第25話
「何て言うか、浴衣って初めて着たけど、思ったよりも歩きにくいんだな。いつもの感覚で歩くとつんのめって転びそうになる、足下も下駄だし」
「うっかり走って、崩れないように気をつけないと……私、絶対直せない」
栄介達の家から徒歩で二十分ほどの山、その麓にある神社が祭りの会場だったが、浴衣のせいで普段より狭い歩幅を考えるとそこまで辿り着くのに、下手すれば普段の倍は掛かるかもしれない。
そう考えると今からすでに辟易とした気分になる。
今からでも戻ってせめて下駄だけでも靴に履き替えてこようかと、割と真剣に検討してしまう。
「でもやっぱりちょっとテンション上がっちゃいますね、浴衣なんて着ようと思っても中々着れる物じゃないですし」
「そう? 動きにくいし下半身すーすーするしで、俺は寧ろ落ち着かないけどな」
「あー言われてみれば、男の子って普段ズボンですもんね。私はスカート履いてるみたいな感覚なのであんまり違和感は感じないですけど」
なるほど、以外とこういう所でも性差出るものなんだなと、ぼんやり思う。
「まったく、どうしてこんなものわざわざ着ないといけないんだか」
「そんな、せっかく着付けてもらったの悪く言っちゃダメですよ。それに出雲君とっても似合ってます」
「……そう?」
「はいっ! かっこいいですよ」
結也が着ているのは藍色一色のシンプルな物で、サイズの合う男物の浴衣がなかったので栄介が近所の知り合いから借り受けてきたものだ。
汐里のその言葉がリップサービスなのかどうかは結也に判断出来なかったが、似合うと褒められるのは満更悪い気もしない。
「その、なんだ。日野さんもその浴衣よく似合ってると思うよ、うん」
褒めてくれた御礼という訳でも無いが、結也も汐里の浴衣姿を指してそう言った。
汐里の着る浴衣は白地に青い朝顔が幾つも描かれた、華やかでいて涼しげな印象を受ける物で、汐里自身が黒髪で細身の浴衣映えする容姿だからかその姿はお世辞抜きによく似合っていると思う。
普段制服姿くらいしか見ない同級生の女の子がそんな恰好をしているというのは、なんだか落ち着かず、実のところ結也はあまりその姿を直視できないでいる。
「そうですか? ありがとうございます」
「ああ、うん」
「……」
「……えっと、どうかした?」
なぜだか汐里が見つめて来るのでそう尋ねると、彼女はその歩みを止めて、視線をふいっと外す。
「いえ、なんでもないです……ただ」
一度外した視線を今度は上目遣いぎみに、少し照れくさそうに結也を見つめ。
「似合ってるだけ、ですか?」
まるでなにかを期待している様な声。ただ結也にはその問いの意味がわからなかった。
だけですかと言われても、浴衣の感想に似合ってる以外になにか言わなければいけない事があるのか?
なんて答えればいいのか本気で分からず、どうしたものかと考えている、汐里が小さく溜息をついた。
「……もういいです」
そう言って汐里は再び歩き出したが、その声は拗ねた子供の様な酷くがっかりしたような声だった。
いったい自分の何がいけなかったのかと、頭にハテナを浮かべながら結也が歩いていると。
「……ねぇ、出雲君、あの……」
汐里が一瞬何かを言いかけて躊躇うように言葉を切った。どうしたのかと結也が尋ねてようやく言葉の続きを口にする。
「出雲君の母さんのお名前って、陽さんって言うんですか?」
「ああ、そうだけど」
寒いところに生まれたから、せめて名前くらい暖かそうな名前にそんな思いから付けられた名前なのだと聞いた。
安直よねぇ。と、生前母はそう言っていた。
しかしなぜそれを、汐里が知っているのだろう?
結也が不思議に思っていると汐里が軽く首を俯かせ、自身が着る浴衣を見下ろす。
「この浴衣、出雲君のお母さんが昔着ていた物だって、おばあちゃんが」
「……そっか」
なんて答えれば良いのか分からなくて、答えは簡素な物になった。
「大事に着ますね」
汐里がそう呟く。
「……うん、そうしてあげて」
どうして汐里がそんなことを言い出したのかそれを聞いて自分はどう思っているのか、それは正直なところよく分からない。
ただ、この浴衣をこうして汐里が着ていることを天国の母が喜んでくれているといいな、と結也はそう思っていた。
目的地の神社には倍とまでとは行かなくとも平時よりも、十分近く遅れて到着した。
射的や紐くじ、スーパーボールすくいにヨーヨー釣りなどのお馴染みの出店が所狭しと並び、一歩踏み入れればソースや醤油の匂いが漂う独特の空気が鼻を擽り、辺りに響く祭り囃子の音を聞くと、ああ祭りに来たなと実感する。
盆祭りと言うだけ合って出店で売られている物の中に迎え火用のオガラや香華、キュウリの馬やなすの牛が並んでいるのが特色と言えば特色だ。
日は完全に沈み辺りにはすっかり夜の帳が落ち切っていったが、境内は提灯の明かりで煌びやかに照らされて、明かりの少ない田舎のなかでまるでこの場所だけが別世界の様だ。
そんな景色を見つめる汐里の瞳は、祭りの光を映して文字通りキラキラと輝きながら楽しそうにその風景を眺めている。
「なんだかすっごいですね」
「なに、その小学生みたいな感想」
「だって、他になんて言えばいいのか分からないんですもん」
余程テンションが上がっているのか汐里は「すごい、すごい」というばかりで語彙力が完全に死んでいる。まるで無邪気にはしゃぐ子供のようだ。
ただここまで喜んでくれるなら、わざわざ動きにくい浴衣を着てここまで来た甲斐があったとも思えてくる。
「よっし! せっかく来たんだ景気よく遊んでいきますか。爺ちゃんから小遣いも貰ったことだしな」
家を出る際、栄介から気前よく結也と汐里にそれぞれ一万円ずつ計二万円のお小遣いを渡されている。
結也も汐里も最初は遠慮していたのだが。
「どうせ年寄り二人の田舎暮らしじゃ金を使う事なんてトンとねぇんだ。金だって爺婆の懐で腐らせるくらいなら若い奴に使って貰った方が世の為だろうよ」
と言い最終的には「ごちゃごちゃ言ってねぇで、いいからもってけ」と半ば恐喝のように気が付けば万札を握らされていた。
普段の結也であれば祖父母から貰った金を私用で使うことは無い。しかし今回は汐里がいる。
親族である結也が小遣いを使い渋っていては、汐里も思いっきり楽しむことが出来ないだろう。
ここはお祭り初体験の汐里に気兼ねなく楽しんで貰うためにも、個人的な主義は一端脇に置いて栄介の好意に素直に甘えるとしたところだろう。
渡された小遣いを片手に結也は出店に汐里を連れて回っていく。
初めの内は遠慮や慣れない場所での緊張からか、戸惑っている様子の汐里だったが。段々となれてきたのかアレもやりたいこれもやりたいと、気が付けば立場が逆転して汐里が結也の事を引っ張り回るまでになっていた。
そうして出店を幾つか周り、景品や栄介達へのお土産のお好み焼きなどの焼き物料理をでそろそろ両手が一杯になり出した頃。
それに最初、気が付いたのは汐里だった。
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