第16話

 放課後になり、結也は汐里と下駄箱で待ち合わせてから学校の外に出た。


 日が傾き始める時間とは言え、夏の日差しはまだまだ容赦なくアスファルトを焼き、熱気が陽炎となって辺りにたゆたっている。


「……そういえば、もうすぐ夏休みですね」

「そうだね」

「出雲君は何処か、遊びに行く用事とかあるんですか?」

「俺は、盆に祖父母の家に行くくらいかな。後はバイトとか。日野さんは?」

「私はまだそう言うのは。お父さんもお母さんも仕事が忙しいですし、お爺ちゃんお婆ちゃんの家も、遠くにあるわけじゃないので」

「そっか……」


 気まずい。


 誘ったときは別に何とも思っていなかったのだが、考えてもみると誰かを自宅に招くというのは生まれて初めての経験で、なぜだか意味も無く緊張してしまう。


 それはもしかすると汐里も同じなのか、心なしかさっきから言動が普段よりも少し堅いような気がする。


「あの、今更こんなこと聞くのも申し訳ないんですけど、大丈夫なんですか? その、いきなりお邪魔してしまって、親御さんにご迷惑とか」

「ああ、気にしないで。親はいないから」

「へっ?」


 汐里が素っ頓狂な声を上げる。

 一体どうしたのかと訝しがる結也だったが、今の自分の台詞は何やら誤解を招く様な発言だったのではと今更気づく。


「いやいや、別に今の変な意味じゃないぞ。そのまんまの意味であって、他意はないんだ他意は」


 いや、これじゃあ寧ろ他意があるみたいだろうが!


 言葉を重ねれば重ねるほど墓穴にしかなら無いような気がして結局、結也は弁明を諦めて黙々と自宅までの道を歩いて行くことに徹するしかなかった。

 



「まぁ、どうぞ」

「お、お邪魔します」


 学校から歩くこと十数分の場所にあるマンションの一室、結也が普段住んでいる部屋の鍵を開け汐里を迎え入れる。


 自分の家に同級生の女子がいるというのは改めて考えてみると、なんだか落ちつかない気分になる。


 しかしもう今更そんなことを言ってもしょうがないのでそこは切り替えることにして、汐里をリビングへと案内する。


「それじゃあ、適当に寛いでて」


 汐里にそう言った後、結也は真っ直ぐにリビングの隅に置かれた仏壇へ向かった。

 座布団に座り、マッチを擦り蝋燭に火付け、線香を立てて鈴を鳴らし手を合わせる。


 その一連の動作は結也が一年ほど前から、ほぼ毎日行っているもので、昔はマッチを付けるのすらおぼつかなかったが、今ではもう全ての動作を流れるように行えるほど手慣れたものになった。


 手を合わせたまま一分ほど今日の事を報告してから、結也は汐里へと向き直った。


「あれ? どうしたの日野さん」


 汐里はリビングの入り口の前でぼんやりと結也の事を見つめていた。


「あの、出雲君、えっと……そちらの方は?」


 そう言いながら汐里が見つめていたのは仏壇に飾られた一枚の写真、そこには朗らかな笑みを浮かべた女性が映っている。 


「ん? ああ、母さんだよ。言っただろ親はいないって」


 その時、汐里が何かひどく驚いたような顔をした。

 いったいどうしたのかと不思議に思う結也だったが、すぐに思い当たる。


 普通、親がいないと言えば仕事か何かで外出しているのだと考える、汐里は結也の母親がこの世にいないなんて考えてもいなかったのだ。


 どうしてそんな当たり前のことに気が付かなかったのだろうか。

 さっきまでのどこか浮ついたものとは違う気まずさがあたりに満ちていく。


 驚いた様子の汐里にどう答えた物かと少し悩んだが、どうせ今更何を言ったところでごまかしようもないと結局全部話すことにした。


「一年くらい前、俺が高校に上がる直前くらいに交通事故でさ」


 なるべく何でもないことのような口調を心がける。下手に婉曲的な言い回しにすると必要以上に重くなると思いそれも避け、ただ淡々と事実を言葉にしていく。


「父親もいない。俺が生まれて直ぐに浮気相手と一緒にどっかに消えたそうだから、今どこでなにしてんのか検討も付かない。だから今、俺は爺ちゃん婆ちゃんに仕送りしてもらって一人暮らしてるんだ」


 詰まるとそこからグダグダになりそうだったのでそこまで一気に話したが、考えてみれば別に父親と祖父母の事は言う必要はなかったことに気が付き自分のうかつさを呪う。


 寝不足のせいだろうか、今日はうかつな発言があまりにも多い気がする。

 結也は気まずさから、知らず知らずのうちに汐里から目を逸らしていた。


 ……日野さんは今どんな顔をしているのだろう?


 母を亡くした直後、当然と言えば当然だが周囲は結也に同情的だった。

「大変だったね」「大丈夫?」「辛くない」「可哀想に」今までろくに話したこともないような人達が、こぞって結也にそう声を掛けてきた。


 悪気がないのは分かる。ただ結也にはそんな善意の言葉や態度が、鬱陶しくて仕方がなかった。


 あの時のような言葉や表情を汐里から向けられるのが嫌で、結也は目線を彼女の方へ戻せなくなっていると。


 不意に結也の手を温かな温もりが包んだ。


 何かと思いその手を見てみれば、白くて細い手が結也の手を包み込むように握っている。


 予想外の事に驚きながら、結也は視線をその手をたどるようにゆっくりと上げていき。


 そして、思いっきりその場で吹き出した。


「な、なんで人の顔見ていきなり笑うんですかっ!」

「いや……だって、さ。なに? その顔」


 笑いで途切れ途切れになりながら、ようやくそれだけ口にする。

 汐里は何ともみょうちきりんな表情をしていた。


 口をへの字にしながら眉根を寄せて、うるんだ瞳をぎゅ〜と窄めているその顔は怒っているんだか泣きそうになってんだかよくわからない。


「だ、だって、私が泣くのは違うじゃないですか、一番つらいのは出雲君なのに」


 ああ、そっか。きっと彼女は、同情してくれたのだろう。

 結也の境遇を聞いて、可哀想だと不憫だときっとそう思ってくれたに違いない。


 ただそれと同時に他人である自分が、必要以上に同情するのは違うとも思ったんだろう。


 そんな葛藤の末、汐里は泣きそうなのか睨んでるんだか分からないちぐはぐな表情になってしまったに違いない。


 ただそんな表情がなぜだか妙におかしくて、結也のツボに見事にハマった。


「お、女の子の顔を見て笑うなんて失礼です! 無礼です!」

「だって、その顔はズルいって、あっははははぁ……あ、やばい横っ腹痛い」

「おなかが痛くなるほど爆笑するなぁ!」


 その後も結也は一頻り笑えるだけ笑って、気が付くとさっきまでの気まずい雰囲気はどこかに吹き飛んでしまっていた。


 不思議なことにあれだけ鬱陶しかったはずの他者からの同情が、汐里からだと素直に受け入れることが出来るような気がした。

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