カレーとクリームソーダ

 カランコロンと音が鳴った。

『喫茶スローアップ』の中に入ると、奥のほうから小さな女の子がダッシュで近づいてきた。

「小玉ちゃん、こんにちは」

「きょんにちはぁぁぁ!!」

 小玉と呼ばれた女の子は、六花の近くに立っている優牙に気づくと大声を上げながら逃げ出していった。

「どしたの、あれ」

「小玉ちゃんシャイなんだあ。可愛いでしょ」

「俺のこと怪獣か何かだと思ったの?」

「そうかもね」

 ボックス席の客にコーヒーを運んでいるエプロン姿の大柄な男がいる。男は接客を終えるとこちらを向いた。

「やあ六花」

「こんにちは、康広おじさん」

「おや。今日はもしかしてボーイフレンドと一緒かな?」

「……ちっげーよ」

 六花はそう言ってから、笑って優牙のほうを振り返った。

「どう? 月山くんの流行り使ってみた」

「ああうん。上出来」

 優牙はポカンとしている康広に挨拶することにする。

「ども。学園一の優等生、月山優牙っす」

「はは。いらっしゃい」

「白石に無理やり連れてこられました」

「へえ。六花も積極的になったもんだ」

「康広おじさん、違うからね。真に受けないでね」

「ごゆっくり」

 康広は厨房に戻っていった。目を追うと、小玉がカウンターの端に隠れてこちらを覗いていた。

「なんかこっち見てる」

「見てるね。手振ってあげたら?」

 優牙が言われた通り手を振ると、小玉は驚いた形相になって奥へ引っ込んでいった。

「なんなんだ一体」

 優牙は六花に促されて空いているボックス席に座った。

「ちょっと待っててね。カレー作ってくるから」

 六花はそう言うと奥の部屋へ入っていった。しばらくすると髪を結ったエプロン姿で戻ってきた。康広と二三言葉を交わしてから手を洗い出した。その間小玉が優牙のことをずっとこそこそ覗いていた。

「お待たせしました」

 数分後、六花がカレーの皿を持ってやってきた。優牙の前のテーブルに置く。そして優牙の正面に座った。

「どうぞ召し上がれ」

 六花は楽しそうに笑っている。可愛かった。その笑顔に吸い込まれそうだった。

「吸い込まれそうとか思ってないぞ」

「えっ、何?」

 優牙はカレーを一口食べた。とても美味しい。だが六花に見られながら食べるのはなんだか気まずい。

「どう?」

 六花が感想を求めてくる。

「ああ。似合ってると思うよ」

「何が?」

「白石のエプロン姿」

「えっ?」

「なんていうか、家庭的というか」

「そ、そうかな。ありがとう」

 六花の顔が見る見る赤くなった。

「えっと、本当はカレーの感想を聞こうと思ったんだけど」

「美味いよ」

「だよね? よかった」

「ここは何なの?」

「何なのって?」

「白石にとって」

「ああうん。おじさんの店なんだ。私よくここでお手伝いさせてもらってるの」

「お手伝い? マジ?」

「マジだよ」

「おじさんって、お地蔵さんっていう意味の?」

「うーん、違うよ。お母さんの弟の叔父さん。月山くんわざと言ってるよね」

「どうして俺をここに連れてきたかったの?」

「ごめん。迷惑だった?」

「全然。俺は毎日この国の未来のために忙しいだけだから。ああ忙しい」

「ふふ。月山くんって面白いね」

 これまでメッセージのやりとりはしていたが、こうやってちゃんと面と向かって六花と話すのは初めてだった。その時間が、とても心地良かった。彼女はどう思っているだろうか?

 コトコトとスープでも煮込むような足音が聴こえてきた。小玉が小さな体に何かを抱えてこちらへやってくる。見ていてとても危なっかしい。優牙は小玉がトレイに載せて持ってきたものを盛大にぶちまける前にヒョイと受け取った。目の前のテーブルに置く。

 それはグラスに入ったクリームソーダだった。泡立つグリーンの液体。グラスの上部に半球体のバニラアイスとさくらんぼ。そこまではよかった。問題は、その飲み物に差さっているストローの形状だ。

 そのピンク色のストローは途中でハート型になっていて、そこから上が二股に分かれている。吸い口が二つあるのだ。まるで二人同時に飲む用みたいに。どうやらあのおじさんの仕業らしい。厨房のほうを見ると、康広は素知らぬ顔で作業していた。

 六花の顔が俯き加減になっていく。さくらんぼみたいに顔が赤い。小玉はテーブルの端に顎をのせて興味津々といった様子でクリームソーダを眺めている。

「ん? これは何だ?」

 優牙はわざとらしく言ってみた。六花の反応を窺う。

「変な形のストローだ。なあ白石、これどうやって飲むの?」

「わ、私に聞かないで」

「俺はここの店は初心者なんだ。白石のほうが詳しいだろ」

「私だって初めて見たよ。なんでおじさんそんなもの用意してあるの?」

「そんなものって何?」

「えっ? それはあ……」

「白石喉乾いてる?」

「ぜぜん!」

「それ、クイズが始まる時の効果音みたいだ」

 テーブルに顔をのせて柔らかいほっぺがフニャっとなっている小玉が退屈そうな表情になってきた。

「小玉、アイス食べたい?」

 優牙がそう尋ねると、小玉が目を輝かせながら上下に首を振った。

 優牙はクリームソーダ付属のスプーンでバニラアイスをすくい、小玉のほうへ持っていった。小玉はパクッとスプーンを咥え、小さな唇をすっと引いていく。

「どう?」

「おいしー!」

 小玉はその場で足踏みをしながら喜びを表した。なんて癒しキャラだ。一家に一人いてもらいたい。

 結局、六花は頑として断りを入れてきたので、クリームソーダは優牙が変な形のストローで飲み干した。二つの吸い口を一人で使う虚しさよ。だが実際、二人で同時に飲みたいとは思わない。このストローはあくまで出オチの演出。あのおじさんなりの余計なおせっかいだ。

 優牙がカレーを食べ終え手持ち無沙汰になったタイミングで、六花が周りをきょろきょろと見回した。何かの確認を終えた六花が前のめりになって優牙のほうに顔を少し近づけた。

「ねえ、月山くん」

 他の人間に聞こえないよう考慮した声のトーンだった。

「今日さ、行く?」

「バッティングセンターに?」

「えっ、違うよ」

「どこにだよ」

 六花はもう一度周りを見回してから、優牙に向き直った。その彼女の瞳にはこれまでにない色が宿っていた。彼女の中で様々な感情の色が混ざり合っている。

「グラフィティを描きに、だよ」

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