深夜の紅葉
夜。中央に池のある公園。
風が吹くと木の葉がさらさらと擦れ合う。黄緑、黄色、そして鮮やかな朱色に染まったもみじが街頭に照らされている。星型のような、開いた人の手のような、そんな形のもみじの葉。
優牙は六花と手を繋ぎ、池周辺の散歩路をゆっくりと歩いていた。
ベンチがあったので、そこに座ることにした。こうやって二人並んで座っているとまるでカップルみたいだと思った。だけどそういえば、自分たちは本当にカップルになったのだと気づいた。大勢の人間を巻き込んでまで告白したのだ。
「ずるいよね」
六花が呟くように口を開いた。優牙は彼女に目を向ける。
「あんなことして」
六花は学祭でのフラッシュモブのことを言っているのだろう。
「びっくりしたか?」
「うん」
「なら成功だ。六花を脅かすためにやったからな」
六花がくすくすと笑った。
「すごく嬉しかった」
六花が前を向きながら顔を上げた。
「嬉しすぎて、悲しい」
彼女の表情は儚かった。頭上から一枚のもみじが落ちてくる。
夜の公園の静けさが、二人の沈黙を強調した。
「六花」
優牙に呼ばれて六花が顔を向ける。
「俺に何か言いたいことある?」
「言いたいこと? 優牙くんに?」
「べつに俺にじゃなくてもいい。壁に向かって話すような気持ちでいい」
「……」
「お前が一人で抱えているものを、俺も一緒に抱えてやる」
六花は真剣な表情で優牙を見つめている。
風が吹き、彼女の髪をなびかせた。
彼女の唇が動き出した。
「私ね」
優牙は黙って六花を見つめた。
「もう、長くないみたいなの」
優牙は歯を食いしばって、その痛みに耐えた。
「次の春には、もう私はいないかもしれない」
六花は淡々と話した。まるで他人事のように。
「体の中の血が、いろいろ悪さをしてるんだって。前から知ってた。自分はもうすぐ死ぬって」
木の葉の擦れる音が響く。
「時間が無いってわかったら、私すごく焦っちゃって。何かしなきゃいけないと思って。混乱して。そして。そしたら」
六花はどこか遠くを見る。
「落書きを描いてた」
彼女の目尻から涙が流れている。
「馬鹿みたいだよね。そんなことして何になるんだろ。ただ他人に迷惑かけてるだけなのに」
六花は自分を嘲笑った。
「だけどその衝動はどうしようもなくて。夜中に家を抜け出して。街の中を走って。線路に入って。絵を描いて。そして」
六花が真っ直ぐに優牙を見た。
「優牙くんが私を見つけてくれた」
六花は泣きながら微笑んでいた。
「そのおかげで、止まった私の心に、光が灯った。色がついた」
犬の散歩をしている人間が近くを通り過ぎる。
「だから優牙くんに何回も言ったんだよ。ありがとうって」
優牙は自分も泣いていることにようやく気づき、涙を拭った。しかしすぐに次の滴がこぼれてくる。
「嬉しかった。優牙くんはいつだって温かかった。優しく見守ってくれた。茉莉ちゃんも、星村くんも。四人で過ごす時間はすごく楽しかった。深夜に優牙くんと二人でいる時は、すごくドキドキした。こんな時間がずっと続けばいいって、願いそうになるぐらい」
優牙は六花の右手首にあるミサンガを眺めた。
「怖いよ」
六花が顔を歪めて泣いていた。
「こんな素敵な場所からいなくなるなんて」
六花は体を震わせながら嗚咽を上げる。
「怖くて、怖くて――」
優牙は六花を抱きしめていた。
彼女の鼓動が聴こえる。息遣いが聴こえる。
温もりを感じる。
全部、全部、抱きしめた。彼女の全てを。ありったけを。
六花は驚きの後、子供のように泣きじゃくった。優牙の体にしがみつきながら、蛇口のように感情を吐き出した。
夜の公園に彼女の声が響き渡る。
優牙は彼女を受け止めた。感情も、心も。
紅色のもみじに囲まれながら。
二人は抱きしめ合った。
深夜、六花は絵を描いていた。神社の敷地を囲っている塀の外側にスプレーを吹きつけている。
「こんなことして、
傍らにいる優牙に六花が訊いてきた。
「大丈夫だ。罰が飛んできたら俺がバットで打ち返してやる」
「頼もしいね」
六花が描いているのはもみじの絵だった。鮮やかな色使い。神社の塀に紅葉が華やかに色づいている。
入院している六花をこんな時間まで連れ回していいはずはない。だけどこれは彼女の頼みだった。後でいくらでも責任は負う。今はただ彼女の好きなようにさせてあげたい。
「絵って、不思議なんだ」
六花が手を動かしながら言う。
「まるでもう一人の自分がそこにいるみたいで」
優牙にはまだその感覚はわからなかった。だけど六花の絵には感じるものがある。
「ねえ優牙くん」
六花が手を止めて振り返った。
「今日、優牙くんはどうして告白してくれたの?」
フラッシュモブの最中、付き合ってほしいと言ったことだろう。
「だって私はこんなだよ。学校も行けないし。そこまでする価値なんてないのに」
また卑下する六花が始まった。
「もしかして……」
六花は何かを言おうとして、口を閉ざした。そのまま俯いてしまう。
同情したから?
彼女はそう言おうとしたのかもしれない。
馬鹿にしている。この気持ちを知らないのだろうか。
「教えてやろうか」
優牙の声に六花が顔を上げた。
「六花のことが好きだからだよ」
六花は目を見開いて優牙を見つめた。そして徐々に頬が赤く染まっていく。もみじみたいに。
六花は恥ずかしそうに顔を逸らせた。
「ねえ優牙くん」
「なんだよ」
「あの約束ってまだ適応中? なんでも言うこと聞いてくれるってやつ」
「ああ」
「じゃあ――」
六花が言い終わる前に、優牙は彼女の唇を奪った。
すぐに離れて、唖然としている彼女を眺める。
優牙は六花に向かってニッと笑った。
六花は指先で自分の唇に触れた。そして笑い返した。
「今のは不意打ちだから数には入らないよね?」
「さあ?」
神社の塀に描かれたもみじのグラフィティ。
その傍らでは、紅色のネズミがひっそりと佇んでいた。
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