意志

 その日の授業と授業の合間の休み時間、三年F組の教室ではレッドフードの話題で持ち切りだった。あのレッドフードの絵が、自身のクラスの廊下にあったのだ。レッドフードは三年F組の生徒の誰かなのではないかという憶測が飛び交う。SNSにも花火の絵の写真が投稿され、またしばらく騒がしくなるかもしれない。

 今回自分たちの教室の前に落書きがあったことにより、落書きを描いた人間はレッドフードの正体を知っている人物だと優牙は考えた。少し前までレッドフードが誰なのかを知っているのは自分一人だと思っていたが、現在はあと二人いる。

 茉莉と蓮だ。

 優牙はこの二人が落書きを描いた可能性を考える。茉莉よりは、蓮のほうがありそうだ。茉莉は花火の絵の前で泣いていた。自分が描いた絵で泣くだろうか? それに茉莉が何かしらのメッセージを伝えるとしたら、こんな回りくどいことはせずもっと直接的な手段を取る気がする。

 体育館と廊下にあった二つの落書き。これはどちらも優牙に対するメッセージ。蓮の「きっと、優牙さんが一番感じるものがあったのではないでしょうか」という言葉で、優牙はそう思うようになった。

 優牙が一番六花に近しい人間だったから。

 二つの落書きは何のために描かれたのだろう? 自分に何を伝えようとしているのか?

 桜の木と花火の絵は、本物のレッドフードの絵のようにとても精巧に描かれている。素人の絵ではない。六花のことを知っていて、絵を描ける人間。優牙には一人思い当たる人物がいた。

 六花に絵を教えた、『喫茶スローアップ』の店主だ。



「蓮、前と後ろどっちがいい?」

 放課後、優牙と蓮は駐輪場にいた。近くに茉莉もいる。

「えーと、二人乗りをするということでしょうか?」

 蓮が戸惑いながら訊いてくる。

「ああ。恋人ならそうするだろ」

「こここここ恋人?」

「今さら狼狽えるなよ。俺と蓮の仲だろ」

「そういう仲ではなかった気が」

「あのさー、どーでもいいけど早くしてくんない?」

 一人自転車に跨っている茉莉が急かしてきた。

「ほら、茉莉が俺に嫉妬してるぞ。蓮とぴったり密着できるって」

「ししししし嫉妬なんてしてないわ!」

「お前ら性格全然違うのに実は似てるのな」

 優牙はシルバーに跨り、その後ろに蓮がつく。

「失礼します」

 蓮は優牙の肩にそっと手を置いた。

「おい蓮。そんなんじゃすぐ振り落とされるぞ。もっと俺を強く情熱的に抱きしめろ」

「こここここうですか?」

「ちょっとあんたたち何やってんの!」

「ぼぼぼ僕は優牙さんに言われたから」

「シルバー、レッツゴー!」

 優牙はペダルを漕ぎ、シルバーをスタートさせた。

 こんなしょうもないやりとりを微笑んで見守ってくれる彼女はもういない。

 それでも走り出さなければ。前に進まなければ。

 季節に置いていかれないように。

『喫茶スローアップ』に到着した。駐輪禁止の店の前にシルバーを停めて中に入る。

 カランコロン。

 三人が姿を見せると、小玉が遠目から優牙たちのことを窺っていた。優牙が手を振ると、小玉もにっこりと笑って手を振った。

 カウンターのほうへ進む。中の厨房に康広がいた。

「ちっす」

「やあ、いらっしゃい」

 康広は優牙と挨拶を交わした後、後ろにいる蓮と茉莉に目を向けた。

「今日は三人で来たんだね」

「子分共を引き連れてきました」

「誰が子分だ!?」

 三人は他に客のいないカウンター席に並んで座った。

「カレー三人前で」

「かしこまりました」

 康広は言いながら、三人の様子を観察している。どこか差し迫った雰囲気を感じたのかもしれない。

 小玉がこそこそと近づいてきたので、優牙は自分の隣に座らせた。子分がもう一人増えた。

「蓮、ありがとな」

「えっ、急にどうしたんですか?」

「俺たちにカレー奢ってくれて」

「……」

「あら、そうだったの? ありがと」

「……」

 優牙と茉莉に挟まれている形の蓮は、憂いの表情を浮かべながら黙り込んでしまった。

 カレー三人前が到着する。

 優牙たちが何か言う前から、康広は三人が話があって来たのだと悟っているようだった。何か作業をするわけでもなく、静かにそれが始まるのを待っている。

「あのさ、康広さん」

 優牙はカレーを食べる手を止めて口を開いた。

「今日は六花の話を聞きに来たんだ」

 康広の表情は動かない。想定していた話なのだろう。

「六花お姉ちゃん?」

 隣にいる小玉が不思議そうに呟いた。

「そっ。康広さんは六花のこと知ってる?」

「六花の何をかな?」

「六花がグラフィティを描いてたこと。巷でレッドフードって呼ばれてるライターが、六花だってこと」

 優牙は康広の反応を見つつ、蓮と茉莉のことも窺っていた。二人が大きな反応を示さなかったので、やはり二人も知っていたのだとわかった。

 康広は真剣な表情のまま、何かを考えている。

 店内には落ち着いたBGMが流れている。

「ああ、知ってる」

 康広が口を割った。やはりそうだった。

 優牙はその六花との秘密は誰にも話さないつもりだった。しかし気づかぬうちに茉莉と蓮に知られてしまっていた。こうなった以上、康広からも話を聞きたかった。

「じゃあこれを見てくれ」

 優牙は康広にスマートフォンの画面を見せた。そこには今朝三年F組の廊下に描かれていた花火の絵の写真がある。

「これ、今日俺たちの教室の前に描かれてたんだ」

 康広は写真を見ながら、頭では他のことを考えているようだった。

「これ描いたのって、もしかして康広さん?」

 康広の目が優牙に向いた。しばらくして、彼は穏やかに笑った。

「どうしてそう思ったのかな?」

「俺はこれを描いたのが六花のことをよく知る人間だと思った。そして、絵を描ける人間。六花から康広さんも昔グラフィティを描いてたって聞いてる」

「そうだね。ちょうどきみたちと同じぐらいのころだ」

「康広さんもやんちゃだったんだ」

「若かったからね」

「それで?」

「ああうん。それを描いたのは僕じゃないよ」

 当てが外れたか。康広が嘘を吐いていないとも限らないが。

「じゃあ、誰が描いたか知ってる?」

「正確なことはわからない。ただ」

「ただ?」

「その絵には、六花の意志を感じる」

 康広のその言葉は、優牙の心に強く響いた。

 きっと茉莉も花火の絵を目にした時それを感じたから感情が昂ぶったのだろう。

 この花火の絵は、六花の絵だ。

 彼女がそこに何かを込めている。

「僕はきみたちに感謝してる」

 康広が優牙たちを見回しながら言った。

「六花の人生に彩りを与えてくれたことに」

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