第19話

「結也君また腰が引けてきてるよ! ボールを怖がらず、打つ瞬間まで目を切らない!」

「いや、目を切るなと言われても」


 時速百三十五キロで飛んでくる物体をどうやって目で追えというのか。振り抜いた結也のバットは空を切り今日何度目かもわからない空振りに終わった。


 友理奈の指導は素人の結也にも分かりやすく懇切丁寧で、そして何より熱心すぎるほど熱心だった。


 どうしてもヒット性の当たりを打たせたいらしく、カス当たりやゴロなどといった妥協を許さず、打ち損じるたびアドバイスを与え次は打てると励ましの激を飛ばしてくる。


 なにが一番困るかといえば、友理奈の行動がすべて善意百パーセントであるというところだ。


 正直本気で拒否をすれば友理奈は無理強いをしてくることはなかっただろう。

 しかし彼女の言葉には独特の熱があり彼女ができると言えば出来るような気がしてくるし、彼女に応援されると、その期待に応えねばならないと謎の使命感の様なものに駆られてしまうのだ。


 そんなわけで結也はもうかれこれ三十分くらいはバットを振り続けている、普段十分に運動しているとはいいがたい体力はすでに底をつきかけている。


 隣で同じように友理奈の指導を受けていた汐里は一足先にヒットを飛ばして、この猛特訓から解放されている。自分もそろそろ打たないと精魂尽き果てるまでやらされる羽目になるんじゃないかと戦々恐々していたその時だった。


 カキンッ! と結也の手元から快音が響き、鋭い打球がライト方向へと飛んでいく。


「ナイスヒット! やったじゃないか結也君」


 まるで自分の事のように喜ぶ友理奈。確かに今のは今まで結也が体験したことがないような手ごたえだった。なんだか達成感のようなものが胸の内からわいてくるのを感じる。


 とはいえたかだか一回ヒットを飛ばしたくらいでバッティングそのものがうまくなるわけもなく、そのあとも数回バットを振ったが結局まともなあたりはその一度きりだった。


「あの、飲みますか?」


 ようやくバッティングから解放されてベンチでへたり込んでいたら、麦茶を差し出しながら結也の隣に汐里がゆっくりと腰を下した。


「えっと、流石にあれだけ運動した後だと、珈琲を飲む気にはなれないかなって思いまして」


 まったくもってその通りなのでありがたく麦茶を受け取り、一度口を付けるとよほど喉が渇いていたのか半分くらい一気に飲んでしまっていた。


「あ、明美ちゃんから聞いたんですけど、友理奈さん将来スポーツトレーナーになるのが目標なんだって。 す、すごいですよね! もう将来のこと考えてるなんて」

「へぇ、確かに立派だな。でも確かに吉川さん、向いてそうだよなトレーナー」

「で、ですよね! あはは……」


 ……なにか変だな、さっきから。


 昇降口で声を掛けられた時から薄々思っていたことだったが、今日の汐里はどことなく様子がおかしい様に結也は感じていた。


 どうもさっきから話をするとき妙に緊張しているというか、落ち着きがないというか。


 もともと比較的大人しいほうではあったが、これほど挙動不審になる事なんて今までなかった。いったいどうしたというのだろう? 


「あーあのさ、日野さん、今日なんかあったの?」

「え、な、なんかってなんですか?」

「いや、なんつーか。今日はずっと様子が変だったから」


 そう言うと汐里の顔が恥ずかしさからなのか、かーっと赤くなっていく。


「えっと、そんなに変でしたか? 私」

「うん、割と」

「そうですか……あはは、やっぱり駄目ですね、なんだか変に意識してしまって」


 照れ笑いをしながらそう話す彼女の表情はどことなくイタズラがばれた子供のように見える。


「意識って?」


 そう尋ねると汐里は不意に自身の手元へと視線を落とす。


「えっと、ほら、もうすぐ夏休みなわけじゃないですか」

「ああ、そうだな。今週の土日からだからあと三日くらいか」

「ええ、そうなんです、だからその……」


 何か言いにくいことなのか、そこから先の言葉が汐里からなかなか出てこない。緊張からだろうか、汐里は指先をくっつけたり離したりを繰り返している。


 辛抱強く汐里の次の言葉待っていると、やがて汐里は意を決したようにまっすぐに結也の事を見て。


「な、夏休み、どこかへ一緒に遊びに行きませんか!」


 突然の提案に結也は思わずその場で面食らってしまった、そんなことを言われるなんて考えてもいなかった。


「いつどこに行くのかとか、まだ全然決まってないですけど。ただ予約というか、約束というか」


 段々恥ずかしくなってきたのか、汐里の声はだんだんと勢いをなくして視線と一緒に地面へと落ちていった。


 上目遣いに汐里がうかがうような視線を向ける、その目は結也に答えを求めている。


「……分かったいいよ、どうせ予定なんてこれと言ってなかったし」


 そう答えると、汐里の表情がつぼみが花開くように、どこか強張っていたものからゆっくりと穏やかで朗らかなものへと変わっていった。

 



 バッティングセンターを後にして明美と友理奈の二人と別れたのがついさっき。


 残された二人は日が落ち夕焼けに照らされた帰路を歩き、やがて汐里とも道が分かれる頃合いになった。


「それじゃあ、夏休み何するか出雲君も考えといてくださいね」

「ああ、わかった。なんか思いついたら連絡するよ」


 そう言って汐里は結也と別れる。ちょうど彼女が進む先に夕日が沈んで歩いていく後姿が逆光でシルエットのようになっていた。


 そんな彼女の姿をなんともなしに結也は見送り、自分もそろそろ行こうかと結也が踵を返そうとしたその時。


「出雲君!」


 不意に汐里が振り返り結也を呼ぶ。


「覚えてますか? この前、出雲君の家でご飯を頂いたとき話したこと」


 距離が開いてしまった分、汐里は結也に言葉を届けるために普段よりも大きな声で彼女は話す。


「あの時、出雲君は恋をすることを面倒くさいことだって言ってましたけど、やっぱり私も人を好きになることって素敵なことだと思うんです」


 夕日を背にする彼女が今どんな顔をしているのか、結也にはわからない、ただふんだんよりも大きな声で話すその姿はまるで何かを宣誓しているようにも見えた。


「だから、私」


 いや、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。

 それは汐里から結也に向けて告げられた。


 彼女からの宣戦布告だった。


「あなたに恋をさせて見せます。人を好きになるこが素敵なことだってそう思ってもらえるように」

 

 そのあとすぐに汐里は結也の目の前から逃げるように、夕日に照らされた道を走り去っていく彼女の姿を、結也はただ呆けてながめているしかできなかった。

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