多くの生徒が期待を寄せている。

 帰りのホームルームが終わり、生徒たちが少しずつ教室から姿を消していく。

 優牙は自分の席に座ったまま、今学期一度も使われることのなかった彼女の席を眺めていた。

 どうしてだろう? どうして彼女だけがここにいないのだろう? どうして彼女だけにそんな仕打ちをするのだろう? 彼女はただ真っ当に生きたいだけだ。どうしてそんなささやかな願いさえ叶えてくれないんだ?

 優牙はぶつける相手もいない憤りを覚え、拳を握り締めた。

「優牙」

 唐突に自分の名を呼ぶ声が聞こえた。顔を向ける。茉莉だった。

「あんたこの後暇でしょ?」

「いいや、俺はこの国の未来のために今日も忙しい。ああ忙しい」

「国なんかのためよりもっと大事なことがあるでしょ」

「なんだよ」

「クリスマスプレゼント買いに行こ、六花の」

 茉莉が明るくそう言った。今日は二十二日。イブはもう明後日だ。

「プレゼント、か」

「あの」

 ぼそっとした声が聞こえた。近くに蓮が立っている。

「僕もお付き合いさせていただいてよろしいですか?」

 蓮は穏やかな顔で言った。

「そうだな。蓮もいてくれたほうがきっと喜ぶだろ、あいつ」

 三人は学校を出て、制服姿のまま駅近くの商店街のほうへやってきた。

 人通りが多く、賑やかだ。師走の雰囲気を感じる。

「それにしても、優牙があんなことするなんてね」

 並んで歩きながら茉莉が言ってきた。

「何の話だよ」

「フラッシュモブ。あんた意外と好きな人に尽くすタイプなの? サプライズとかしちゃうタイプなの?」

「たまたま学祭にそういう連中を呼ぶって話を聞いただけだ。それに乗っかっただけ」

「サプライズ・プランナーだっけ? 面白い仕事してる人たちがいるんだね」

「お前たちが踊ってる姿見て、六花が馬鹿みたいに口開けてたぞ」

「まあね。せっかくの学祭だし楽しくやらなきゃ」

「僕は恥ずかしかったですけど」

 ゴスロリの蓮は大好評だった。写真集を作りたいとのたまっていた女子がいたぐらい。

「それで、どうすんだよプレゼント」

 優牙は他人任せな問いかけを投げかける。

「とりあえずケーキは買お。今から予約できるとことかあるかな? あとは各々決めて」

 優牙は今更ながら気づく。自分は六花の好きなもの一つ知らない。好きな食べ物も、趣味も。好きな映画や音楽のジャンルも。何一つ知らない。そのことにショックを受けた。

 もっと彼女のことを知りたかった。一緒にいろんな場所に行って、彼女のいろんな顔を見たかった。

 そんなチャンスは巡ってくるのだろうか?

 百貨店にやってきた。複数階にわたり多くの雑貨が取り揃えられている。

 六花は何をもらったら喜ぶだろうか? なんだって喜びそうな気がする。だけどどうせなら、彼女が本当に嬉しいと思えるものをあげたい。

 優牙は一つ思いついたものがあった。茉莉と蓮に話すと、快く賛成してくれた。



 十二月二十四日、クリスマスイブ。

 日がだいぶ沈んできたころ、優牙と茉莉と蓮は病院へやってきた。

 入口のほうへ歩いていると、自動ドアが開いて中から一人の男が出てきた。

 神田だった。嫌味ったらしい世界史の教師。

 神田は三人に気づかずに駐車場のほうへ歩いていった。

「今、神田がいたよな」

「うん、いた。神田が」

「あの、お二人とも、先生を呼び捨てはどうかと」

 自動ドアから入り、ロビーに出る。六花の病室へ向かった。

 ノックをし、茉莉が先頭で入っていく。

「ヤッホー」

 茉莉が陽気に言う。本を読んでいたらしい六花は、しおりを挿んで本を閉じ、脇に置いた。ベッドの端に腰かけ床に足を下ろす。ぞろぞろと入ってきた三人を興味深そうに眺めていた。

