高二・秋
手と手
九月、新学期の初日。まだまだ暑いとはいえ真夏の熱波に比べればだいぶ薄らいだ陽気の中、優牙はシルバーに乗って学校に向かっていた。
夏休みの間にいろいろと課題が出されていた。いわゆる夏休みの宿題。だが優牙は何一つ手をつけていない。ちょっと聞きそびれてしまったということにしてやり過ごしてみよう。まったくやろうと思わなかったわけではない。やってみようという気持ちも少しはあったのだが、実際に手をつけるまでには至らなかったというだけのことだ。誰が悪いわけでもない。
学校に着き、駐輪場にシルバーを停めて教室に向かった。
教室の中では久々に再会した生徒たちの間で話に花が咲いていた。肌がずいぶんこんがりしているクラスメイトもいる。
優牙は自分の席に着いた。そしてあることに気づく。
六花が来ていない。彼女の席は空いているし、教室のどこにも彼女の姿はない。
始業式が始まる時間になっても、六花は来なかった。
どこかもやもやとした気持ちを抱えながら優牙は過ごした。
午前中で学校が終わり、優牙は自分の席に座ったまま六花にメッセージを送った。
『今日から学校なの忘れてた?』
数分経ってから、既読がついた。返信がくる。
『忘れてないよ』
優牙は少し安心した。もしかすると連絡が取れないような気がしていたからだ。
優牙はさらにメッセージを打つ。
『珍しいな、六花がこんなに寝坊するなんて』
『寝坊、じゃないんだけどね』
『調子悪いの?』
『うーん、どうだろ』
『無理するなよ』
『ありがとう』
翌日も、その翌日も、六花は学校に来なかった。さらに翌週になっても。
六花に状態を尋ねても、曖昧な答えしか返ってこない。
その日の放課後、優牙はそそくさと教室から出ていこうとする茉莉に声をかけた。
「茉莉」
茉莉がビクッと体を震わせてから立ち止まった。ゆっくりと優牙のほうを向く。
「ななななーに?」
「挙動不審が体に出てるぞ」
「出てないし!」
「六花のこと、なんか聞いてる?」
茉莉が辛そうな顔をして黙り込む。どう見ても何かを隠している顔だ。
「知ってるなら教えてくれ」
「駄目」
「何が?」
「優牙には言うなって言われてる」
それを聞いて優牙は茉莉に近づいていった。茉莉は怯えた表情で後ずさる。
「ちょっとこっち来い」
優牙は教室から出て歩いた。周りに人のいない廊下の突き当たりまで進んだ。
振り返ると、茉莉がそっぽを向きながらとぼとぼと歩いてくる。逃げられないことを悟ったらしい。
「さっ、どうぞ」
優牙は手の平を向けるジェスチャーをして促した。
「だから、言えないんだって」
「六花に口止めされてるんだな」
「そうだよ」
「調子悪いのか?」
「……うん」
茉莉は悲しげに俯いた。
「今、どういう状態」
「……入院してるんだって」
入院。聞きたくないワードだった。胸の内に何か重たいものがのしかかってくる。
「茉莉」
「何?」
「今度たまごサンドとコーヒー牛乳を奢ってやる」
茉莉は深い溜め息を漏らした。優牙の言いたいことがわかったのだろう。
茉莉の案内で、六花のいる場所へ向かった。
大きな病院だった。見上げるほどに。彼女はこんな大層なところに入院しなければならないほど良くないのだろうか。
優牙は受付で手続きをし、病室へ向かった。茉莉が不安そうに後ろからついてくる。
廊下で看護師や患者とすれ違う。ここは治す者と治される者がいる場所だ。そのことが意識に浮かぶ。彼女もそれに当てはまる人間なのだ。
目的の病室に着いた。少し呼吸を整えてから、軽くノックをした。中から小さな返事が聞こえた気がする。優牙はドアを開けた。
「あっ」
ベッドの上で座っている水色の病衣姿の六花から、気の抜けたような声が漏れた。
中は個室だった。
「よっ」
優牙は片手を上げて挨拶をして、ゆっくりと部屋に入った。
六花は思い詰めたような表情で優牙を見つめている。
「ちょっと道に迷ったんだ。そしたらここに辿り着いた」
六花の視線が優牙の後ろでこそこそしている茉莉に向いた。
「ごめんね、六花」
茉莉が申し訳なさそうに言う。
優牙は六花のほうへ近づいていった。
「元気か?」
入院している者に対する言葉としてはいささか間の抜けた問いかけだが、自分はそれでいいのだ。
ふふっ、と六花は笑った。ほらやっぱり、正解だ。
「優牙くんが来てくれたから、元気になったかも」
「そっ」
ベッドの近くにコの字型の棚があって、出っ張った部分は引き出しと戸棚、真ん中のへこんだ部分に小さなテレビがついている。他に椅子と机のセットがあって、その上に教科書ノート文房具がのっていた。
「もしかしてお前、こんなところにいるのに勉強してんの?」
「そうだけど」
「俺学校行ってんのに勉強してないけど」
「しろよ」
茉莉が鋭くつっこんできた。
優牙は病室の中を見回してから、再び六花に目を向けた。彼女はずっと優牙を眺めている。
「なんだよ。俺の顔になんかついてる?」
「えっと、目と鼻と、口かな」
「くちばしは?」
「うーん、見当たらない」
「俺の顔そんなに物珍しいか?」
「少しでも見ておきたいの」
「ありゃ、もしかしてあたしお邪魔かしら?」
振り返ると、茉莉が部屋の入り口のほうへ歩いていった。
「ロビーにいるね」
「茉莉ちゃん、来てくれてありがとう」
茉莉は背中を向けながら右手をひらひらと振った。後でジュースでも奢ってやろう。
ドアが閉まり、部屋の中は二人きりになる。
何を話せばいいのかわからなかった。具体的な病状を尋ねるべきだろうか。しかし何も悪くなかったらこんなところに入院などしていない。
六花は優牙が考えていることを悟っているように、悲しげに顔を俯かせた。
優牙は六花に近づいていく。そして彼女に向けて右手を差し出した。手首に彼女からもらったミサンガが見える。
六花は顔を上げて優牙の手を見つめた。一度優牙の顔を見てから、また手を見る。
六花が優牙の手の平の上に右手をのせた。優牙は彼女のその手を自分の手で包み込んだ。
手を握り、二人は見つめ合う。
無言の約束をした。
この手は離さない。
たとえどんな運命が待っていようと。
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