存在
ネットでレッドフードという呼び名が定着した。季節に沿ったグラフィティを残すライターのことだ。レッドフードの絵には必ずどこかに一匹のネズミが描かれていて、同じ人間の絵であると結びつけられた。なぜかレッドフードの絵の写真を待ち受けにすると恋運上昇155%になると言われている。勝手だが面白い噂だった。
二人が深夜に絵を描いている時に誰かに目撃されたのかもしれない。だからレッドフードと呼ばれているのだろう。赤いフード姿の彼女を見た人間がいる。その近くにぶっきら棒な男も一人いるのだが。
また彼女と一緒にグラフィティを描くことはできるのだろうか。彼女は今の状況をどう思っているだろう? また描きたいと思っているだろうか。
彼女は何のためにグラフィティを描いていたのか。
その理由が少しずつわかるような気がしてきた。
だけど、わかりたくなかった。知りたくなかった。
知ることが、怖かった。
六花が学校に来ない日が続いた。この日は体育祭だった。
男子たちによる騎馬戦。優牙は三人で形作る騎馬の前方の位置。上には体の軽い蓮が乗っている。
「殺れぇー! 殺っちまえぇー!」
クラスの応援席から茉莉の物騒な声援が聞こえた。
「蓮、聞こえたか?」
「はい」
「殺っちまっていいみたいだぞ」
「そのやるって、殺すって意味ではないですよね?」
号砲が鳴り響き、戦が始まった。優牙たちは囲まれないように端のほうから進んでいく。
敵側の騎馬一体と相対した。
「おいてめーら、蓮に手出しやがったらぶっ殺すかんな!」
優牙の強烈な威嚇で、相手側の騎馬の上にいる人間が怯んだ。
「やっぱり殺すって意味じゃないですか!?」
ついでに味方まで怯んでいた。
ルールは騎馬の上にいる人間が帽子を取り合うことになっている。取られたら負けだ。何かの拍子に騎馬が崩れても負けだが、騎馬同士の不必要な接触は禁止されている。だが優牙は構わず敵の騎馬に前蹴りを喰らわせた。敵は抗議の声を発したが、こちらは相手が体勢を崩したところにつけ入り蓮が向こうの帽子を取った。
「いいぞ星村ー! もっと殺れぇー!」
茉莉の激励が飛んでくる。
「だだだから殺しじゃないのに」
騎馬戦は二回戦あったが、どちらも蓮は帽子を取られなかった。優牙がかける威圧により逃げていく敵が多かったからだ。勝敗は全体の残った騎馬の数で決まるのだが、優牙は興味なかった。
「ちっ、殺り足りなかったぜ」
「それ殺し足りなかったという意味じゃないですよね?」
個人種目はクラスの中でそれぞれ割り当てられていた。優牙は借り物競走に出ることになっている。優牙が居眠りしている時のクラスの話し合いで決まったらしい。
一レース七人ほどでスタート。真っ直ぐ行くと台があって、その上にお題が書かれた紙が裏返しになって置いてある。優牙はその一つを拾い上げた。
『あなたの愛する人をゴールまで連れていって❤』
ずいぶんとふざけたノリのお題だった。
競技者は二本の薔薇の造花を持たされている。一本は自分用、もう一本はお題の相手に渡す用だ。お題を確認した優牙は自分のクラスの応援席へ走っていく。優牙が近づいてきたことでクラスメイトたちがわさわさと沸いていた。
優牙はお題の書かれた紙をクラスメイトたちに見えるようにかざした。うおー、誰だ誰だー、と興奮した声が上がる。
優牙の脳裏には一人の女子の姿が浮かんでいるが、残念ながら彼女はこの場にはいない。代わりを連れていこう。
優牙がクラスメイトたちを物色していると、茉莉と目が合った。
すると茉莉は顔が赤くなり、期待するような目を優牙に向けた。
「よーし、それじゃあ」
優牙は対象の人物に近づいていく。
「きみに決めた」
優牙は蓮に向かって薔薇を差し出した。キャー、という黄色い歓声が周りの女子たちから上がった。
「ぼぼぼぼ僕ですか?」
蓮が顔を真っ赤にしながら訊いてくる。
「ああそうだ。俺の愛しい人よ」
女子たちが黄色い声を張り上げる中、茉莉は憎らしげな目つきで優牙を睨んでいた。
蓮が応援席から出てきて薔薇を受け取った。
「さてと」
「えっ?」
優牙は片手を蓮の背中にあて、片手を蓮の膝の裏にあてた。
「大人しくしてろよ」
優牙は蓮をガバッと持ち上げた。
お姫様抱っこだ。
女子たちの歓声が最高潮に達する。
「ちょ、ちょっと、優牙さん」
「みんな俺たちのこと見てるぜ」
優牙は照れまくる蓮に構わずお姫様抱っこをしたままゴール地点へ向かった。もちろんお姫様抱っこをしなければならないルールはない。
とっくに他の人間にゴールテープは切られてしまっていたが、無事二人でゴールする。
蓮を地面に下ろすと、蓮はいじらしい表情で佇んでいた。
「あの、優牙さん」
「ん、どうした?」
「び、びっくりしましたが、そんなに悪い気分じゃなかったです」
「そっか。じゃあ、ついでにキスでもしてみる?」
「いやいやいやいやいや!」
蓮は両手を前に突き出しながらブルブルブルと首を左右に振った。まったく、可愛いやつめ。
優牙はリレーの選手にも推薦されていたが、ダルかったので辞退していた。警官との追いかけっこだったらやってもよかったけれど。
まだ体育祭は続いていたが、優牙は一人グラウンドから出ていった。静かな校舎のほうへやってくる。
自分が求めているものはここにはない。自分はただ、彼女と一緒にいたかった。それだけでよかった。彼女が隣にいれば、それだけで色が宿る。彼女と共有できない楽しみに、何の意味があるのか。
そして優牙は知った。自分にとって六花の存在がそれほどまでに重要なものとなっていたことに。
彼女がいれば、心が満たされる。自分が自分でいられる。こんなはみ出し者の自分でさえも。
誰もいない教室へやってきた。新学期から空いたままになっている彼女の席を眺める。
自分にできることは何だろう? 優牙はそんなことを考えた。彼女にしてあげられることを想像する。
すぐに思い浮かぶことは一つしかなかった。自分たちは初めからその関係で繋がっていた。これまでも。そしてきっと、これからも。
優牙は彼女にグラフィティを描かせてあげたかった。
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