「こんにちは。それとももうこんばんはかな?」

「どっちでもいいだろ」

 この日三人で訪れることは前もって六花に伝えていた。六花は楽しそうにニコニコしている。

「みんな、来てくれてありがとう」

 いつも来る時より椅子の数が増えている。頼んで用意してくれたのだろう。四人で輪になるように配置して座った。中央にテーブルを置き、茉莉がそこへ大きめの袋を置いた。

「ジャジャーン!」

 言いながら茉莉が袋から箱を取り出した。その箱を開けると中から丸い苺のショートケーキが現れる。サンタとトナカイのデコレーションがあしらわれている。

「すごーい!」

 六花が感嘆の声を上げた。

「飲み物もあるぞ。コーヒー牛乳と、コーヒー牛乳と、コーヒー牛乳と、コーヒー牛乳がある。六花、どれがいい?」

「じゃあコーヒー牛乳で」

 ケーキを取り分けてそれぞれの前に並べた。

「それじゃ、乾杯しよっか。何に乾杯する?」

「ゴスロリの蓮に乾杯!」

「なんでですか!?」

「乾杯!」

 パックのコーヒー牛乳をぶつけ合った。

 病室の中で開かれる、ささやかなクリスマスパーティ。

 全員が笑っていた。

 心のどこかで、これが四人で笑い合える最後の瞬間であると感じながら。

 少しでも今この時を胸に刻もうと。

「じゃあそろそろプレゼントタイムいってみようか」

 ケーキを食べ終えたタイミングで茉莉が宣言した。

「プレゼント?」

 六花が首を傾げた。

「不束ながら、あたしたちから六花にプレゼントを用意させていただきました。いくよ、せーの、ジャン!」

 茉莉と優牙と蓮は一斉にそれぞれのプレゼントをテーブルの上に出した。全員同じ種類のもの。レターセットだ。茉莉はピンク、優牙は水色、蓮は黄緑の封筒。中にはもちろん文章をしたためた手紙が入っている。

 三人のプレゼントが手紙だと知った六花は、既に泣きそうな顔になった。

「一人ずつ音読してくから。まずはあたしからね」

 茉莉がピンクの封筒を手に取り立ち上がった。封を開いて手紙を取り出す。

「えー、テス、テス」

 茉莉が拳で作ったマイクで無意味なマイクテストを行った。

 そして手紙を読み始める。

「そう、あれはあたしが川で洗濯をしている時のことだった。どんぶらこ、どんぶらこ、と」

「茉莉。照れて変なボケかまさなくていいから、真面目にやれ」

「うっさいな」

 茉莉はコホンと一つ咳を入れて仕切り直す。

「六花へ。高校で出会った私たち。すぐに馬が合うってわかったよね。女の子らしくおっとりとした六花が羨ましくもあり、可愛くもあり。そして優しい六花が大好きでした」

 六花が感情を隠すように両手を顔にあてた。

「六花の体が悪いことを知った時は、どうして、って思った。どうしてこんな良い子がそんな目に遭わなくちゃいけないんだろうって。

 六花はどんな気持ちで病気と向き合ってるんだろう? 苦しいかな? 怖いかな? 六花は私たちにそういう姿を見せないから。だけど、いいんだよ、我慢しなくて。ありのままの姿でいてくれたら。だって私たち、大切な友達だよね?」

