白く、白く、降り積もっていく

高三・春

親友

 優牙は自宅のベッドの上で目を覚ました。カーテンから微かに朝日が差し込んでいる。

 手で目の下に触れた。少し濡れている。悲しい夢を見た気がした。悲しさは全部夢の中に置いてくることができたらいいのに。

 寝返りを打ちながらいつもと同じことを考える。

 彼女のことを。

 日に日に蜃気楼のように彼女の姿がぼやけていく。それなのに、悲しさは募るばかり。

 まだ一度も彼女に向けて手を合わせられていない。認めなければ、そのうちひょっこり現れるんじゃないかと、馬鹿なことを考えている。彼女はもういないのに。

 優牙はベッドの上で体を起こした。PCがのっている机を見る。その上に置いてある、断ち切れてしまったミサンガを。

 願いが叶うなんて嘘だった。とんだ迷信、世迷い事だ。

 それはたった一つの願いさえ、叶えてくれることはなかった。



 母の雫が玄関から出ていく音がした。仕事に出かけたのだ。朝食だけはいつも母と一緒に食べることにしていたが、この日優牙は自室に閉じこもったままだった。優牙が授業はサボっても寝坊はしない人間だと母は知っている。それなのに一言も声をかけていかなかったということは、優牙に気を遣ったのだ。

 トイレに一度立ったきり、優牙は何も口にせず何もせずにベッドの上でずっとぼーっとしていた。

 スマートフォンからメッセージが届いた効果音が鳴った。ただそこへ手を伸ばすことすら億劫だった。しかし次第にメッセージの送り主と内容が気になり始める。

 優牙は体を起こし、スマートフォンを手に取った。二時限目の途中の時間だった。

『学校、行かないんですか?』

 蓮からの簡易なメッセージだった。その内容に、少しだけ違和感を覚える。細かいことかもしれないが、普通であれば『行かないんですか?』ではなく『来ないんですか?』となるのではないか。相手が茉莉のようにガサツな人間ならそんなこと気にも留めないが、蓮は細かい部分にまで気を配る人間だ。

 優牙がそんなことを考えていると、既読がつくのを待っていたらしい蓮が、次のメッセージを送ってきた。

『下で待ってます』

 優牙はそのメッセージをしばらく見つめた後、体を起こしてベッドから下りた。

 手短に準備をして玄関から出る。

 マンションから出ると、前の通りの路肩で蓮が自転車に跨って佇んでいた。

「おはようございます」

 蓮はなんでもないような様子で声をかけてきた。

 優牙は訝しんだ。

「授業はどうした?」

「抜けてきました」

「お前電車通学だろ」

「はい」

「その自転車は?」

「杉崎さんのです」

「授業サボって茉莉の自転車に乗って、お前はそこで何してんの?」

「優牙さんを待ってました」

 蓮は淡々と言う。

「何のために?」

 優牙がそこまで尋ねたところで、蓮は一度視線を逸らせた。過去を見つめるような目だった。

 爽やかな春の風が吹き抜ける。

「白石さんと最後に話をした時、頼まれたんです」

 優牙は蓮の言葉に耳を傾ける。

「ずっと優牙くんの親友でいてあげてね、って」

 それを聞いた優牙は胸を締めつけられたような気がした。

 蓮は悲しそうな目をしながら、口元は優しく微笑んだ。

「だから、授業とか、そんなことはどうだっていいんです」

 蓮は優牙に顔を向けた。

「これから一緒に遊びに行きましょう」

 それが蓮が親友にできることのようだった。

 蓮はずっと自分を心配してくれていた。それなのに自分は、いつまでも塞ぎ込んで。

 優牙は一度大きく溜め息を吐いた。蓮は静かに待っている。

「蓮、ありがとな」

「いえ」

「行こうぜ、学校」

「……はい」



 優牙と蓮は、学校に行く途中でコンビニに寄っていた。手頃なスイーツを物色する。

「なあ蓮」

「何ですか?」

「茉莉に頼まれたの? 俺のこと迎えに行けって」

「はい」

「そっか」

 優牙はドーナツとサイコロ型の複数入ったチーズケーキを購入した。

 コンビニを出て、シルバーを走らせる。

 桜は散った。だけどまだ春だ。彼女と出会った季節。

 彼女のいない、春。

 学校に着いた。ちょうど二時限目と三時限目の間の休み時間だった。

 三年F組の教室に入る。席に座っている茉莉がちらっと優牙を見て、それから視線を逸らせた。優牙は茉莉のほうへ近づいていく。

 悲しいのは優牙だけではない。六花は茉莉の親友だった。

「ほい、差し入れ」

 優牙は先ほどコンビニで購入したスイーツを茉莉の机の上に置いた。茉莉はブツを確認してから、優牙を見た。

「ありがとな」

「何が?」

「六花の友達でいてくれて」

 優牙の言葉で、茉莉の瞳が急激に潤み出した。茉莉はバッと身を翻し、両手を抱えるようにして机に突っ伏した。優牙は顔を隠した茉莉の肩にそっと手を置いた。

 彼女の周りにいる人間はみんな優しかった。

 それはきっと、彼女が優しかったからだろう。

 せめてもう一度、四人で過ごしてみたかった。

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