第18話
翌日の放課後、結也が帰宅のため下駄箱で靴を履き替えていると昇降口の前に立っている汐里の姿を見つけた。
誰かを待っているのだろうか? そんなことを思いながら結也が昇降口を出ようとしたところ、後ろから誰かに引っ張られて引き留められる。
いったいなんだと振り返ってみれば慌てた様子で結也のバックを捕まえている汐里の姿があった。
「どうして無視するんですか、ひどいです!」
「いや別に無視をしたわけじゃ、なんか誰か待ってるみたいだったから」
「出雲君の事を待ってたんです」
意外な返答に結也の目が点になる。昼休みの渡り廊下以外の場所で、事前の約束もなく汐里が結也に声を掛けてくるなんて今までなかった。
「俺を待ってたって、どうしてまた?」
「え? いえ、それは、そのぅ」
突然もじもじと言いよどむ汐里、いったい何がそんなに言いにくいのかと不思議がっていると彼女はやがて意を決したように結也の事を見て。
「よ、よかったらこの後、一緒に遊びに行きませんか?」
その提案に再び結也の目が点になる、放課後誰かに遊びに誘われるなんて結也には初めての経験だった。
「やぁ、君が出雲結也君だね。話は明美達から聞いているよ」
汐里に一緒に遊びに行かないかと誘われた後、結也は二人の人物と校門で落ち合っていた。
一人は三和明美、以前、汐里の紹介で結也とは知り合いになりその後も時々昼休みの渡り廊下に顔を出したりなどして今も関係は続いている。
そしてもう一人。
「初めまして吉川友理奈です。よろしく」
爽やかに差し出された手を勢いに押されて思わず握り返す。その手は確かに女の子のものではあったが、普段から体を鍛えていることを感じさせる力強さがある。
吉川友理奈、その名前だけは以前から結也も知っていた。
まだ明美と知り合ったばかりの頃、彼女が発端で起きた小さなトラブルの中で結也は友理奈の存在を知った。
野球部のマネージャーをしているという彼女は健康的な小麦色の肌に凛々しく端正な顔つきが印象的で、ショートヘアーの前髪は邪魔にならないようにするためか、やたら年季の入った子供っぽい髪留めで左に流して止めてある。
正直、女子の制服を着ていなかったら男子に見間違えてしまっていたかもしれない、そう思えてしまうほど彼女は爽やかでエネルギッシュな印象だった。
「友理奈さんが今日、部活がお休みらしくって。それで放課後、遊びに行くから一緒にどうかって、明美ちゃんから誘ってもらって」
「なるほど、経緯は分かった……ところで」
結也は珍しく大人しい明美にそれとなく近寄り、そっと他の二人に聞こえないように耳打ちする。
「おい、よくわからないが、これ俺達ついて行ったら邪魔になるんじゃないのか?」
明美が幼馴染の友理奈の事をどう思っているのか、それは結也だけが知っている秘密だ。
「無理無理無理無理ッ! 二人っきりとか何話していいか分かんないもん。お願い一緒に来て」
「何を日和ったこと言ってんだ。男をとっかえ引っ返してた頃の胆力はどうした」
「人聞きの悪いこと言わないでよ! 付き合ったって言ってもちゃんと清いお付き合いだったもん。キスだってしてないし、その先だって、まだ……」
「だぁー、そういう生々しいことは言わんでいい!」
「……へぇー、ちょっとびっくりだな」
その声に二人そろって振り返ると、いっそ何か感心したような表情で友理奈が結也と明美の二人を見ていた。
「明美が、そんなに男子と楽しそうに話してるところなんて初めて見た」
「別に、楽しそうになんてしてないし」
ほとんど同じセリフを結也も言おうとしていたが、明美の方が一瞬早く否定の言葉を口にしていた。
「別にイズモン以外の男子とも話すぐらいするよ。今まで何人かと付き合ったりだってしてきたし」
「それは知ってるけど、偶に彼氏っぽい人と一緒にいるところを見かけてもなんだか無理しているように見えたから」
言われた瞬間、明美の表情が若干気まずそうなものになったことを結也は見逃さなかったが。武士の情けで気が付かなかったことにしておく。
「結也君と話しているときの明美はなんというかそう……自然だ。肩の力が抜けてるように見える」
ちょっと意外な話に結也が横目で明美の事を見ると、同じようにこっちを見ていた彼女と目が合うがすぐにふんっと鼻を鳴らしながらそっぽを向かれてしまった。
「いやぁ、でもあの明美から友達を紹介されるなんて感慨深いなぁ」
「あのって、昔はそうじゃなかったんですか?」