 六花が短く声を上げて泣いた。それを見た茉莉の目尻からもポロポロと涙がこぼれ始める。手紙を読み上げる茉莉の声が震える。

「六花……大好きな六花……いなくなったら嫌だよ……これからも一緒にいて……テスト範囲教えて……ノート見せて……私の話を聞いて……一緒にご飯食べようよ……」

 優牙は茉莉にティッシュを差し出した。茉莉はそのティッシュを一枚抜き出して目元を拭った。

「ごめんね。一番不安なのは六花なのに。

 これからもずっと、六花は私の親友だよ。

 辛いことがあったらすぐに私に言ってね。私が速攻で助けにいくから。

 また四人で遊びに行こう。六花が良くなるの待ってるから。

 杉崎茉莉」

 茉莉は封筒の中に手紙を戻し、六花に差し出した。六花は泣きながらそれを受け取った。

 病室の中にしんみりとした空気が流れる。

「蓮」

「はい」

 優牙に促されて蓮が立ち上がった。

「えー、テス、テス」

 無意味なマイクテストの後、蓮が手紙を読み始める。

「そう、あれは僕が庭で花に水をあげている時のことでした。突如として頭上に円盤型の物体が現れ、僕に向かって光が照射されました。すると僕の体は浮かんでいき――」

「蓮。変な流れ作らなくていいから、真面目にやれ」

 蓮がポリポリと頬の辺りをかいた。仕切り直して手紙を読む。

「白石さん。僕と白石さんは、四人の中で唯一苗字で呼び合う間柄ですね。お互いに気にしいの性格ですし、友人を介して交流をしているところがあります。だけどそれは、僕たちの距離が遠いというわけではないと思います。お互いにやんちゃな友人を持って苦労しているという点では、むしろ一番親近感があります」

 揶揄された優牙と茉莉は睨むように蓮を見たが、六花は笑いながら何度も頷いて共感を示した。

「僕が驚いたのは、優牙さんが白石さんのことを好きになったということです。優牙さんはかっこいいので誰かに好かれることはあっても、優牙さんが誰かを好きになることはなかなか想像できないことでした。意外な出来事です。だけど、二人はとてもお似合いでした。相性バッチリ。そんな二人がとても微笑ましかったです」

 蓮は穏やかな表情で手紙を読み続ける。

「優牙さんはとても優しい人です。粗暴な言動とは裏腹に、身近な人をとても大切にしてくれます。それは白石さんが一番感じていることだと思います。

 お二人が結婚式を挙げる日が来たら、必ず僕も呼んでくださいね。二人の晴れ舞台この目で見てみたいです。

 約束ですからね。破ってはいけませんよ。

 それまでどうか生きてください。

 僕も、あなたの友人でいさせてください。

 また一緒に水風船合戦しましょう。

 星村蓮」

 蓮が手紙を差し出した。六花は涙を拭いながらそれを受け取る。茉莉も泣いていた。

 蓮が座り、優牙は手紙を持って立ち上がる。

「テス、テス。テーステステステス」

 優牙は無表情でそう言い切った。そして手紙を読み始める。

「そう、あれは俺が――」

「優牙」

「優牙さん」

 茉莉と蓮が優牙を制止した。

「まだなんも言ってねえだろ」

「ボケる気満々の澄ました顔してたでしょ」

 優牙は溜め息を吐き、もう一度手紙に目を向ける。六花が真剣な表情で優牙を見つめていた。

 そのまましばらく手紙を持っていた優牙だが、唐突に黙って手紙を折りたたみ、封筒にしまった。それを六花に渡す。優牙以外の三人はみな不思議そうな顔をしている。

 六花は受け取った封筒から手紙を取り出した。それを自分の前で掲げて眺める。

 優牙はじっと待っていた。

 やがて手紙を見ていた六花が嗚咽を漏らし、涙を流した。どういうことかと、茉莉と蓮が手紙を覗き込んだ。

 優牙は手紙に一言の文字も書いていない。

 そこにあるのは、絵だ。

 鉛筆で描いた、写実的な六花の似顔絵。優牙が一番大好きな、彼女の微笑み。

 六花は涙を拭いながら、口元に笑みを浮かべた。

「ありがとう」

 六花はテーブルに手紙を置き、三人に向き直る。

「優牙くん、ありがとう。茉莉ちゃんもありがとう。星村くんもありがとう。みんなありがとう」

 クリスマスソングも聴こえてこない、質素な病室。

 聖なる夜に贈られたささやかな幸せ。

 四人は今この時を胸に抱いた。

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