第35話

「イズモン! しおりっち知らない!?」

「知らない、何があった」


 どうかしたの? なんて間抜けな質問はしない、明美の声を聞けば何かがあったことなんてすぐに分かる。


「しおりっちが帰ってこないって、さっきしおりっちのママから電話があって」


 明美も慌てているのか説明は端的だったが、何があったのかは伝わった。

 電話に耳を傾けながら時計を確認すると、時刻は夜の八時を回ろうとしている。


「日野さんに電話は?」

「しおりっち携帯を家に置いてってたみたいで連絡が取れないの。今までこんなに帰りが遅くなることがなかったみたいだからしおりっちのママすごく心配してて、あんなこともあったばかりだし」


 心配なのは明美も同じなのだろう、それは電話口の声色と慌てぶりでわかる。

 結也は携帯を耳に当て会話をしたまま玄関へと向かう。


「わかった。とりあえず俺は辺りを探してみる、もし日野さんの行き先の手がかりとか心当たりなんかがあったら連絡して」

「了解、わたしもちょっと近くを探してみるから」

「夜も遅いからそっちも気を付けろよ」

「ありがと、それじゃね」


 裕也に話して少しは落ち着いたようで、明美は最後に穏やかな声でそう言って電話を切った。


 電話を切った後、靴を履くのももどかしく思いながら結也は家の外へと飛び出した。


 最初の頃は歩きだったのだが、そのうちすぐに早足になり、気が付けば走り出していた。


 平時であればただ少し帰りが遅いねという話だけで住んだのかもしれない。

 ただ、汐里の性格的に親になにも言わず、こんな時間まで夜遊びをしているというのは考えにくい。それも連絡手段である携帯を置いてだ。


 それに父親の事故があったばかりなのも重なって、想像は坂を転げ落ちるようにネガティブな方へ進んでいって止まらない。


 結也の頭の中にも最悪な想像が幾つも浮かんでくるが、その度にそんなはずはないとその考えを否定する。認めてしまえば最後、それが現実になってしまいそうで怖かった。


 しかし走り出したはいいものの当然、結也に汐里が行きそうな場所の当てなんて物は殆どない。


 まずは結也と汐里の通う高校に向かい、その後に以前、何度か待ち合わせをしたことがある駅に向かうがどちらにも汐里の姿はない。たったこれだけで結也の手札は尽きた、後は闇雲に辺りを探して回るしかない。


 新情報を期待して携帯を確認してみるがなにも着信している様子はない。それはつまり事態がなにも進んでいないということだ。


 当てもない手がかりもない、もし仮に電車でも乗っていようものならいよいよ選択肢は無限大だ。どう足掻いても一人では探すのはムリだ。


 自分は汐里のことをなにも知らないのだと言うことを今更ながらに思い知る。

 お人好しでお節介で、考え方がよくも悪くも幼稚で真っ直ぐで、おっとりしてるかと思えば意外と押しが強くて強情で。


 そんなことなら幾らでも浮かぶ、だがただそれだけだ。

 彼女がなにを好きで、なにを見てなにを感じて、なにを思ってなにを見て楽しいと思うのか、今までどんな人生を過ごしてきたのか結也はなにも知らないのだ。


 もっと色々知る努力をするべきだったのかもしれない。

 そうすれば今、汐里がどこにいるのか分かっていたかもしれないのに。


 その後も結也はとにかくがむしゃらに辺りを探し回ったが、汐里のことはいつまで経っても見つける事は出来なかった。


 なんでこんなことをしてる?


 ふと自分に問いかける。

 疲れと息苦しさから、膝に手を置きその場に立ち止まる。


 さっきから走り通しで脚が痛い。額の汗は拭っても止まらなくなってきた。

 息も苦しい、酸素を取り込もうと喘ぐ自分の息が耳障りでしかたない。


 なんでこんなことをしてる?


 もう一度自分に問いかける。


 どこに向かっている?

 当てなんてないのに。


 なぜ走る?

 急いだところで何か変わるわけじゃないのに。


 何がしたい?

 なにをすればいいのか自分でも分かっていないくせに。


 理性が頭の中で窘める。

 お前のやっていることには意味が無い、だから冷静になれと。


 自分がこんなことをしなければならない必要性はどこにもない。

 今の自分の行動に理由や理屈を求めたら、答えは必ずどん詰まりに行き当たる。


 それでも、なにもせずにはいられなかった。


 理由も理屈もなにもないはずなのに、そんなもの蹴り飛ばして動けと自分に訴え突き動かしてくるもの、これは一体何か?


「ああクソッ! 分かった、分かったから!」


 近所迷惑も気にせず、八つ当たりの様にその場で吠える。

 自分を突き動かす物の正体、それがなんなのか本当はずっと前から分かっていたのだと思う。


 ただ今までは無意識のうちに見ないようにしていた、怯えて自分にはそんな物ないのだと自分に言い聞かせていた。

 見ようと思えばそれはきっといつも側にあったはずなのに。


 何時からなのかは分からない。

 切っ掛けがなんだったのかも分からない。


 そもそも、そんなものがあったのかも分からない。

 それでも俺はきっと――


 また走り出すために息を切らし俯いていた顔を跳ね上げ前を見る。

 

 そこに一本の赤い糸が伸びていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る