第37話

 しばらくして汐里の状態が少し落ち着いた頃、結也は少しの名残惜しさを感じながら彼女からゆっくりと体を離した。


「……今から三和に電話するけど、いい?」


 結也がそう尋ねると汐里はこくりと一度だけ頷いて答えた。


 明美には汐里を見つけた時点で一度連絡を入れてあった。安心させたかったのと、警察に連絡でもされて大騒動になるのは事だと考えたからである。


 ベンチから立ち上がり汐里から少し離れてから明美に電話を掛けると、向こうはまんじりとしない状態だったのか、電話は一回目のコールが鳴り止む前に速攻で繋がった。


 結也は今から汐里を家へ送り届けることと、その事を彼女の母親に伝えて欲しい有無を伝えて電話を切った。


「さてと、それじゃあ帰るか」


 そこから先の行動は完全に無意識だった。

 ベンチに座る汐里に結也は自分の手をなんのためらいもなく差し出していた。


 そんな自分の行動に驚きながら、思わずその手を戻そうとするがそれよりも早く汐里がそれを捕まえる。


 その事に結也の心臓がドキリと跳ねるが、そうなってしまった以上払いのける訳にはいかず、結也もその手を握り返し汐里をベンチから立たせる。


 これで終わりだと思っていたのだが、汐里の手は彼女が立ち上がった後も、結也の手を離すことはなかった。


「あの……手」


 一応そう声を掛けてみるが汐里からの返事はなく、寧ろほんの少し握り返す手の力が強くなった。


 暗くてハッキリとは分からないが、その頬が僅かに赤くなっている様な気がする。


 て、それは俺も同じか。


 結也は自分の頬が熱くなってきている事を自覚しながら、結局そのまま手を繋いで汐里の家へと向かった。


 あずけられたその手が、あまりにも細くて華奢な女の子の手で。そんな場合ではないのに、その事に少しだけドギマギしてしまった。


 結也が汐里を家まで送り届けると、泣き崩れる汐里の母と、いても立ってもいられず待ち構えていた明美に詰め寄られて阿鼻叫喚の大騒ぎとなった。


 後から気が付いた事だが、汐里がいた公園は実は彼女の家から十五分とないような近所にある場所だった。


 灯台もと暗しとはよく言った物で、慌てていたのと、公園自体が小さいのもあり誰も奥までよく確認をしていなかったのだという。


 汐里の父親は翌日には意識を回復し、幸い後遺症も特にないとのことだった。

 最悪の展開も想像していただけに、むしろ拍子抜けするような顛末だったが何事もないならそれに越したことはない。


 そうして小さな街の片隅で起きた小さな行方不明事件は人知れずひっそりと幕を閉じた。




 その日の三時限目の終わりと、昼休みの始まりを告げるチャイムが響くなか。結也はコンビニで買った総菜パンを手早く片付けると自分の席を立った。


 あの日から結也は汐里と会っていない。


 あの日の翌日も汐里は学校を休み、それ以降は土曜、日曜と学校が休みだったために顔を合わせる機会がなかった。


 その後の汐里の様子は気になったし、電話やメールで連絡することは幾らでも出来たのだが、しかし結也は個人的な理由でそれらのことを一切出来ずにいた。


 その個人的な理由というのが何かと言えば。


「なぜ、なぜあの時俺はあんなことを」


 当時の事を思い返すと、意味もなく辺りを叫び回って走り出したくなる。


 あの夜、自分がしたことを後悔しているわけじゃない、寧ろ後悔をしないためにああしたのだ。だから断じて後悔などしていない。


 していないが、それとこれとは話が別なのである。


 アレに対して汐里がどう思ったのかとか、どう見えたのかとか、色々想像してしまい、そしてその想像のことごとくがどうしてもポジティブな物になってくれない。


 キモい、うざい、イタイ。と見えない誰かに罵倒されているような気がする。

 要するに気まずくて、結也の方から連絡を取る勇気が持てなかったのだ。


 我ながら情け無いとは思うが、こればかりは自分でもどうしようもし難く。流石にこのままではよくないと、こうしていつもの渡り廊下に向かっているわけなのだが、その足取りは心なしかいつもよりも重い。


 しかし結也のクラスから渡り廊下まで精々が十数メートル、どれだけのんびり歩いたところで大して時間をおくことなく目的地まで到着してしまう。


 結也は今までに感じたことがないたぐいの緊張を感じながら、一度その場で大きく深呼吸をした後、意を決して渡り廊下への曲がり角を曲がる。


 そこに彼女の姿があった。

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