「うん、そうだよ。昔はもっと大人しい感じで、あっ! 昔の写真見る?」
瞬間、明美がものすごい勢いで友理奈へと飛び掛かった。
「ちょ、ダメ! それだけはマジやめて!」
「いいじゃないか、別に減るものでもないんだし」
「減るの! わたしの心のヒットポイントが! SAN値が!」
携帯を何とか取り上げようとする明美と、それを華麗にいなす友理奈。
二人の様子は猫じゃらしで遊ばれる猫とその飼い主の様で、なぜだか見ていると心がほっこりとする気分になる。
「ホラ、汐里ちゃんパス」
「え、わわっ」
突然放り投げられた友理奈の携帯は放物線を描きながら見事なコントロールで慌てて差し出された汐里の手の中に納まった。
投げ渡された携帯の画面を見て汐里の表情が驚きのものに変わる。
そのリアクションを見ていったい何が映っているのか興味を惹かれ、結也は友理奈に羽交い絞めにされジタバタ暴れている明美をしり目に携帯の画面を覗き込む。
そこに映し出されていたのは、一枚の写真だった。
小学生くらいの頃の写真だろうか、少年野球のユニフォームを着て子供らしく泥だらけになりながら満面の笑顔でピースサインをしているのは友理奈だろう。
そんな友理奈の後ろに隠れるようにまるでフランス人形みたいなフリフリで可愛らしい服を着た女の子がもう一人写真には写っている。
「あーひょっとして、この後ろにいる子って」
結也と汐里の二人が視線を向けると、明美はその場で頽れ、力なく地面に両手をついた。
「ああ、とうとうわたしの黒歴史が白日の下にぃ」
「そんなに嫌がらなくたって」
「そうですよ、明美ちゃんかわいいですよ」
「ぜんッぜんッうれしくない! だいたいその服はママの趣味で、わたしだって着たくて着てたわけじゃないんだってば」
嘆く明美を汐里と友理奈の二人が励ましているなか、結也は不思議なものを見るような気持でもう一度、件の写真へ視線を移した。
格好もそうだが結也にとって何よりも意外だったのは、今と昔のイメージの落差だ。
写真の中にいる少女は恥ずかしそうに友理奈の後ろに隠れ、不安げな視線をこっちに向けていて儚げな印象を受ける。
今の快活で明け透けなイメージとはあまりにもかけ離れていて、きっと言われなければ結也は写真に写るこの子を明美だとは認識できなかっただろう。
「なにさ、イズモンも何か言いたいことでもあんの?」
ぼんやりと写真を眺めていたら明美から絡まれてしまった。その目はもうすっかり荒んでしまっている。
「いや別に何ってわけじゃないがなんと言うか……三和も色々あったんだな」
そう言った瞬間、明美はその場で一人頭を抱えてしまうのだった。
「私、バッティングセンターなんて初めて来ました」
錆や色落ちが目立つ年季の入った外観を見つめながら汐里が好奇心の籠った声でそうつぶやいた。
結也たちが訪れたバッティングセンターは学校から代々十五分ほどの距離にあり、友理奈曰く野球部員、御用達の施設なのだという。
「私も部活のない日はここに来るんだよ、体が訛らないようにね」
「訛るも何も、吉川さんはマネージャーだろう?」
「こう見えてもノックとかバッティングピッチャーとして練習に参加させてもらっているんだ。ノックに関しては監督よりもうまいって評判なんだよ」
おいおいそれでいいのか野球部監督と思わないでもなかったが、むしろそれだけ友理奈の技術が高いということなのかもしれない。
「友理奈さんはいいなぁ、私スポーツは全然なので羨ましいです」
「せっかくだし、しおりっちとイズモンも友理奈にバッティング教えてもらったら?」
その提案に汐里は嬉しそうに目を輝かせるが、言い出しっぺの明美がそこはかとなく暗い笑みを浮かべているような気がするのは気のせいだろうか?
「そういう事なら善は急げだ、さっそく中に入ろうじゃないか」
「はい、ほ、ほら出雲君も早く行きましょう」
その時、汐里が結也の手首を掴みバッティングセンターの中へと歩き出した。
突然の事に驚く結也だったが掴まれた手を振り払うわけにもいかず、されるがまま施設の中へと引っ張られていく。
前を歩く汐里の表情をうかがうことはできなかったが、わずかに除く彼女の耳が赤く染まっているように見えたのは夏の暑さのせいだろうか?
「……ふっふっふ、二人とも地獄を見るといい」
バッティングセンターの中に入る直前、明美の不吉なつぶやきは汐里と結也の二人の耳に届いてはいなかった。
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