ほろ苦さを知って

 カランコロン。

 その日優牙は一人で『喫茶スローアップ』に行った。

 カウンターのほうへ進んでいくと、中の厨房に大きな体の康広の姿を確認できた。

「ちっす」

「いらっしゃい」

 優牙は空いているカウンター席に座った。まさか自分が喫茶店の常連になるなんてと考えると、少し可笑しかった。自分に似つかわしい場所とは思えない。

 康広は作業をしながら、何気なく優牙のことを観察している。優牙がこの店に来た理由を考えているようだ。

「カレーください」

「かしこまりました」

 ゆったりとしたBGMが静かに流れている。品のある空間。優牙は逆に落ち着かなくなる。ヘヴィメタルのほうが自分には合っている。

 六花と会ってから、自分は少し変わったような気がした。以前はもっと刺々しかったように思える。世の中のあらゆるものに敵意を持っていたような。

 コトコトとスープでも煮込むような足音がした。小玉が近づいてくる。小玉は胸の前で腕を交差させて挟み込むようにして何かを持っていた。優牙にある程度近づいてきたところで立ち止まり、その場でモジモジし始める。

「優牙くんにもらってほしいものがあるみたいなんだ」

 フォローするように康広が言った。

 優牙は再び小玉に目を向ける。

「なんかくれんの?」

 小玉はモジモジしながらコクンと頷いた。

「じゃあちょうだい」

 優牙は右手を小玉のほうへ差し出した。

 小玉は両腕で抱えていたものを優牙の手に預けた。どうやら画用紙だ。持ち上げて眺めてみる。

 クレヨンで絵が描かれていた。おそらく優牙の絵だ。ブレザー姿の。ザ・子供の絵という感じ。「なにこのク〇みたいな絵」とか前なら言ってしまっていたかもしれない。やっぱり自分は変わった。

 小玉ははにかみながら期待するような目で優牙を眺めている。

「ありがと」

 優牙がお礼を述べると、小玉は嬉しそうに微笑んだ。

 絵を見ながら待っていると、カレーが出てきた。小腹の空いている優牙は早速カレーを口に運ぶ。とても美味い。恋しくなる味だ。

 カレーを食べることはまるで話を始めるための儀式のようだった。

「ねえ康広さん」

 康広が作業の手を止めて優牙を見た。

「今六花が入院してる」

「うん、そうだね」

「六花は前から知ってたの? 自分の体が悪いこと」

「ああ」

「いつから?」

「どうだろうね。少なくとも、優牙くんと六花が初めて一緒にこの店に来た時よりは前だよ」

 それは春の出来事だ。これでいろいろなことが繋がった。

「六花はどれぐらい悪いの?」

 康広はその問いには答えなかった。しかしその憂いに満ちた表情が物語っているものがある。

 何かが腕にちょんと触る感触があった。見ると、小玉が傍にいて優牙に触れていた。優牙は小玉の腕をちょんと突き返した。小玉はくすぐったそうにして笑った。

「六花がここで手伝いをしている時」

 康広が話を変えて話し始めた。

「よく優牙くんの話をしてた。面白い話をたくさん聞かせてもらった」

「俺が宇宙人とシーソーをしてた話とか?」

「いや、その話は聞いてないかな」

 康広は楽しそうに笑った。

「六花はああいう性格だ。遠慮して、他人に自分の本音を見せないところがある。家にいないでここにいることが多いのも、両親に遠慮しているんだ。自分がいたらお母さんとお父さんに気を遣わせてしまう、ってね。そういう思い込みが強いところがある。そうやって一人で抱え込んでしまう」

 そのことを想像するのは難しくなかった。彼女ならありそうだ。入院していることを優牙に隠していたのも、優牙に心配させたくなかったからだ。

「だけど、六花にとって優牙くんは特別なんだと思う。六花の話を聞いてあげてほしい。なんでもいい。ちょっとしたことでも。それは六花にとってとても大切なことなんだ。僕なんかの頼みで悪いけど」

「いえ」

 皿にこびりついているカレーが目に入る。

 美味しいはずのカレーが、なぜかほろ苦く感じた。



 夜、ベッドの上で寝転びながら、優牙は六花にメッセージを送った。

『いつから学校来れんの?』

 素早い返信を待っていたわけではないが、それはすぐに既読になり彼女の答えが返ってきた。まだ起きていたらしい。

『ごめんね。わからないや』

 優牙は六花のメッセージを見つめながら、自分の意思を伝える。

『学祭、六花と一緒に回りたいんだ』

 そのメッセージはすぐに既読になったが、六花はなかなか返信をしてこなかった。

 優牙は彼女の心情を想像しながら待つ。六花と一緒にいるようになってから、相手のことを考えるようになった。

 返事が返ってきた。

『うん、私も優牙くんと一緒に回りたい。なんとかしてみる』

『無理しなくていいからな』

『わかった。ありがとう』

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