第34話
「もしもし爺ちゃん? 俺、結也だけど」
「ん? おお、なんだ結也か!」
結也の名前を聞いた途端、警戒している様子だった声が身内に対する時の、親しみやすい声色に変わる。
「こんな時間にいったい誰かとおもったじゃねぇか」
「画面に俺の番号が出てたでしょうが、まだ電話帳に登録してないの?」
「いや、やってみようとはしたんだがな。設定がなんだ、アプリがなんだってよく分からなくてな、面倒で投げちまった」
そのあっけらかんとしたいいぶりに、結也は電話越しに小さくため息をついた。
栄介は祖母の郁恵からなにかあったときのためにと、最近になってようやく携帯を買ったはいいのだが全くと言っていいほど使いこなせておらず、当人も使いこなすつもりがない。
「別に今更こんなもんあってもなぁ。電話なんて家にあるもんで足りるだろう」
と言うのが栄介の常套句である。
結也に電話するとき頑なに携帯ではなく、家電に掛けてくるのも「別に繋がるならどっちでも同じだろ」ということらしい。
若者の結也としては色々と言いたいことはあるのだが、こんかいはそんなことを言う為に電話したわけじゃない。
「で? どうしたんだ? おめぇの方から俺に電話掛けてくるなんて珍しい」
「いや、あのさ」
『俺達は離れて暮らしちゃいるが血の繋がった家族だ。だからもし自分一人でどうにもならないようなこと、自分一人じゃ答えが出せないような時が来たらいつでも頼れ』
夏休みに言われたあの言葉を今、真に受けることは果たして許されるだろうか。
「少しだけ相談したいことがあって。今時間ある?」
「……ちょっと待て」
何かを察してくれたのか、栄介が少しだけ真剣な声でそういうと電話の向こうから居住まいをただしている様な気配がした。
「よし、いいぞ話せ」
「ああ……爺ちゃん、日野さんのことって憶えてる?」
「この前、お前が連れてきた嬢ちゃんだろう? あの子がどうかしたのか?」
「実は、その子のお父さんが事故に遭ったらしくて――」
それから結也は栄介に全て話した。
汐里の父親が事故に遭って今も予断を許さない状態のこと。
そのことで汐里が今日学校を休んで、結也がノートを届けに家まで行ったこと。
心配なのに、なにを言えばいいのか、なにをすればいいのか分からないこと。
結也が知る限りの事を全部話して、栄介はそれを静かに最後まで聞いていた。
そうして結也が全てを話し終えると栄介は「そうさなぁ……」と一言言って静かになった。
電話口から僅かに息づかいが聞こえるから、電話が切れた訳では無く、何かを考え込んでいるらしい。
そうして待つこと一分か二分。
「色々、俺なりに考えてみたんだがよぉ」
栄介はそう前置きを入れ、結也は固唾を呑んでその続きを待つ。
「結局、おめぇのやりたいようにやるしかねぇじゃねぇのか?」
その答えに、失望を覚えなかったと言えば嘘になる。それが出来ればわざわざこんな電話なんてしていない、と反射的に反感を憶えもした。
だが栄介の話はそこで終わらなかった。
「賢しげな説法じみた話ならいくらでも言えるけどよ。でもおめぇが聞きたいのはそんな事じゃねぇだろ? どうすれば汐里さんを励ませるのか、その正しい答えをお前は聞きてぇんだ」
「ちがうか?」というその問いかけに結也は答えなかった。栄介も別に答えを求めていた訳じゃないのだろう、大して間を置かず話を続けた。
「でだ。その正しい答えって奴だがな、正直に言うが俺にはさっぱり分からんよ。お前よりも何倍も生きちゃいるがそれでもさっぱりだ。多分誰にも解からねぇんじゃねぇかな? ひょっとすれば汐里さん本人もな。だから結局は自分で考えるしかねぇ。自分がその人になにをしてやりたいか考えて、やりたいことするしかねぇんだ。月並みな話だけどな、でもそれしかなぇんだよ」
「……もし、自分のしたことや言葉がその人を傷つけることになっても?」
結也の母が亡くなったとき、誰も彼もが結也に同情した。
「大丈夫?」「可哀想に」「大変だね」「寂しくない?」身内でもない人間が、不憫な物を見るような顔で結也にそう言ってきた。
結也にはそれが鬱陶しくて仕方なかった、誰も同情してくれなんて頼んじゃいない、そう心の中で毒づいて耳を塞いだ。
そんな無責任で押しつけがましい善意と、自分は違うと誰が保証してくれる?
