この糸の先には
第31話
なんでこんなことをしてる?
ふと自分に問いかける。
まだ残暑の残るものの、うっすらと冬の風を感じる九月の夜。
疲れと息苦しさから、膝に手を置きその場に立ち止まる。
さっきから走り通しで脚が痛い。額の汗は拭っても止まらなくなってきた。
息も苦しい、酸素を取り込もうと喘ぐ自分の息が耳障りでしかたない。
なんでこんなことをしてる?
もう一度自分に問いかける。
事の発端は昨日。いつもの渡り廊下から始まったことだった。
夏休みを終えたばかりの九月初旬。
授業が終わり、結也は帰り支度を済ませ教室を出ると、廊下の窓から外の様子を窺うと雨が轟々と滝のように降っている。
授業を受けている間に雨脚が弱まることを期待していたが、その願いはどうやら空振りに終わったらしい。
いよいよ濡れ鼠になって帰ることを覚悟しなければならないかと考えながら下駄箱に向かうと汐里が一人、出入り口の前で空を見上げながら立ち尽くしていた。
「帰らないの?」
結也が声を掛けて汐里が振り返る。
「あ、出雲君。ううん、実はお父さんに迎えに来てもらうことになって。到着したら電話してもらうことになってるんです。今日は偶々お仕事がお休みだったので。出雲君はどうするんですこれから?」
「どうするもこうするも、傘持ってないからなぁ、待ってた所で弱まりそうにないし濡れながら帰るしかないかなと」
「あ、そういうことなら出雲君も一緒に乗っていきませんか? 車」
「え、いいの?」
「はい、お家の場所さえ教えてもらえればお父さん乗せてってくれるよう、頼んで見ますので」
汐里からのその提案に結也はその場でうーんと腕を組んだ。
正直その提案は魅力的だった。結也だって別に好き好んで、この大雨の中ずぶ濡れになって寒い思いをしながら帰りたくはない。
が、それでもである。
「あーやっぱりいいよ、悪いし」
「大丈夫ですよ。お父さんも許してくれると思いますし」
「いやー、それはどうだろうなぁ」
あくまで結也個人の偏見ではあるのだが、年頃の娘を持つ父親というのは、娘と同年代の男という物に酷く敏感になる物なんじゃないだろうか?
このまま汐里の意見に乗って彼女の父親が運転する車に乗り込むというのは、なんというかすごく気まずいことの様な気がしてならない。
なにもやましいことがなかったとは言え、なまじ夏休みに二人で泊まりがけの旅行に出かけるなどということをやらかしただけに、結也の側が一方的に後ろ暗いというのもある。
しかし当の汐里は「遠慮なんてしなくていいですよ」などと脳天気な台詞を脳天気な顔で言っている。
「……なあ、思うんだけど。日野さんって自分の性別に自覚ってある?」
ため息交じりに結也がそう聞くと、汐里はまた不思議そうに首を傾げた。
考えが足りていないのか結也に心を赦しすぎているのか、その無邪気さはあまりにも無防備な様に思える。
結也はここ最近、その無邪気さを自分に向けられることがどうしてか少し面白くない。
「とにかく、乗せてもらう必要なんてないから。じゃあね」
言って汐里の返事を待たずして走り出す。
背中から汐里の声が聞こえた気がしたが、激しい雨音に紛れてすぐに分からなくなった。
帰る途中、何か雨をしのげるものでも買おうかとコンビニに寄ってみたが、その頃にはすっかり濡れ鼠になっていて、今更傘を差したところで何の意味もない。
結局、僅かばかりに雨宿りをしてなにも買わず外に出ることになった。
今頃、日野さんは車に乗って家に向かっている頃だろうか。
帰り道、雨に打たれながら結也はふとそんなことを思った。
翌日の空は昨日の大雨が嘘のような晴れ晴れとした、いっそ嫌味のような晴天が広がっている。
そんなのどかな昼下がり、結也はいつものように昼食を手早く済ませて渡り廊下へと向かった。
しかしそこに汐里の姿はない。
別に驚くことはない。元々何か約束をしてここであっていたわけじゃない。
約束や打ち合わせをするわけでもなく、ただなんとなくこの場所に来て鉢合わせたらたわいもない話をする。
結也と汐里の関係はそう言うものだ。実際今までだってこの場所に来ても汐里に会えなかったことは何度もあった。
きっと今日は、友達と昼食を食べているのだろう。
適当にそう当たりを付けて、結也は渡り廊下から第二校舎の四階にある自販機へ向かい、普段から愛飲している珈琲のブラックを買い踵を返す。
途中、汐里のいるクラスを除いて行こうかと一瞬考えたが、すぐそれは止めようと思った。
用もないのに会いに行くような間柄ではないし、何より汐里の友人である明美も確か同じクラスだったはずだ。
もし結也が汐里に会いにクラスを尋ねたりなどしたら最後、明美のことだ散々に冷やかしてくるに決まっている。そんな想像するだけでげんなりするような状況は御免被る。
結也は真っ直ぐ元いた渡り廊下に戻ると、そこで缶珈琲を開けた。
珈琲を飲みながら結也はしばらく渡り廊下に居続けたが、結局誰一人として姿を見せることはなく。飲み終える頃には昼休みはもう終わろうかという頃合いになっていた。
仕方がないので裕也は一人、自身の教室で戻ることにする。
ふいに、根拠のない不安が胸をかすめた様な気がしたが、そんなものは単なる気のせいだと結也は自分に言い聞かせた。
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