「よかれと思って傷つけるくらいなら、いっその事なにもせずそっとしておいて上げる方が優しさじゃ無いの?」
「そうかもしれねぇなぁ」
結也の質問に対して、反論するわけでもなく栄介はあっさりそう言った。
しかしすぐに「ただな」と言葉を繋げる。
「言わなきゃ分からねぇ事もあんのよ世の中にはな。俺もよく陽や郁恵に怒られたもんだよ、言葉が足りねぇってよ」
栄介が郁恵の事を婆さんではなく名前で呼ぶときは昔を思い出しているときだ。きっと怒られたときの事を思い出しているのだろう、少しバツが悪そうな声だった。
「さっきも行ったがよ。もしお前が汐里さんの事をそっとしておいてやりてぇと思うならそうしてやればいい、別に間違っちゃいねぇ。ただもし何かしてやりてぇことがあるなら行動すればいい、それも間違ってねぇ。もしその結果相手を傷つけちまったならそん時は」
顔は見えないはずなのに、その時結也には電話の向こうでニッと笑う栄介の顔が見えた気がした。
「謝るしかねぇなぁ」
栄介の言葉は終始、淡々としていてそれでいて優しげで素朴だった。
押しつけがましいわけでなく、説教臭いわけでもなく、ただただ当たり前の事を当たり前に話しているような。
それなのにその言葉に重みを感じるのは、その生きた年月がなせる技だろうか?
「そっか……ありがとう爺ちゃん、相談のってくれて」
「おう、まぁ大したことはなんも言えやしなかったがな」
「それでも助かったよ。それじゃあ切るね」
電話を切ろうとしたところを「ああ、ちょっと待て」と滑り込まれて結也は耳から離しかけていた電話をもう一度耳元にやった。
「まぁ、なんだ。こういうのはガラじゃねぇが、あんなこと言った手前だしな」
そう栄介は少し照れくさそうに言って。
「おめぇがこうして頼ってきてくれて、嬉しかったぞ。まぁ役に立てるかは分からんがまたなんか合ったら電話してこい」
不覚にもその言葉で少しだけ泣きそうになった。
物心ついた頃から結也に父親はいなかったが、もしいたとしたらこんな感じなのかもしれないと少し思った。
口にしたら調子に乗るので絶対そんなことを本人には言わないが。
「わかった。でもそう言うならもう少し連絡しやすくなるよう、携帯の使い方ぐらい憶えてくれよ」
「む、いや、それとこれとは話がだな」
分かりやすくしどろもどろになる栄介に結也は笑いながら「冗談だよ」と言ってやる。
「それじゃあ、今度こそまたね」
結也がそう言うと栄介の短い「おう」という返事を聞いて結也は電話を切った。
結局自分は汐里になにをすればいいのか、その答えはまるで分からなかったけれど、それでも電話を掛ける前よりも心は晴れやかだった。
自分がやりたいことをやりたいようにやるしかない。それが正しいかは分からないが結局自分に出来るのはそれだけなのだ。
「よしっ」
気合いを入れてもう一度携帯と向き合ったその時、突然の着信があった。
画面には明美の名前が標示されている。
どうしたのだろうと思いつつ電話に出ると。
何か言うよりも早く明美の切羽詰まった声が結也の耳に飛び込んできた。
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